エピローグその2
―――数十分後。バルアーノ領、ヴェネット、異端者隔離居住区内、地下排水路出入口前
「手伝う? 手伝うったって……素人のアンタ達がなにを手伝うってんだ?」
丸太のように太い両腕を正面で組みながら、堂々とマテウスを悪人面を見上げる厳ついベルモスクの男。マテウスより年配なのにもかかわらず、まだ働き盛りである事を印象付け、仕事に対する確固たる自信とエネルギーに満ち溢れた顔と、筋骨隆々とした肉体が特徴な壮年の男だ。
「親方ぁ~っ、3番ポンプの吸いが悪くなってますわっ」
「理力倉の代えなら荷台に持って来てあるぞっ。なにか噛んだようなら、てめぇらでなんとかしてくれっ。ちょっと今、手が離せねぇ!」
「へーいっ」
少し離れた場所では、複数の男達が作業着で忙しそうに動き回っている。用水路に繋がる下り階段の入り口に伸びたホースが3つ。他の者達はそれを見てもなんとも思わなかったが、レスリーはそれが自身が異端者隔離居住区へ入場した時に、躓いた際の原因だと気づいて、眉を顰める。
(ホース状のもの……ではなく、ホースそのものだったのですね)
なんであんな道端に置いてあったのかは兎も角、余りいいイメージを抱けないのは、あれに躓いた際に恐ろしい人に絡まれたからだ。そして、その恐ろしい人というのは、レスリーの記憶が正しければ、マテウスが1度書き起こしてくれた人相描きの人物と、特徴が一致していた。
元NP社の取締役で、異端者認定もされている献金不正疑惑の容疑者。その名を確か、ハンク・パーソンズと言った筈だ。
この事をレスリーはまだマテウスに伝えられずにいた。隠している……という訳ではないが、マテウスをあんな男に関わらせたくないという考えがあったからだ。(マテウスはヴィヴィアナの話から、既に予想を付けて動いているので、隠し通せていないのだが)
『今、マテウスの傍にいる人の中で、一番マテウスの事を考えてあげれるのは、レスリーだから』
アイリーンから託された言葉をもう一度、反芻する。その通りだと勇気づけられたと同時に、言われるまでもないという反発も胸に抱いていた。酷い事をされたうえに、自分を避け続けている相手に対して、どうしてあんな優しい言葉を投げ掛ける事が出来るのだろうか……その自らとは正反対の姿が、彼女自身の醜さを照らし出してくるようで、強く反発してしまうのだ。
「レスリー殿、先程から様子がおかしいが、やはり体調が優れないのか?」
考え込む姿を見て、エステルが勘違いを起こしたのだろう。気づかわしげにレスリーの顔を覗き込んでくる。それに対してレスリーは、驚きにハッと顔を上げて2、3歩後退りした。
「あっ、その……す、すいませんっすいません。レスリーはだ、大丈夫、ですのでっ」
「今日は1日中、慣れない土地で動き回ったからな。考えている以上に疲れが出ているのかもしれない。あまり無理をするでないぞ」
「お気遣い、あっ、ありがとう、ございます」
深々と頭を下げるレスリー。ただそれは、エステルが求めていた反応とは違ったようで、後頭部を掻きながらどう説明しようかと考えている最中、マテウスの呼びかけが2人の会話を途中で遮る。
「エステルッ。それを持ってきてくれ」
「あぁ、すぐに行くっ」
それからエステルは、レスリーの背中をポンポンと励ますように優しく叩いて、マテウスの下へと歩いていく。彼女はマテウスに促されて、風呂敷包みを親方と呼ばれた男の前で開いてみせた。
「なんだぁ? ……そりゃあ」
「これがさっき説明した異形だ」
「こいつが、重犯罪者収容所で暴れてたっていうのか?」
マテウスが大きく縦に首を振ってみせると、親方はもう1度両手で持ち上げている、風呂敷包みの中身に視線を落とす。それは、フレダリオンの生首だ。醜くも獰猛な表情のそれは、生首だけだというのに今にも動きだしそうな凄みがあった。
気の弱い者あれば、目にするだけで悲鳴を漏らしてしまうであろうそれを、親方は無言のまま苦々しい表情を浮かべながら、じっと睨みつけている。
「こいつが計5体で暴れまわっていた。被害者の数も、両手で数えきれないぐらいは出ている。もっと調べれば、まだ増えそうだがな。とにかく、現状その5体の始末は済ませたんだが、これで打ち止めという保証がない。本来なら、確かな事が分かるまでは避難するべきなんだが……」
「そいつは無理な相談だな。折角ずっと続いていた雨がようやく上がったんだ。今、浸水を食い止めておかないと、今度はもっと被害が拡大してしまう」
