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姫騎士物語  作者: くるー
第五章 人たらしめる為の魔障
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灰色をした蝶番その3

「……まさか、なにかの暗号になっているのか?」


「そんなに大層なものではない。センテンスを決められたルールに従って、消していくだけで……」


 ヘルムートにも分かり易いように、不要な文字を消していくヨーゼフ。そして数十秒足らずの間、手を止める事もなく作業を終えて、ヘルムートに手紙を手渡す。その内容を確認し終えた彼は、思わず目を見開いて、声を荒げた。


「ドレクアンへの亡命だとっ? なんと恩知らずなっ」


「声を抑えたまえ」


「ぐぅ……下民の血が、天才と持てはやされて、勘違いを起こしよって。奴の功績は全て我々貴族の力添えがあったからこそではないかっ。たかだか1人、出涸らしの才能が亡命したところで、エウレシア王国こそが、理力付与技術の先進国である事実は揺るぎはせんっ」


「どうであれ、異教の国に技術をもたらしてやる理由にはならん」


 虚空を見詰めながら右肘を立てて、気だるそうにそれで顔を支えているヨーゼフ。そんな彼とは別の生き物のように、忙しなく左手の指先が動き、カタカタと一定のリズムで音を奏で続けている。


「……ハンク・パーソンズとニュートン博士の人相書きは、そちらで用意出来るか?」


「パーソンズ……ここでもまたN&P(ノーランパーソンズ)か。その男がなんだというのだ?」


「情報を整理すると、今回の亡命は、彼が実行の主犯である可能性が高い。それで先程伝えた通り、治安局に呼び掛けて検問を敷かせるにしても、商会自警団に捜索を任せるにしても、正確な手配書が必要だ」


「……勿論、用意は出来るし、商会にも当てはある。しかし、技術交流会の最中に、自警団なんぞが幅を利かせるような事になってしまうのが気に入らん。会場とヴェネット全域の警備は、私の騎士団の領分の筈だ」


「……異端者隔離居住区ゲットーに、マグメルから勝手に持ち出した種を撒いた阿呆がいてな。どうなるものかとお目こぼししてやったというのに、やる事がただの真似事とは失望させてくれる。その上、種を撒く時期が遅すぎて、今頃芽吹きだしたようだ」


「なにをっ!? まさかしくじったのかっ!? 奴めっ、今日話した時には、水浄化施設が無事に稼働を迎えたと口にしていたがっ……それにっ、まだ異形アウターの姿を見たという報告は私の所には……」


「いずれ貴方の耳にも、入る事になるだろう。それと、私は貴方に言っているのだ、オーウェン公。私の許可を得ずに勝手な事をしようとするから、こうなるのだと」


 ヨーゼフのなにをも映さぬ両眼が、ヘルムートを真っ直ぐと捕らえる。見詰められているだけで、呼吸をする事をはばむかのような圧迫感のある視線に、彼は息苦しさを覚えながら、喉を鳴らした。


「私は貴方に良きパートナーとなって欲しかったんだが……お互い人を見る目がないようで、苦労するな」


 ヨーゼフの皮肉は、ヘルムート自らの過去の発言とも相俟あいまって深く突き刺さり、頭を抱えるように俯かせながら、込み上げてくる怒りと羞恥に体を震わせた。だが、次の瞬間、ギョロリと瞳だけを大きく動かして、下からヨーゼフを睨み上げる。


「お目こぼししてやった……だと? では、猊下は知っていたという事か? いつから?」


「無論、初めからだ。私も、貴方と同じく現状に飽いでいる者の1人でな。新たな環境での刺激が、一縷いちるの変化にでも繋がればと期待していたのだが、結果がこの有り様ではな……今から、全て火にくべてしまった方が手早いんだろうがね」


 虚空を見詰めながら、まるで昨日の天気を振り返る時のような、ぼんやりとした様子で並べられた言葉の数々。その中で、火という単語だけが妙に生々しくヘルムートの耳に残った。


 実際にその半生はんしょうで、多くの地の異端を焼き払ってきたヨーゼフが口にするからこそ、この水の都の全てが焼き払われる映像が、明瞭めいりょうに思い描かれたのである。


「まだだ……まだ間に合う。私の黒羊毛騎士団と白狼騎士団を異端者隔離居住区に投入すれば、これ以上好きにはっ……」


「諦めたまえ。確かに被害を抑える事は出来るだろうが、もたらされた情報から察するに、既に大きく後手だ。手遅れになった砦など、いっそくれてやれば良い。最も重要な城を手薄にする理由はあるまい」


