相反する血統その1
「ふぃっ……フィリップ王子殿下の仰る通り、主を守ってこその騎士です。勿論この騎士鎧<ルーカン>も、それ相応の戦闘力を備えております。先程説明させて頂いたように、剣技に関してはエウレシア王国剣術指南役のボビー・レイン氏の協力を得て……」
壇上で震える声を持ち直しながら説明を重ねる広報担当者が、役目を果たし終える前に更なる罵声が浴びせつけられる。
「そういう口だけの説明が退屈でウンザリって言ってるんだよ、馬鹿めっ。百聞は一見に如かずさっ。他の者達だってそれを望んでいる。そうだろうっ?」
彼のような立場の者に、苛立ちの感情を剥き出しにした上に、血走った両眼で睨みつけられては、逆らおうとする者がいる筈もない。案の定、誰もが周囲の反応を伺いながら、控えめに拍手を送り始め、疎らな拍手が次第に大きなものへと変化していく。
「し、しかし、その……本日はデモンストレーションのような催しは用意しておらず……」
「用意? 用意がないと闘う事1つ出来ないのか? その騎士鎧はっ。これは飛んだ笑い種だな。主人を着け狙おうとする敵に、用意が出来ていないから待てという騎士がどこにいる?」
広報が用意できていないと口にしたのは、デモンストレーションに対しての事だ。だが、自らの正当性を示すように声高な論調で、相手の不当をこき下ろしながら主張して、会場の空気を操れば、それは立派な正論へと変化する。現に今、フィリップの嘲りに釣られて、会場には苦笑いが広がった。
それに対して言い返す事が出来ずに口籠ってしまう広報担当者。ここで下手に言い返そうとしても状況が悪化する事を肌で感じたのだろう。助けを求めるように先程まで質疑応答をしていた技術者達を振り返るが、彼等からしてもこっちに振るなとばかりに視線を外す。
『なんじゃ? あれは。揉めておるのか?』
『そのようですね。あの小男が、騎士鎧<ルーカン>が闘っている所をみたいと訴えているようです』
ざわつく会場の中、アイリーンのすぐ背後から聞こえてくる声。彼女が覚えたばかりの聞き慣れない言語な為、妙に耳に入ってくるので、思わず盗み見るように背後に視線を配った。
『その姿は童も見とうはあるが……所詮、童子の戯言であろう。聞き流せば良いではないか』
『それが、どうやら彼はこの国の王子殿下のようです。無下には出来ないのでしょう』
『あの○○を起こした、○○がか? それでこの空気という事か。○○な主を持つとは、この国の臣下は不幸じゃの』
『確かに○○な主を持つと、気苦労が絶えませんからなぁ』
『『…………』』
アイリーンには理解不能なスラングが飛び交うやり取りをしていたのは、幼い少女と老齢の男の姿をしていた。幼い少女は赤色の生地に鮮やかな桜が散りばめられた振袖姿であった。彼女が顔を動かすたびに、シャンデリアの輝きに照らされて、負けじと艶やかな色を放つ黒髪。それに伴って花簪が揺れて、金細工が耳心地の良い音を奏でる。
可愛らしい人形に命を与えたかのような小さな背格好もさることながら、丁寧に整えられた細い眉の下の大きく円らな瞳や、黄色の水を弾きそうな柔肌が、幼い声質と相俟って、アイリーンにエステルを彷彿とさせた。
老齢の男の方は、紋付きの着いた灰色を基調とした袴姿であった。骨と皮と皺で出来上がったような、これといった特徴のない細身の老人なのだが、主に睨みあげられても堂々とした涼しい振る舞いを崩さない態度は、太い芯を宿した者だけが放つ風格を纏っていた。
やがて幼い少女は、静かな間に堪え切れなかったのか、尊大な態度で鼻を鳴らす程度の失笑を零した後に、事の中心へと視線を戻す。
『良い仕事をする配下に、厚遇をもって応えるのが主の務めじゃからの。それで、なんと言っとるんじゃ? あの小男は』
『ほっほっほっ。それは老後が楽しみですな。ふむ……あの小男、騎士鎧<ルーカン>と自らの配下と闘わせようとしておりますね』
会話の内容にアイリーンは咄嗟に視線を戻す。アイリーンが少し視線を外しいた間に、フィリップの背後に巨漢の男が立っていた。名前をラングレー・オルセン。伯爵にして、黒羊毛騎士団の団長である。
アイリーンが自身の記憶を辿ると、彼を目にしたのは騎士団査定の時が最初であった。彼の野獣のような風貌と闘いぶりから、隣に座っていたバルド・リンデルマンにどちらが異形なのかと真剣に問い掛けてしまったのが、彼女にとっては恥ずかしい記憶の1つである。
「おぉ……あれがラングレー伯か」「初めて間近で見ましたが、大きい……」「つい先日も、神威執行官を手に掛けた、騎士鎧の異端者を退けたとか」「騎士団査定の時といい、長く戦場を離れているとは思えない、目覚しい活躍ですな」
口々に賞賛の声を浴びる彼の姿は、幼い少女の興味を引くのに十分だったらしい。感嘆めいた一呼吸を置いた後に、再びアイリーンの背後で会話を始める。
『ほぉ……まるで鬼のようじゃの。この国の戦士は皆があのように大きいのか?』
『流石にあの男だけが、例外のようですな。ただ、この国ではかなり高名な戦士として、名が通っている様子です』
『…………なんじゃ? もしや、あの○○は配下を見せびらかして遊んどるのか?』
『そういう側面も、なくはないのかもしれませんなぁ』
『かっかっかっ。笑いの耐えん、良き国じゃ』
突然場違いな高笑いをし始めた異国の少女に対して、周囲の者は目を見張るが、会話の内容を全く理解していないので、特に追求しようとはしなかった。それよりも、レイナルド社の者達とフィリップとのやり取りの方が興味をそそられるようだ。(当然、それが分かった上で、幼い少女も高笑いをしたのだろうが)
しかし、話の大半を理解しているアイリーンからすればいい気分ではない。自国を嘲るような会話に対して口を挟みたくもなるが、現状繰り広げられているフィリップの暴挙が国際的な場面で披露するような姿ではないのは火を見るよりも明らかだし、それを諫める事が出来ない自身や周囲の者達を含めて、歪な形を成しているエウレシア王国の体制をそのまま露にしたような光景は、他国の要人からすれば、笑いが零れてしまうのも無理からぬ事なのかもしれない。
(私が止めないと、いけないよね)
アイリーンはフィリップに苦手意識を抱いてた。というもの、以前も示した通り、王宮で実の母に愛されて育ったアイリーンとは対照的に、フィリップは産まれて間もなくして、母の温もりも知らないままに、叔父であるヘルムート・オーウェン公爵の下で育てられていた過去を持つ。
これは正当な王位継承権を持ち、後の玉座が約束されたフィリップ。彼の身柄をヘルムート公爵に預けて、後の後見人として立場を事実上確約させる事で、その対価として現政権の支持をヘルムート公爵にも確約させたいが為の政略であった。
王家の血を宿した限り、その命が政略の思惑に翻弄されてしまうのは避けようがない事だ。アイリーンも自身がいつかは政略の道具として、嫁ぎ先を指定される日が来る覚悟は出来ていた。
ただ、事情があったとはいえ、生まれ落ちた瞬間から、実の母が自身を政略の道具として手放した事実を知った時、今も母の庇護下で育っている姉を目の当たりにした時……フィリップがどんな反応をするのか、アイリーンはそんな恐れを抱いていたのである。