彼方からの輝きその3
「合羽、脱がないんですかい?」
「すぐにここを後にするつもりだ。気にしないでくれ」
先輩下級仕官の申し出を、素気無く断った。マテウスの合羽の下は赤鳳騎士団の制服のまま。当然、それを見咎められる訳にはいかないので、彼等の前で合羽を脱ぐなどという選択は有り得ない。
マテウスは、室内に雨の雫が落ちて汚れるのを、迷惑そうにしている先輩下級仕官を無視して、それ以上の追及をされないように、素早く話題を切り替える。
「それより、地図を広げて見せてくれないか?」
「はい、これっすね」
若い下級仕官がテーブルの上に広げた地図へ、3人の視線が集まる。彼は、その中央付近の一区画を強調するように、指先で丸くなぞった。
「ここら辺が、さっき説明した重犯罪者収容所ですわ」
「……分かった。それと、ここの外から入って来た者が大抵、最初に行き着く場所はどこだ?」
力強く頷いて見せたマテウスだったが、実のところ重犯罪者収容所に関して、ほぼ聞き流していた。なにせ彼の本当の目的はヴィヴィアナ達との合流にある。彼女達がわざわざ、重犯罪者収容所などという物々しい名前の着いた区域に向かうとは思えなかったからだ。
「外から入って来た者って……そもそも、仕事と異端者以外でこんな場所に来る奴がいないですからねぇ」
「ですよねぇ? なんやろ、新しく出来た酒場とかかな? あそこなら、まともな食べ物と酒を出しとるし、ギャンブルが流行っとるから時間は潰せるかも」
「お前っ、ベルモスクの集まる酒場になんか出入りしてるのかっ? あいつ等と同じ空気で飯なんて、よく出来るな」
「いや……その、給料すっちゃったりして金がなくて困った時とかに、安くて、わりと美味いから帰りがけに寄ったりしとるだけで、そんなには通ってはないっすよ?」
「当たり前だっ。もう少し、信徒たる自覚を持て。だらしない奴めっ」
2人でやり取りを始めた下級仕官達から視線を外して、もう1度地図から得られる情報を整理するマテウス。新しく出来た酒場とやらと、重犯罪者収容所には距離がある。これならば、酒場には避難をしていない者達が残っているかもしれないと、情報としての価値を見出した。
「参考にさせてもらう。この地図、借りていくぞ」
「あっ、あのっ。警備の者の名簿とかは必要ないんですか? 合流した時に名前を知っておかないと……」
「……そうだな。一応目を通しておくか」
全く興味はなかったが、ここで断って疑われるのも都合が悪いので、大人しくその名簿に目を通すマテウス。これも、見ているフリだけで、覚えるつもりもなかった彼だったが、そこに見覚えのある名前を見つけて思わず、疑問を口にして零す。
「ウォルター・ニュートンというと、あのニュートン博士の事か? なんで彼の名前がこの名簿にあるんだ?」
マテウスの扱う騎士鎧、<ランスロット>。第4世代騎士鎧で唯一、理力による装甲の顕現化を実用化させた騎士鎧の開発者。結局、扱える者がマテウスしか現れる事がなかった為、その性能試験に何度か付き合わされる羽目になった過去があるので、少なからずの交流がある相手であった。
「あれ? 神威執行官殿なら知っていると思ったんですが……彼等が警護を担当している対象がニュートン博士なんです。彼は特に重要な人物という事で、専属警備担当が当てられていたんですが、さっきお伝えした通りに、昼の定時連絡から通信が途絶えているんです」
理力付与技術研究所アンバルシア支部襲撃事件に巻き込まれた際、ニュートンが教会によって捕らわれているという情報を得ていたマテウスだったが、その場所がここである事までは知り得ていなかった。
(重犯罪者ね……まぁ、凡そ空気を読むなんて事はしない人だったからな。各方面から不興を買い続けた負債というべきか)
恐らく、汚名を着せられたニュートンの事を哀れに思うマテウスだったが、口にした内容は全く別の話題であった。
