彼方からの輝きその2
「ご苦労さん」
「お……お疲れ……様、です?」
まるでハイキングコースですれ違った時のような自然さで挨拶をしてくる人相の悪い大男に釣られて、おっかなびっくりに返事を返す若い下級仕官。
しかし、当然この場所はハイキングコース等ではなく、異端者達が逃げ出さないように建設された、壁の上の回廊だ。その事に先に気付き、正気を取り戻した先輩下級仕官が、人相の悪い大男に詰め寄って、顔を見上げながら怒鳴る。
「ちょっ、ちょっと待てっ! 何者だ、貴様っ。何処から入って来たっ!」
「……説明が必要か?」
人相の悪い男は振り返って自らの背中を見せつける。そこにはでかでかと大きなクレシオン十字とそれに重なるようにして天秤が記されていた。
「異端審問局……しかもその武装、まさか神威執行官殿っ?」
「し、失礼しましたっ!」
人相の悪い大男は、否定も肯定もしなかった。なにせ、否定すれば拘束されるし、肯定すれば偽りを騙る事になってしまうからだ。だから、人相の悪い大男……マテウスは、彼にとっての気さくな笑顔……見る者にとっては邪悪な笑みを浮かべて、興味を地上の方へと逸らしていく。
「それにしても、なんの騒ぎだ? これは。取り締まらなくていいのか?」
「これは、重犯罪者収容所付近で浸水にあったという輩が押し寄せて来ていまして……下でも対応してるんですが、あっちこっちで問題続きな上に、なにぶん数が数なもんで、収集が着かなくて」
下級仕官達のマテウスに対する態度は、先程までのそれとは一変していた。神興局の神殿騎士団、異形対策局の異形殲滅官、そして異端審問局の神威執行官……クレシオン教会が有する武力の中で、人に対して最も身近な脅威となるのが、神威執行官だ。
そして、クレシオン教会の中でも、選りすぐりの武闘派として知られる神威執行官は、教会内でもヒエラルキーが高い。ただそれは、尊敬や崇拝というよりも、畏怖の対象としてだ。誰しも、異端の疑いが少しでもあれば、誰彼かまわずに目の色を変える狂犬と、お近づきになりたくはないという事である。
マテウスの堂々たる振る舞いはそれを利用してのものだった。彼はいけしゃあしゃあと自らの素性は明かさずに、情報を引き出していく。
「問題続きね……それと、浸水というのは確かなのか?」
「それが……昼から重犯罪者収容所の周辺警備からの定時連絡が途絶えていて、こっちでは確認が出来ていないんです」
「そんで、午後の交代に行った奴等が、ついでに見てくるっつってたんですが、なんかあったんか、そいつ等も帰って来んのです。勿論、その様子を見に行きたいんは山々なんですけど、下がこんな様子だから、迂闊に人手が割けないし……つー感じです」
「そういえばお前、外に増援も頼んでいたよな? まだ返答はないのか?」
「それって、ちょっと前の話の奴っすよね? 言うて急いでても、まだ異端者隔離居住区から出たぐらいじゃないっすかねぇ?」
「……そうか」
マテウスは2人の会話に曖昧な返事をしながら、下顎を撫でる。ここの浸水と、緊急連絡通路の浸水との関連性も気になるので、もう少し話を聞きたかったくもあったが、彼は余り長居してボロが出ると困る立場でもある。勝手に相手が信頼してくれている内に、必要な事を探ってこの場を後にする方が賢明といえた。
「話は変わるが、実は人を探しに来ていてな。赤鳳騎士団というアイリーン王女殿下の警護を任されている少女達なんだが、跳ね橋が上がった事で、この異端者隔離居住区に閉じ込められているとの報告を受けた。なにか知っているか?」
「……いや、知りませんね」「あっ……もしかして」
先輩下級仕官はすぐに首を横に振ったが、若い下級仕官は思い当たる所があるようで、視線を上にあげて、記憶を掘り起こし始める。
