満ち溢れし賊心その2
「……真っ当な教育は受けているようですね。ですが、出来るのならどんな時でも徹底なさい。だからいつまで経っても田舎臭い訛りが抜けないのです」
「すまへん、ダリア。ワシの所為や。フィオナはワシに合わせてくれただけで……」
母ダリアのキツイ叱責に、目に見えて笑顔を失うフィオナの姿が痛々しくて、咄嗟に間に入ろうとする父シスモンド。しかし、それがダリアの怒りを増幅させてる。
「その通りですっ。貴方がそうやって甘やかすから、成人を迎えてなお、嫁ぎ先のないような女に育ったのです。ゾフ家を名乗るその責任を果たせずして、なんの為の当主ですかっ!」
「……すっ……申し訳ない」
更に鋭い角度に吊り上がった両目が、ダリアの怒りをそのまま表していた。こうなってしまっては、シスモンドの言葉程度では、彼女は収まらない。そもそも常日頃から、このやり取りを見て分かる通り、ゾフ家の力関係はシスモンドに対してダリアの方が遥かに上なのである。
子宝に恵まれなかったゾフ家の1人娘として生まれたダリア。12歳で社交界にデビューした当初、彼女はその余り美しいとは呼べない容姿や、気性の荒い言動が目立つ性格にも関わらず、多くの男に声をかけられた。それは当然、彼女の持つ伯爵家の血統と、財産。そして商人なら喉から手が出る程欲しい、領内の関税調整や免税等を代表とした多くの利権が目的である。
まだ、フィオナの祖父、ブルーノ・バレリーニがバレリーニ商会の商会会長を務めていた頃、豊富の資源や豊かな土壌、外海に面した港町や開発途上の街々を有するバルアーノ領は、商人の楽園と呼ばれる程、多くの商会が犇めいていた。
その当時は、そんな様々な商会に比べて、見劣りしてしまう比較的小さな商会であったバレリーニ商会が、商会同士の均衡を打ち砕き、バルアーノ領の頂点に立った理由。それはダリア・ゾフの心をシスモンドが射止めたからである。
バレリーニ商会がゾフ商会に名を改めてからの躍進は、正に飛ぶ鳥を落とす勢いであった。バルアーノ領にあった大半の商会を吸収して、遂にはマクミラン商会やマードック商会にも肩を並べる、大商会へと変貌を遂げたのだ。
要するに、今のゾフ商会の繁栄は、ゾフ家の力無くして語れず、入り婿であるシスモンドが妻ダリアに頭が上がらないのは、仕方のない事なのである。
「以後……気を付けます……どうか、お許しください」
自身の発声を、1つ1つ慎重に確認しながら、謝罪の言葉を告げるフィオナ。ダリアに頭が上がらないのは、シスモンドだけではなく、彼女もその1人だ。
幼い頃より、父譲りののんびりとした性格で、人と話すより動物と話す時間の方が長かったフィオナは、ダリアから厳しい叱責を浴びせ続けられていた。自らのように、貴族の血を引いた者としての責任を全う出来る、立派な淑女へ娘を育てたかった一心の、過剰なまでの教育がそのまま、ダリアへの恐怖心としてフィオナに植え付けられたのである。
まだなにも知らない幼いフィオナが口にした、動物と話しているなどという理解の範疇を超えた発言を許す訳もなく、教会へ預けようとしたのには、ダリアのこういう厳しい性格が起因していた。
「お父様、少しご相談が……あぁ、お母様もお出ででしたか」
謝罪の言葉1つ告げて、押し黙ってしまう事しか出来なかったフィオナに助け船を渡しに来たようなタイミングで、1人の男が部屋に入ってくる。細身で、鋭い釣り目と痩せこけた両頬という、母ダリアの面影を色濃く残す顔をした彼の名前はアントニオ・ゾフ。ゾフ家の長男で、弟であるガスパロ・ゾフと共に今のゾフ商会の経営権を握る、商会幹部の1人である。
部屋に入って来た彼は、まず母であるダリアに軽い抱擁をしながら、彼女の両頬に自らの頬を触れさせる。そして次に父であるシスモンドへと同じ事をした後に、ようやくフィオナと目を合わせて、彼女がこの場にいる事に気づいたようだった。
「まさか、フィオナか? 最後に会ったのは確か、10年以上前だったか? 今は王女殿下にお仕えしていると聞いていたが、どうしてここに……いやいや、その前に……おかえり、フィオナ」
言葉と共にフィオナへと歩み寄って、両親にしたのと同じように、彼女を軽く抱擁しながら両頬に自らの頬を触れさせてから離れた。
「……お久しぶりです、お兄様。ご報告が……遅れて、申し訳ありませんっ、でした」
「いいんだよ。またこうして無事に会えたのだから、気にする必要はない」
「それよりもアントニー。なにか話があったのではないですか? そもそも、今の貴方はオーウェン公爵閣下とフィリップ殿下のお相手をしている時間だった筈ですが」
「あぁ、そうでした。言いつけ通りに、御2人のお相手をさせて頂いていたのですが、彼の部下から、少し気になる報告が上がりまして……」
その後アントニオは、シスモンドに耳打ちするような体勢になって、そのまま声を潜めながら会話を進めていく。会話が進んでいく毎に、シスモンドの表情が険しく変わっていった。
「今、異端者隔離居住区はお前たちのどっちが施設管理をしているんだい?」
「ガスパロに任せています。ただアイツとは、水浄化施設の事で少し意見が対立していまして……」
「今はそれは置いておこうか。それで、ガスパロは?」
「予定通りなら、ヨーゼフ・クラウゼン枢機卿猊下のお相手をしている筈ですが」
「行こう。この後の晩餐や、技術交流会にまで影響は与えたくはないからね……ダリア。私は席を外すが、後の事は任せていいかい?」
「それは構いませんが、私にはなんの説明もないのですか?」
「いやぁそれが……分からない事が多すぎて。もし、なにかを決める時は、必ず君にも相談するよ。今は許してくれないか?」
「……その言葉。違えるようならば、許しませんよ?」
「わ、分かってるよ。ハハハッ……そ、それじゃあ行ってくる」
力ない誤魔化しの笑いを浮かべながら、ダリアのキツイ視線から逃れるように退室するシスモンド。アントニオも彼女へ、失礼します、と丁寧に声をかけてから、シスモンドの後を追った。
ダリアとフィオナだけになった室内には、再び凍てついた氷に晒されているかのような、冷たい空気が流れていく。
「ではフィオナ、貴女は私について来なさい」
「えっと……どちらに、行かれるのですか?」
「決まっています。貴女の婚約者候補達に挨拶に行くのです。まさか貴女、ずっと騎士の真似事を続けるのだと勘違いしてないでしょうね?」
再びダリアに鋭い視線を浴びせられて、両肩を竦めて見るからに萎縮しながら、いいえ……と小さく声を返した。
「私が、王女殿下の騎士になる事を許可を出したのは、王女殿下との繋がりを得る為だというのもそうですが、貴女のその田舎臭い言葉使いや振る舞いを改めさせて、貴族の令嬢である事を自覚させる為です。分かったら、もっと姿勢を正しなさい。自らを美しく見せるのです」
「……はい、お母様」
「声が小さい。そんな態度で、殿方の目が惹けますかっ」
「はいっ、お母様っ」
「発音にも気を使うのです。では、向かいますよ」
そう告げて自信に満ち溢れた姿で退室していく母ダリアの背中を追って、フィオナも部屋を後にするのだった。




