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姫騎士物語  作者: くるー
第五章 人たらしめる為の魔障
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赤ワインに染められてその1

―――ほぼ同時刻。バルアーノ領、ヴェネット、立食パーティー会場


『そのような若さで、あのスピーチを即興で作り上げたのも驚きですが、旧カザンギ語まで堪能だとは……貴女のような若き統治者が育っているのであれば、エウレシア王国の未来も明るいですな』


『そんな……お上手が過ぎますわ、マイゼール将軍閣下。あのスピーチの間中、私がどんなに緊張で手に汗を握っていたか。この胸も張り裂けてしまうかと思う程に、ドキドキとしてましたのよ? お聞かせ出来なかったのが、残念です』


 アイリーンがはにかむような笑顔を作り、上目遣いに見上げながら自らの豊かな胸をキュッと掴む仕草に、白髪も入り混じったような初老の男が、思わずその厳格な顔を崩して、空いた左手をワキワキと動かしながらアイリーンの魅惑の谷間へと伸ばしかけるが、なんとか軍人上がりの理性を働かせて、グッと左手を引っ込める。


 誤魔化しの咳払いを1つした後に、右手のワインを喉に流し込むマイゼール将軍を前にしても、当然に誘惑する気など一切なかったアイリーンは、不思議そうに首を傾げて、その様子を眺めるのであった。


 ここは、シスモンド・ゾフ伯爵が技術交流会における主要たる面々を招いた、前夜祭を兼ねた立食パーティーの会場。彼が所有する、幾つもの別邸の中の1つだ。アレッサンドロ劇場から馬車に乗って揺られる事、数10分で到着する静かな郊外に佇み、宮殿のように広大な敷地面積を誇る場所だ。


 大理石で造られた大きなリビングホールは、300人を収容してなお、まだ余裕を見せる程だ。遥かに高い天井から吊るされる、美術品のような美しさのシャンデリアの灯りの1つ1つを見上げていたフィオナに寄り添って、アイリーンが耳打ちをする。


「ごめんね? 通訳を挟まないと退屈だよね?」


「あっ……そんなつもりはないんよ? ウチの事は気にせんでええから、おもてなししてあげて?」


「ふふっ。ありがとう、フィオナ」


 フィオナの手に両手を添え、鼻先が触れるような距離まで顔を近づけて、子供っぽい笑顔を浮かべるアイリーン。それを彼女は、近すぎると、照れ笑いを浮かべながら押し退ける。


 それに対してアイリーンは、少し拗ねたような顔を一瞬見せるが、再びマイゼール将軍と向き合った時には、年相応の幼さを残しながらも、それ以上の気品や知性を感じさせる横顔になっていた。


(やっぱ、凄いなぁこの娘。根本から作りがちゃうんかなぁ?)


 その様子を見詰めながら、ぼんやりとそんな事を考え始めるフィオナ。彼女の父であるゾフ伯爵が不在のまま始まろうとしていた前夜祭。壇上に立つに相応しい者がおらず、途方に暮れかけていた母ダリアに、自ら名乗りを上げたのがアイリーンであった。


 スピーチの内容自体は無難な内容だった。纏めてしまえば、訪問への感謝と、この技術交流会を通して、技術を共有し、共に豊かな発展を目指しましょう……といった内容である。ただこの大舞台で、全てが即興である事。その上で要所に、旧カザンギ語や共和国語、シノノメ語までも扱って、全ての来賓らいひんに対して、嫌味なく自身への興味や関心を抱かせたのは、器であるとしか言いようがない。


 名立たる貴族達が集う最高峰の舞台で、皆がそれぞれ通訳を着けるのが当たり前の中、ただ彼女1人が彼女自身の言葉で、親密に会話を弾ませる様子は、フィオナが思い描いていた、舞踏会の中心で立ち振る舞う理想のお姫様であった。


(自分の国の言語もマトモに出来へんウチとは大違い……やもんね)