「そうだろうな。だから、今夜ぐらいは俺達が護衛として手伝おうという、申し出だ」
「とりあえず、そいつを締まってくれ。ひでぇ臭いだ」
鼻を抑えながらフレダリオンの生首を指差して、追っ払うように手で扇ぐ親方。腐敗処理もしてない生首だ。さもありなん。言われた通りエステルはそれを風呂敷で包みなおす。
「……臭ぇなぁ」
「そんなに臭かったか?」
「いや、胡散臭ぇって言ったんだ。一体、アンタ達になんのメリットがあるってんだ?」
「それに関しては、俺が聞きたいぐらいだ」
「はぁ? なんだそりゃ?」
「そう言わないでくれよ、親方さん。この人達はマジで善意だけでこう言ってくれてるんだ。アンタだって、訳も分かんない内に部下が喰い殺される姿なんて見たくねぇだろ?」
マテウスと親方の会話を見かねて、口を挟んだのはラウロだ。元々、見ず知らずの男達の護衛などしたくもないマテウスに任せたままでは、会話が途切れてしまうと思ったのだろう。後ろで見ていたヴィヴィアナも、男が相手とあっては、自身が口を挟んだところで禍しか招かないと分かっているのか、もどかしそうにしながら沈黙を守っていた。
「それはそうだが……」
しかし、親方は渋い態度を崩さない。職人であれば誰しも、得体の知れない相手を作業場に入れたくないのは道理。どんな事故が起こるか分かったものではないからだ。そうして話が再び平行線を辿ろうとしていた時、急になにかに気付いたように、エステルが大きく手を振り始める。
「ソーン殿ではないかっ。精が出るな」
「お前っ、エステルッ。一体なにしてやがるんだ? こんな所でっ」
ソーン……エステル達が、あの大衆酒場でカード遊戯を通して交流した相手である。彼は何処かに運ぶ途中だった土嚢を足元に置いて、エステルに近づいていく。
「うむっ。ここら一帯で異形が確認されてな。ソーン殿達が作業中に襲われるのではないかと心配になって、護衛に来たのだっ」
「はぁ? 相変わらず頭のおかしい事を言う奴……うぇぇっ。お前、なに持ってんだぁ? それっ」
「だから言ったであろう。これが異形だ。因みにコイツは、私が仕留めた奴だぞ」
再び風呂敷を広げて、自分の成果を報告する子供のように自慢げな笑顔を浮かべるエステル。親し気に会話を続ける2人を見て、親方が口を挟む。
「なんだ? ソーン。コイツ等の事を知ってんのか?」
「知ってるっつーか……ついさっき、いつもの酒場で飲んでる時に、少し話した程度です。コイツ等、なにしに来たんですか?」
親方は、ソーンに対してこれまでの経緯を説明し始めた。その上で、ソーンにマテウス達の扱いをどうするか相談した所、やはりソーンも渋い表情を浮かべたが、そこから先の彼と親方の結論は決定的な違いを見せた。
「まぁ、確かになんの役に立つかは微妙なとこですけど、少なくともコイツは、なにかを腹の内に含んで動くような奴じゃないっすよ。なぁっ? 頭ん中、空っぽだもんな?」
そう口にしながら、エステルの頭を打楽器を扱うような気軽さで、ポンポンと叩いて見せるソーン。瞬間、湯沸かし器のように激昂したエステルが、その手を打ち払った。
「なんだとぉ!? 確かに座学は少し苦手ではあるが、私だって色々と考えているのだぞっ」
「おいっ、ほらエステル、首が飛んでいったぞ。そんなもん、作業場に捨ててくれるなよ」
「むぅ……すまない。あぁっ、待てっ。何処に消えたっ?」
エステルが激高した弾みで飛んで行ったフレダリオンの生首の後を追うエステル。運悪く、飛んで行った先の水深が深かったようで、首が完全に水没してしまった為に、ドブさらいをする羽目に陥ってしまう。
その背中を見て、親方は悩んでいる事が馬鹿馬鹿しくなってしまったのか、脱力と共に苦笑を漏らした。
「まぁ人手は欲しかったんだ。折角だから力仕事ぐらい任せてみるか……それと、地下排水路に送った奴等を呼び戻してくれ。異形が出るかもしれねぇんなら、それなりの準備をさせてやらねぇとな」
相槌を打ったソーンが、再び土嚢を担ぎ上げてその場を離れて行く。それを確認した後、着いて来てくれと言い残して親方が歩き始めるので、彼の背中を追ってマテウス達も移動を始める。
(どうやらエステルに助けられたようだな)
首を探し当てて、マテウスの隣へと戻ってきたエステルを彼は見下ろす。申し出を断られた方が都合が良かった彼からすれば迷惑半分といった所だが、相変わらず妙な人脈を作り上げる奴だな……と、半ば呆れた眼差しを向けるのであった。