「それは、技術交流会の警護を優先する……という事か?」


「そもそも、このタイミングにこの仕掛け方……非常に残念な事だが、敵はこちらの動きを把握していたのだろう。ニュートン博士の亡命、種の流出……どちらも痛手ではあるが、まだ致命傷には至っていない。私達は技術交流会こそを優先させ、成功させればそれで良いのだよ。ただ、今の段階で種の存在を異端審問いたんしんもん局に自由に嗅ぎまわられるのは、少々……気まずくもある」


「そこで、自警団や治安局のような別勢力をえて投入する事によって、動きに制限を掛けるのか」

 

「私達が直接、異端審問局かれらの捜査に口を挟む事も出来るが、それで変に勘付かれても面倒だろう。それにハンクやニュートン博士の追跡に、私の警護……十分な仕事を与えてやれば、余計な事を考える暇もなくなる、という事だ」


「その巻き添えに、私の騎士団の警備に治安局程度が割って入るのは気に入らんが、そういう事情であれば止むを得まい。それで? 姿が見えないようだが、その異端審問局は今なにをしているのだ?」


 ヘルムートの問いに、ヨーゼフは小さく鼻を鳴らした。これを見たヘルムートは、自身が嘲笑ちょうしょうされたのかと疑ったが、それが勘違いであった事を後の発言で知る事になる。


「先程、異端者隔離居住区への緊急連絡通路を使わせてくれと言われてな。それを許可したよ」


「緊急連絡通路? あそこは確か全て浸水している筈……足止めという事か。くっくっくっ、猊下も人が悪い」


「……後2日は耐えると聞いていたんだがな、私は。雨脚が強くなった事で、こうも簡単にくつがえるものなのか? なにか別の理由が……」


 ヘルムートが1人肩を揺らして笑っているのをまるで無視するかのような態度で、虚空を見つめながら、ブツブツと独白を続けるヨーゼフ。その態度が気に入らないのか、ヘルムートも彼から視線を外して、大袈裟に音を立てながら両腕をそれぞれの肘掛けに乗せなおした。


「テルム川の氾濫の事ならば、私は知らん。幾つかある分水路を解放すればまだ余裕があると、あの商人からの成り上がりがうそぶいておったが……ふんっ、今頃予定の晩餐にも出席せずに、駆けずり回っておるさ」


「ホスト不在の晩餐か……ならば、私も欠席で問題なさそうだな」


「……出席されんのか? 今後の事も含めて、猊下に紹介したい者が何人かいたのだが」


「ああいう騒々しい場所は苦手なのだ」


 わずらわしい蠅を振り払うように片手を左右に振るうヨーゼフを見て、普段の言動からして、そもそも人付き合いが苦手だろうがと、吹き出しそうになるのをなんとか堪えるヘルムート。


「それに……なるべくなら早い方が良かろう」


「……? なんの事だ?」


「ハンク・パーソンズとニュートン博士の事だ。両名とも、異端者として手配書を作らせてくれ。貴方の手足にも、伝えておいてく事を忘れぬようにな。早くであれば……生死は問わずとね」


「私は構わんが、本当に良いのか?」


 ヘルムートの問いには答えず、暫くの間、誰もいなくなった会場を見下ろしていたヨーゼフが、鈍重どんじゅうな動作で腰を上げる。深紅のローブに残る皺も気にしない様子で、フラフラと貴賓席から出ようと歩きだすので、ヘルムートも慌てて腰を上げてその後に続いた。


「貴方の言葉通り、本当に出涸らしの才能であれば、生かしておいても良かったのだがな」


「そうではないとでも?」


 外へと繋がる扉の前でヨーゼフが立ち止まると、静かに佇んでいただけの部下が、彼の為に扉を開け放つ。再び歩き出すヨーゼフの歩みは、上背のある自らの身体を持て余しているかのようにゆったりとしていて、焦りの感情1つ抱いてない様子であった。


「あれが自由に研究を続けていれば、理力付与技術エンチャントテクノロジーは後10年は先を走っていただろう。本物だよ、あれは。それ以外はなにも備わっていない事を含めて、ああいう者の事を天才と呼ぶのだろうな」


 掛けのない称賛。ヨーゼフが他人の事を、ここまで評価する姿を初めて見るヘルムートは、その事に対して静かに驚き、同時にそんな時でさえも、気だるく、何物にも興味がなさそうな声色で語る彼の事を、益々もって不気味な男だと感じるのだった。

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