賽の行方のみぞ知るその4
「おいおい、ラウロ。こんなエウレシア人のガキを酒場に連れてきたのは、お前かっ? お前、副業にベビーシッターでも始めたのかよ?」
男のその言葉が引き金となって、周囲にゲラゲラと下品な笑いが起こる。ラウロがその仲裁に入ろうと一歩踏み出そうとするが、それより先にエステルの右掌が、男の頬を捕らえる方が早かった。
周囲の笑い声を一蹴するような高く乾いた音が響き渡り、男の頬に赤く小さな掌の跡がくっきりと浮かび上がる。
「この際、私への無礼は不問にしておいてやる。だが、彼女への無礼を詫びぬ限り、この先の加減は保証出来んぞ」
「このやろ……おぅふっ!?」
一瞬、なにをされたのか分からなかった男であったが、右頬にズキズキと走り始める痛みと共に正気を取り戻し、次の瞬間には正気を失って激高し始め、エステルに掴みかかろうと立ち上がるが、すぐに崩れ落ちるように床へと頭を垂れる事になる。
彼が手を伸ばそうとした瞬間、エステルの右拳が、先に彼の鳩尾を捕らえたのだ。かつて味わった事が無いほどの地獄の苦しみに、男は先ほどまで飲んでいた酒を垂れ流していく。
「エウレシアのクソガキが、調子に乗ってんじゃねぇぞっ」
男と同じ卓を囲んで飲んでいた男が立ち上がり、エステルの後ろから彼女の頭を引っ掴もうと右腕を伸ばすが、エステルは振り向きざまにそれを左手で簡単に掴み返し、彼の腕を逆手にして捻り上げる。
「いぃっ!? いてぇっ、いてててっ!」
痛みに悲鳴を上げる男の襟元を掴むと、そのまま下に引き下ろして、勢いに乗せて机の角へと彼の額を激しく打ち付ける。その後、エステルが掴んでいた彼の右腕を解放してやると、吐き出された酒の滴る床へ仰向けに転がって、打ち上げられた魚のように声もなく悶絶した。
「我が名はエウレシア王家より<エウレシアの盾>の二つ名を拝命せしゴードン・アマーリアの娘、バンロイド領が領主アマーリア侯爵家長女、赤鳳騎士団が団長、エステル・アマーリア。さぁ、次は誰だっ。これより先は誰であれ、その挑戦をアマーリアとして受け止めようっ」
先程までの賑わいが嘘のように静まり返った酒場に、エステルの口上が響き渡る。子供のように幼く、甲高い声……故に両耳を突き抜け、頭の芯へと響くような彼女の呼びかけに、誰も声を上げようとしない。
「おいおい、マジか……あのオッサンの娘ってんなら、まぁ納得だけどよぉ……」
それはラウロの独り言であったのだろうが、すぐ隣に立っていたレスリーの耳には届いていた。まるでアマーリア家の事を知っているかのような物言いに、興味を惹かれてラウロを見上げていたのだが、不意にラウロの視線が自身へと向けられたので、慌てて視線を下に逸らす。
「もしかしなくても、その制服。レスリーちゃんも赤鳳騎士団の騎士……なの?」
「えっ? その……はっ、はい。レスリーは、そのっ……マテウス様にっ、お、お仕えする……騎士です」
「あぁ……やっぱり? そりゃそうだよなぁ……」
半ば予想していながら、しかしそうでないと信じたかった……そんな苦笑いを浮かべながら、気まずそうに頭を掻くラウロ。質問の意図が掴めないレスリーは、警戒の度合いを高めるかのように彼から一歩距離を離すが、彼はそんな彼女の動きに気づかずに、エステルの方へと歩み寄っていく。
「エステルさん、そこまでにしとこうぜっ」
「ほう……次は貴方が相手かラウロ殿。すでに勝利宣言とは、中々の豪気。相手にとって不足はないようだなっ」
「相っ変わらず、アマーリアってのは男も女もなんで皆そうなの? なんか変なもん食べて育ってるっしょ? 俺は、そういう物騒なのは、この酒場ではなしっていうのを教えに来たんだよ」
「なんだとぉっ!? 私がなにを食べるのか、貴方の財布でもう1度1から教えてやってもいいのだぞっ!」
「あっ、すいませんっ。ホント勘弁してください……っでなくてっ。この酒場では暴力厳禁……オッケー?」
「暴力……分かった。つまり、決闘であれば問題ないという事だな? 少し時間はかかるだろうが、1人ずつ受けて立つまでよ」
「問題しかないからね? そういう荒事全般、この店では禁止なの。お店の人に迷惑かかるだろ? アーシアさんからもそう言ってやってよ」
「……そうね。ありがとうございます、騎士様。私はもう大丈夫ですので……これ以上はお店での乱暴は遠慮なさってください。どうか、お願いします」
「むぅ。アーシア殿がそう言われるのであればやむを得ん。では……外で決闘だなっ。これなら店にも迷惑をかけず、私も存分に力を振るえるというものっ。さぁ、アーシア殿への態度を改めぬという者達よっ! 皆、纏めて掛かってくるがよいっ」
「いやっ、そうじゃなくてだな……」
ラウロの呼びかけ虚しく、意気揚々と風雨の吹き荒れる外へと踏み出すエステル。しかし、当然の事ながら、皆が彼女の背中を呆然と見送るだけで、誰も腰を上げようとしない。
暫くの沈黙の後、ずぶ濡れになった彼女がドタバタと足音を鳴らしながら帰ってきた。
「なんでっ、誰もっ、出てこないのっ!? 私、あの雨の中で、頑張って待ってたんだぞーっ!!」
((もしかしてコイツ、面白い奴なのでは?))