「そうか……日暮れになるというのに、そんな状態のままというのは、随分人手不足に悩まされているようだな」
「全部、技術交流会の所為ですわ。どこも同じって聞いてますけど、異端審問局の方も同じやないんですか?」
「あぁ確かに、ウチの上司も嘆いていたよ」
異端審問局もシンディーがマテウスの協力を頼み、あのシドニーが渋々ながらそれを許容するぐらいの台所事情だ。余裕がないのが見て取れる。
だがそれ等全てを踏まえたとしても、自身の都合を曲げてまで、彼等に協力する程の義理固さをマテウスは持ち合わせていない。酒場で合流出来たらそれで良し。そこで情報を得られなかった場合のみ、重犯罪者収容所に足を延ばしてみるか……程度の方針を固める。
「とにかく、協力を感謝する。そろそろ行くぞ」
広げていた地図を折り畳んで、下級仕官達に見えないように配慮しながら合羽の下にそれをしまう。さっさと出て行こうとするマテウスに、とある事情から戸惑う下級仕官達。
「いやいや、本当にこの馬を置いていく気ですかい?」
「部屋にこんなのがいると、流石に困るっちゅーかなんつーか……というか、重犯罪者収容所まで足を伸ばすなら、馬で移動した方がええんじゃないんですか?」
迷惑極まりないという表情の彼等が、部屋の隅で大人しくしている馬を指さして、マテウスもそれが伝播したかのように、表情を曇らせる。
「浸水している可能性のある場所に、馬で移動するのは難しい。事情があって乗り捨てる訳にもいかない馬なんだ。雨ざらしにしないでくれれば、何処に繋いでくれても構わないから、預かっておいてくれ。要件が済んだなら、俺が勝手に連れていく」
「はぁ……まぁ、それなら」
納得のいっていない、苦々しい表情で首を縦に振りながら馬と見詰め合う先輩下級仕官を尻目に、これ以上粘られるのを避ける為にとっとと雨の続く外へと出ていくマテウス。
外に出ると、再び夏とは思えない冷たい外気に晒されたので、風が入って来ないように合羽の襟元を入念に締め直すマテウス。彼がそのまま酒場の方に向かおうとすると、彼を囲むようにして避難してきた者達が一斉に集まってきた。
「なぁ、アンタ。俺達はいつになったら中に避難させて貰えるんだ?」
「こんな雨の中に、外に放り出したままなんて、一体どういうつもりなんだよ」
「お願いします。せめて、小さい子供だけでも中に入れさせて貰えませんか?」
縋りつくようにして次々と救いを求めてくる者達。彼等を見渡していると、マテウスはここが何処かを忘れてしまいそうになる。彼等もまた、ニュートンと同じように異端者の烙印を押し詰けられただけの、強制労働者なのだ。
ベルモスク人として生まれた、クレシオン教会の意向に沿わなかった……その程度の理由で、決して抜け出す事の出来ない生活を強いられている者達なのである。
異端者隔離居住区と呼ばれる隔離地域の多くがこういった者達で構成されており、異教を怯めるような一般的にいう異端を犯すような者は、重犯罪者収容所という小さな一区画に収まる程に、極々僅かなのだ。
それを理解していながら、マテウスは彼等を冷たく払い除ける。彼等を救う役目は自身にはないと、考えているからである。
「どいてくれ、先を急ぐんだ」
彼等もそれに対して、強く抵抗したりはしない。逆らって火刑台送りにされた同胞を何人も見て来た者達に、そんな牙が残されている筈ない。
(そんな恨みがましい目で見てくれるなよ。普段の立ち位置は、俺もそっち側と変わらんさ)
いくつもの視線を背負いながら、逃げるような早足でそこから離れていくマテウスは、誰にも悟られず小さな苦笑いを零していた。苛烈で、傷の多い人生を歩んだのは彼とて同じである。この程度の視線に、素直に罪悪感を覚えるような人の良い性格であれば、既に彼はここに立ってはいない。
彼等の纏わりつくような視線が消えた頃には、そんな出来事は綺麗さっぱり忘れてしまったかのように、今後どう動くべきかを、冷たく……冷静に頭の中を整理し始めるのだった。