賽の行方のみぞ知るその2
「ふんっ!」「いってぇっっ!? っえ、なんでぇっ?」
男の告白はヴィヴィアナの右拳一閃によって遮られる。殴り飛ばされて腫れた左頬に片手を添えて庇いながら、彼は食い下がった。
完璧に捉えた感触であったにも係わらず、ダメージを負ってないような素振りに少しばかり面食らうヴィヴィアナであったが、それで攻勢を止めるほど彼女の気性は穏やかではない。
「この娘がアンタを怖がってる事ぐらい、見て分かんないっ? 本当、男って頭の使い方1つ知らない、馬鹿ばっかなんだから。死ねばいいのに」
「おっ? なんだ? 喧嘩かよ?」「なんだあれ? 殴られてんの、ラウロじゃねぇか?」「相手が女って事は、またアイツが馬鹿やってんだろ」
最初はヴィヴィアナ達の事を気にも止めなかった男達の注目が、この騒がしい男とのやり取りを切っ掛けにして集まっている事に気づいて、不愉快そうに表情を崩すヴィヴィアナ。彼女にとっては、こうして男の視線に晒される事すら、我慢ならない出来事なのだ。
「帰ろう? エステル、レスリー。私、ここの雰囲気が大っ嫌い」
「待てって、ちょっと待ってくれっ! 悪かったっ。余りに可愛いもんだから、正気を失ってたんだ。もう大丈夫っ。怖がらせたりしねーからっ。ちょっとだけ! ほんのちょっとだけでいいから、話をさせてくれよっ。なっ?」
「無理、諦めて」
「君じゃなくて、その後ろのベルモスクの娘だよっ。この店が嫌なら、別の店でもいい。案内するからさ。いいだろうっ?」
「それが無理だって言ってんのに気づきなさい、馬鹿。正気を取り戻してる内にさっさと消えてよ。いい加減にしないと、今度は正気を失うような奴、喰らわせてやってもいいんだけど?」
「手伝うぜー、ラウロ」「オラッ、口の悪い嬢ちゃんに分からせてやれよ。教育も大事っしょ」
無責任な野次が周りから飛び始めて、更に注目を浴びる事になる一行。そして、そうなっていく毎に体を小さくしながら、ヴィヴィアナの背後で誰に聞かせるでもなく、周囲にすいませんすいませんと頭を下げ続けるレスリーを見て、更にヴィヴィアナの機嫌は悪化する。
「あぁ~、外野は黙っててくれよっ。なぁ、なにに怯えてるのかは、なんとなく分かる。俺達は同じベルモスクだからな。言うなれば、兄弟みたいなもんだろ。色々辛い事があったんだよな? 俺もそうだったから……同じベルモスクの俺達は、そういうのを共有出来る筈だ。そうだろうっ?」
「はっ? 別にそれがアンタである必要ないじゃん。もういいでしょ? 私、ちゃんと忠告したし……レスリー?」
もう1度、このラウロと呼ばれる男を殴り飛ばして、店を出よう。そう決意して腕を引こうとするヴィヴィアナの先を制するように、レスリーが彼女の服の裾を掴む。なんのつもりかと、ヴィヴィアナが疑問を投げ掛けるようにレスリーを振り返ると、いつの間にか被り直していたフード姿で、いやいやと左右に首を振った。
「良いのではないか?」
そんなやり取りを傍から見ていたエステルが、腕を組んだまま他人事のように語り始める。
「まだこの者は、我々に危害を加えてないし、そのつもりもないようだ。本当に話をしたいだけなのであれば、そう邪険にする理由もあるまい」
「こんな場所でなにかあってからじゃ遅いでしょ。そもそもレスリーだって……」
「あのっ、そのっ……ヴィヴィ様、その……レスリーは少し、驚いてしまっただけで……も、もうっ、その、大丈夫ですので……」
ですので……そう締めくくるという事は、その先にも伝えたい内容があるという事だ。だが、ヴィヴィアナはもうその内容を薄々察している。ラウロが同じベルモスクだと口にした時に、レスリーの震えが止まっていた瞬間から。