「夕暮れ前に1人、異端者と違う若い女が来たって下の奴が言うてましたわ。なんか、跳ね橋に上がる事知らんかったとか、いつ下がるんかとか、色々聞いて来たっつーてました」
恐らく、彼が口にした若い女とは、ヴィヴィアナの事だろう。ヴィヴィアナが跳ね橋の警備担当者と会話していたのを、マテウスは直接彼女から聞いていたので、そう予想出来た。
「それで、その若い女の足取りは分かるか?」
「えっ? いや……そこまでは分からんのんじゃないんですかねぇ?」
頼りない返事にマテウスは再び黙り込む。ここに来るまでに何度か3人に通信を繰り返しているのだが、その誰もが通信に答えようとしない。通信石はその特性上、他の装具を使っていると受信しないし、そもそもこの雨の外出で合羽を着こんでいると、受信の際の反応に気付かない場合もある。
後者なら、通信を続けていればいずれ気付くのだろうが、前者だとすれば彼女達の周囲で問題が生じているという事だ。通信を切る前に残したヴィヴィアナの不穏な言葉も気になるので、早く合流したいマテウスにとって、ここで座して待つという選択はなかった。
「直接その男と話がしたい。下にいるのか?」
「いえ。そいつ、さっき言うてた重犯罪者収容所に交代に行ったっきり帰って来ん奴でして……多分、まだそこにいるんやと思います」
「……結局のところ、帰って来ない奴を探しに行った方が早そうだな。俺が探しに行っている間、この馬の事を頼めるか?」
マテウスの背後で大人しくしていた馬の手綱を、先輩下級仕官に手渡す。戸惑いながらそれを受け取る先輩下級仕官だったが、当然の疑問を同時に口にした。
「それにしてもアンタ……一体、どうやってこの馬をこんな場所まで運んだん……ですか?」
「向こう岸に残しておく訳にもいかなかったから、担いだんだ」
「かつい……向こう岸?」
「冗談だよ、気にするな。それより、重犯罪者収容所というのは、ここから見えるか?」
「それなら大体あそこら辺の区画です。見えますか? 他の場所とは建物の雰囲気が大分違うんですが……」
マテウスは、先輩下級仕官の指さす先を目を凝らしてみるが、やはりこの暗闇と雨の中でハッキリとした所在まで知る事は出来なかった。異端者隔離居住区が限られた区域とはいえ、たった3人の姿を探して走り回るには、広すぎるのは明白だ。
(かといって、案内も手助けも頼めるような状況でもないからな……)
そう胸の内でぼやいたマテウスがさてどうしたものか、と考えていたら、若い下級仕官の方から申し出る。
「下の詰め所になら、異端者隔離居住区の全体図が置いてあるんで、それを見ながら説明は出来ますよ」
「それはいいな。ついでにそれを暫くの間、貸してくれると助かる」
「それは構いませんよ。早速下へ案内……おい、ちょっと、着いて来いって」
先輩下級仕官が手綱を引いて階下へと降りようとしたら、馬の方がそれを拒否するように首を嫌々と振って、踏み止まる。
「このバカ馬っ……」
「ジョージというそうだ」
「えっ?」
更に強く手綱を引こうとした先輩下級仕官の右肩へ、マテウスの手が載せられた。
「少し無茶をしたから拗ねてる様子だが、なかなか義理堅くて賢い馬でな……ここから下りるから、大人しく着いて来てくれ」
マテウスが馬の頬をポンポンと2、3度軽く叩き、同じ個所を優しく撫でると、馬は再び大人しくなって、手綱の誘導に従うように素直に歩き始めた。
(やっぱ、神威執行官っつーのは、変な奴が多いんかね)
そんなやり取りをしながら、螺旋状になっている階段を下りていく2人と1頭を後ろから眺めていた若い下級仕官が、ふと重犯罪者収容所の方角を見やると、空に向かって一筋の赤い光が打ち上げられているのを目にする。
それに続いて、遠雷にも似た爆発音が聞こえたような気がしたが、どちらもただの見間違いに聞き間違いだろうと、さして気にする事もなく、彼等の後に続いて小走りに階段を下っていくのだった。