 フィオナがずっと憧れていた一流貴族達の社交場。だが、いざその場へ放り出されてみると、引き攣った笑顔を浮かべて、無難な相槌あいづち程度しか出来ない自身がそこにいた。一言でも隙を見せてしまうのが、恥ずかしいのである。


 一流の場所で一流の人達に囲まれて一流の話題に花を咲かせる……そんな理想の渦中にいながらにして、現実を見せつけられるかのような現状に、フィオナは少し気分が落ち込んでいた。そしてそんな中で思い出すのが、田舎で話し相手をしてくれていた家畜達の名前だったり、最近の彼女の愚痴の聞き手役であるマテウスの事だ。


 ほとほと、自分はこういう社交場とは縁がないらしいと苦笑を浮かべながら、マテウスはヴィヴィアナ達と合流出来たのだろうか? と、真っ暗な窓の外へと視線を運ぼうとすると、その先から年老いた男が歩いてくる。


 立派な鷲鼻が目立つ皺だらけの顔や、曲がり切った腰でゆっくり歩く様が、お伽噺に出てくるような魔女を彷彿とさせる老人だ。同時に彼が歩く度に金魚の糞のように付き従う、貴族達の数から、彼が相当な大物である事を伺わせる。 


「お久しぶりです、王女殿下。ご立派になられましたな」


「リンデルマン侯爵閣下っ。ご挨拶が遅れて申し訳ありません、本来ならこちらからご挨拶にお伺いしようと思っていましたのに……」


 振り返ったアイリーンが声を上げて、その内容を耳にしたフィオナは心臓が飛び上がったかと思う程に驚き、うぇっと小さく声を漏らしながら目を見開く。社交界では知らぬ者のいない重鎮中の重鎮……そんな彼が、自然な動作でアイリーンの右手の甲に唇を落とす様子を見て、後退りまでしてしまった。


 その後、マイゼール将軍にリンデルマン侯の紹介を終えると、空気を読んだマイゼール将軍は2、3言い残して、席を外していった。


「その説は色々と大変でしたな」


「そんな事……ジェローム卿の件は、不幸な事故でした。それよりもその件では、バルド様に窮地を救って頂いた上に、その後も大変よくして頂いており、とても感謝しております」


 見た目に反してぎらついた、鋭利に懐を探るような眼差しがアイリーンへと向けられるが、アイリーンは涼しい笑顔を浮かべながらそれに応じる。


「礼には及びませんとも。バルドはバルドの役目を果たしたまでの事だ」


 しかし、腹の内では怒りに震えていた。ジェローム人選の責任者は彼で、そのジェロームに生命の危機におとしいれられたというのに、まさかこちらが感謝を述べる側に回されるだなんて……ただ、そんなアイリーンの想いとは裏腹に、事件の後に明かされた事実を踏まえると、こうせざるを得ないのが歯がゆい所である。


(本当に私を助けてくれたのは、マテウスなのにっ)


 ただし、それを口にしてしまうのは、禁じ手だ。マテウスが余計な注目を浴び、不要な敵を増やすような行為は、マテウスを排除したい者達の利にしかならない。


「バルドも最近の話題は王女殿下の事ばかり……技術交流会は興味ないだと口にしていたにも関わらず、王女殿下が出席なさるとしるやいなや、今、飛ぶようにテルム街道を走ってこちらに向かっているとか……」


「「ハハハッ」」


 リンデルマンが笑うと、それにつられて周囲の貴族達も声を出して笑う。しかし、アイリーンには笑えなかった。これは鞘当てだ。リンデルマン侯爵家を背負う長子バルドが、王女殿下に恋慕の情を抱き、それをリンデルマン侯も容認している……つまり、アイリーンに手出しをしようものなら、リンデルマン侯の意向に逆らうという事である。


 なんとかこの場でそのつもりがない事を、リンデルマン侯の機嫌を損ねないような言葉で示さなければとアイリーンが頭を悩ませているその時、リンデルマン候の横から姿を現した女の給仕が、つまづいて、彼の服にワインを零してしまったのである。

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