相反する血統その4
レスリーの言の通り、マテウスの立場は赤鳳騎士団の教官なので、今日も補佐役として入場の許可を得ただけで、アイリーンの直接的な警護は赤鳳騎士団だけのものだ。
要人が集い、各人の警護達が目を光らせているこの会場は、立場上にまだまだ未熟な赤鳳騎士団の面々の実地訓練場として都合がよく、マテウスは傍に立って色々と口出ししているだけである。
「いや……しかし、俺はアイリーンの命を女王陛下から預かっている責任もあるからな。そうそう、君達だけに任せるのは、無責任というものだろう」
「はぁ……ホンマ分かってないんやね、マテウスはんは。レスリーちゃんがこう言ってくれた理由、分からんのん?」
「俺と、特に君に気を使っているだけ、じゃないのか?」
そう言ってレスリーを見ると、彼女は困ったような愛想笑いを浮かべるだけだ。その表情からは、マテウスの言葉が、正解ではないという事しか分からない。
「兎に角、ええからレスリーちゃんに全部任せて、マテウスはんはこっち、こっちっ」
マテウスの背中を押して、無理矢理人垣の方向へ誘導を始めるフィオナ。片手を振ってレスリーに別れを告げると、レスリーも控えめに手を振り返した後に、巡回へと戻っていった。マテウスは後ろ髪を引かれるように、見失うまで彼女の背中を見守っていたが、定められた巡回ルートを歩く彼女の背中は気丈に振舞う様子が見て取れた。
「分かった。もう1人で歩くから押さないでくれ」
「ほんま? ようやく諦めたん?」
「そういう事だ。ただし、レイナルド社の展示が終わるまでの間だけだからな」
「うんうん、それでええからええから……って、どうして足を止めるん? 近くまで来ぃーへんの?」
「俺のような体格の男が、あの人混みを抜けるのは難しいし、なにより既に前に陣取っている人には迷惑だろう」
「えぇー、それやとあんま意味ない気がせんでもないけど……しゃあないなぁ。ほなら、ウチもう戻るけど、ちゃんとここで見とってーよ?」
「あぁ、ちゃんと見ている。君もなにかするわけじゃないんだから、普段通り肩の力を抜くといい」
フィオナの背中を少し強めに叩いて、そのまま人垣へと押し込むマテウス。彼女は恨みがましそうな表情を浮かべて振り返るが、人垣の中へ飲まれるように消えていく。そして、再び壇上に姿を現した時は、少しスッキリとした顔色になって、柔らかい笑みを浮かべていた。
そんな彼女に、同じ壇上から近づく若い男。彼女の父、シスモンド・ゾフ伯爵の面影を強く残す、太った男だった。丸々と張り出した腹もさる事ながら、血色のいい艶々とした肌からも、シスモンド伯同様に、栄養が過剰に行き渡っている様子がよく伺える。
ただ1点、穏やかながらも、なにかを成し遂げた風格を漂わせるシスモンド伯とは異なり、顔の中央に寄った目鼻立ちの鋭さから、隠しきれない攻撃的な野心や尊大な印象を与える男。彼はフィオナの兄で、ゾフ伯爵家の次男。名前をガスパロ・ゾフと言った。
急に姿を消した妹が突然帰ってきて、一体なにをしていたのか気になったのだろう。壇上で互いに耳打ちを数度交わした後、再び離れた位置へと戻っていく。単純に親族の心配していただけのようで、少なくともマテウスには、2人の様子に険悪な雰囲気は感じられなかった。
ただその時、ガスパロからの鋭い視線をマテウスは感じるのだが、彼はそれに気付かないふりをして、浄化施設の説明を続ける広報へと集中を移した。
「では、次に新しい浄化施設と旧浄化施設の相違点の説明に入らせて頂きます」
壇上では模型を使いながら、如何にして汚水が浄化されていくかのデモンストレーションが始まっている。
はるか以前は、収集した汚物は馬を使って郊外の農村まで運んでいたのだが、現在のヴェネットでは、汚物や汚水は街の各所にある汚泥貯留施設へと集まるように設計されている。当然その間、用水路には決して流れ込まないような設計になっている為、テルム川や生活水に影響を及ぼす事はない。
汚泥貯留施設から汚物を収集する役割を担うのは、社会的地位の低い者……昔は奴隷達であったが、今は異端者隔離居住区の者達が担当している。マテウスがシンディー・ロウや神威執行官達に同行していた夜に鉢合わせになった者達の事だ。
彼等が収集した汚物を異端者隔離居住区に設置してある浄化施設へと運ぶのだが、1次処理槽と呼ばれる井戸のように深くて広い溜め池のような場所へと投げ捨てられるのだ。
1次処理槽では、汚物を沈殿分離(簡単に説明すると、水中での浮力差を使って重い汚れと軽い汚れに分ける)させて、中間水を移送。2次処理槽である散水路を通した処理で、微生物を使って更に浄化を施した水を、地下排水路からテルム川の川下の方へと流しているのである。
ここで大切なのは、1次処理槽に残された汚物の存在である。これを放置したままにすると、腐敗が進むし、水の底に溜まり続けるし、中間水にも汚染が及ぶ。そこで使われているのが、トラッシュワームという異形だ。
水辺に生息し、凡そ有機物であれば全てを平らげようとするこの異形を活用して、汚物を食べさせて処理しているのである。
ただ、一般的な異形と同様にトラッシュワームも人に懐いたりする訳ではないので、そのコントロールに大変な手間を要す。少なすぎれば汚物が処理できず、投入が過ぎれば互いが互いを捕食し始めたり、2次処理槽にまで餌を求めて動き回る。
そして放置が過ぎれば、手のひらサイズの個体が人を丸呑み出来るサイズにまで成長する事が確認されているので、適切な駆除も要求される。細かく上げれば作業は他にもあるが、それらを含めた浄化施設管理の全てを、異端者隔離居住区の異端者達が担っているのが現状だ。
そして今回、技術交流会の場を借りて、ゾフ商会が主導になって発表する浄化施設は、汚泥貯留施設の段階で、汚物を浄化してしまおうというコンセプトに作られた浄化施設であった。
槽自体が理力石で出来ており、理力を通すだけでそこに貯留された汚物を真水に変換出来るのだ。必要なのは、定期的なメンテナンスと理力層の交換だけ。工程の多くを省く事によって、稼働に必要な人員の数と、汚染や事故のリスクが格段に下げる事を可能とした、大きな進化であった。
そんな広報の説明に耳を傾けていたマテウスだが、背後から近づいてくる気配に身を引きながら振り返る。
「よく……気づきましたね」
女は、声を掛けようとした相手に突然振り返られて、伸ばしかけていた手を萎縮したように元の位置へと戻した。そばかす混じりの顔と、相変わらずサイズの合っていない黒縁眼鏡の位置を神経質そうに直す姿が特徴の女性、シンディー・ロウである。
「一体、なんの用だ?」
彼女の周囲には幾人もの神威執行官が控えていた。否……彼女の周囲というと正確ではない。彼等はマテウスを取り囲むような配置で、その円を狭めて来ているのである。
「いい話……という雰囲気ではなさそうだが?」
彼等の放つ剣呑な気配に触発されて、マテウスの声が一段低くなる。自然と騎士鎧<ランスロット>へと伸ばそうとしてしまう右腕を、一歩前へと踏み出したシンディーが強く掴んだ。
「なにを惚けた事を……マテウスさん。私達は、貴方に同行してもらいたくて参上したんですよ」