アーシアが気を利かせて持ってきた大きめの布で、エステルの頭と体をレスリーが拭っている間、いがみ合う事の方が多い酒場の者達の意思が珍しく1つになったのは、ある意味彼女がもたらした、全く意味のない奇跡であった。
そんな弛緩した空気の中で、仕切り直すようにラウロが語り始める。
「だからさ、この店のルールに乗っ取ってやればいいんだよ。もっと平和的なやり方で、分からせてやればいい」
「というと?」
エステルが小首を傾げると、ラウロは親指を使って、とあるテーブルを指さす。彼が指さした先では、酒や食事もそこそこに、テーブルの上にカードを広げている男達が、こちらの様子を何事かと伺っていた。
「……賭け事か。だが、私は賭け事などした事がない」
「ギャンブルは、テーブル上での決闘みたいなもんさ。それこそ君の御父上、ゴードンの旦那も派手な勝ち方を披露してくれたもんだぜ」
「なに? ラウロ殿は、父上を知っているのか?」
「食べることに夢中だったエステルさんは聞いてなかったかも知れねぇけど、ここに連れてこられる前は、傭兵をしてたんだよ。かつての青鷲騎士団の下で戦った事もあったのさ」
「なんとっ……そうだったのか。非礼を詫びよう。どうやら私は、貴方……いや、貴殿を侮りすぎていたようだ」
気にしないでくれと、手を扇ぎながらラウロは倒れていた男たちに声をかける。エステルも加減はしていたようで、既に男達は普通に会話出来るくらいまでは回復していた。
ただ当然の事ではあるが、エステルを前にして彼等が素直に頭を下げる訳もなく、黙って睨み上げるだけで、軽々しく口を開こうとはしなかった。そんな重苦しい雰囲気の中、再びその饒舌を披露し始めたのはラウロだった。
「ほらな? 一方的に殴られただけでコイツ等も納得しねぇって。分からせたいなら、コイツ等のやり方ってのに合わせての決闘じゃねぇと意味ねぇだろ?」
「成程、確かに。形は違えど、決闘の挑戦であるのなら、アマーリアとして受けねばなるまい」
「よっ、流石はアマーリアっ。度量が違うね。お前達もそれなら納得だろ?」
「別にいいけどよ……」「そいつ金はあんのかよ? 金はよ」
「これが私達の全財産だが……これで足りるのか?」
彼女が取り出したのは、ヴィヴィアナに預けられていたマテウスから貰った、本日の交友費だ。買い食いを何度か繰り返した為、残っているのはセグナム銀貨3枚とタークス大銅貨1枚……ヴィヴィアナが予定していたショッピングに行かなかった為、資金はほぼそのままの形で残っていた。
彼等、ベルモスク人の働き口で稼ごうとすれば、半月は時間を費やす額に、男達の目の色が変わり、自身の思惑から外れた展開に、ラウロが顔を引き攣らせる。
「……ありっ? 意外に持ってらっしゃるっつーか、元々俺より持ってんのかよっ」
「いいぜ。早くやろう」「ほらっ、席に着けよ。まずはルールを教えてやるからよ」
「待て待て、慌てるなってっ」「あの……エステル様。その……それは、マテウス様に頂いたモノなので……そ、そのっ……安易に使うような真似は……」
控えめながら、勇気を振り絞るようにして告げられたレスリーの進言に、エステルは彼女に向き直りながら瞳を閉じて、大きく首を左右に振る。
「言いたいことは分かる、レスリー殿。金銭の価値は重さは、私も承知している。しかし例え命を賭ける事になろうとも、決闘と名の付くものを前にして、アマーリアが背を向ける訳にいかんのだ。ここは、後ろで見守っていてくれないか?」
「いや~……ここはレスリーちゃんのいう事を聞いといた方がいいと思うけどなぁ? 俺も」
ラウロとしては、エステルが持つ少額(大銅貨数枚程度)の掛け金を動かしている最中に、しばらく同じテーブルで会話を弾ませていれば、打ち解けるぐらいにはなっているだろうといった企てだったのだが、銀貨を背負ったカモを目の前にした男達は、既にエステルの身包み全てを剥がす気満々で、会話に華を咲かせるような雰囲気ではない。
「なにを今さら異な事を……貴殿が言い出した事ではないか。それより、決闘であるのならば立会人は必須であろう。ラウロ殿、発起人である貴殿が責任をもって務めてくれ」
「……ですよねぇ~」
ラウロはこの受け答えに、彼女が間違いなくアマーリアの血を引く者だと理解する。そして同時に少し鼻息を荒くしながら卓に着くエステルの後ろ姿に、ゴードン・アマーリアの面影を重ねていた。
(確かにアンタの親父さんの勝ち方は派手なんだけど、負け方も派手だったんだよなぁ~)
雨が一層激しさを増していき、稲光もないのに、空気が震えるような遠雷が起こる。そんな外の様子が気にならないぐらい、彼の胸中には不安が広がっていった。