そもそも、異端者隔離居住区を目指した当初の目的は、レスリーに同じベルモスク人と交流してもらって、マテウスだけが特別にレスリーに良くしているのではないという事を知ってもらいたかったからだ。それを踏まえるならば今、目の前にいる男は、渡りに船といえよう。
「レスリー殿も、もう落ち着いた様子。なにかあったとしても、2人に危害が及ぶ前に、必ずこの私が殲滅の蒼盾で守ろう」
背中に背負う大盾を拳で叩きながら、それと大差なく平たい胸を張るエステル。その言葉になんの反論も示そうとしないレスリーも、答えは決まっているようだった。因みに、殲滅の蒼盾とエステルが口にした瞬間、目の前に立つ男が表情を険しくして反応を示したが、3人は誰もそれに気づかない。
そんな中でヴィヴィアナは、なかなか踏ん切りが付かず、ボリボリと右手で雑にその赤味を帯びた茶髪をかき乱しながら、大きなため息を落とす。
「はぁ~……それで? どこよ?」
「……ん?」
「どこで話すのかって聞いてんのっ。まさかここで、このまま立ち話で続けようだなんて言うつもり?」
「あっ、あぁっ! 任せとけって、今から最高の席へ案内してやっから」
彼を先頭にして店のスペースの奥へと歩く間、一行は様々な野次を投げ掛けられる事になる。
「なんだよラウロ。上手くやりやがってよー」「ラウローッ。3人もいんなら1人ぐらいこっちに回せっ」「おう、ラウロこっちや、こっちっ。昨日の話の続き、聞かせてーなっ」
どの野次も、彼に対しての好意的な感情の表れのようで、全ての野次に彼女達と出会った時と同様の、お道化た仕草を交えながら声を返すラウロを見て、一応この酒場では顔の広い男なのだろうというのは、予想がついた。
そんな彼が向かった彼曰く最高の席とは、他の円卓テーブルと変わらない場所にある、なんの変哲もない席だった。まぁ、異端者隔離居住区にあるような酒場に、上等な個室が用意されている訳がない事ぐらいヴィヴィアナにも予想は付いていたが、その席に先客が腰掛けているのは予想外だった。
しかも相手は、白い肌と金髪の、どこからどう見てもエウレシア人男性である。
「ベルモスクがなんの用だ……ってラウロかよ? どおりで騒がしいわけだ。それにしても、女連れたぁ、いいご身分だな」
「へへっ、悪いなっ。故郷を離れて十数年、遂に出会っちまったのさ。運命って奴によぉ」
「相っ変わらず訳分かんねぇ奴だな。まぁいいか。座りたいんなら座れよ」
「いや、それがよ。実は彼女達が相席が苦手みたいでさ。悪いんだけど、この席を譲ってくれねぇか?」
「あぁ!? 俺に席を空けろっつーのかよっ!」
「本当にすまんっ! この埋め合わせは、絶対するからっ。なっ? いいだろっ? なっ?」
「……ちっ。燻製ウインナー4皿だ」
「かぁーっ! てめぇっ、足元見やがってこのっ。でもまぁ……そいつで手を打っとくわ。早速、1皿食べるんだろ? ここの燻製ウインナー、エールに合うもんなぁ? おーいっ、アーシアさんっ。コイツに燻製ウインナー1つ運んでやってくれよっ」
「はい、ただいま」
「じゃあな。どうなったか、後で俺にも聞かせろよ」
「おうっ。ありがとよっ、兄弟っ」
「誰がてめぇの兄弟だっ」
背中を向けたまま、中指を立てながら歩き去っていくエウレシア人の座っていた席へ、そのままラウロが収まる。彼は座ったまま顔を上げると、両手を広げながら、3人にも座るように促した。それに従って、ヴィヴィアナとエステル、そして空いた席へレスリーが腰掛けた。
「とりあえず、合羽は脱がねーか? 濡れたままの合羽で居座るってのは、店にも迷惑だからさ」
ラウロの言葉を受けてレスリーはエステルとヴィヴィアナ、2人の顔をそれぞれ見比べる。その表情に否定的な要素が混じっていないのを確認すると、素直に合羽を脱いで折り畳んだ。その横顔をジッと見つめるラウロは、やはりレスリーの美しさが見間違いではなかった事を確認出来て、1人興奮する。
「さぁ~っ、なにが食べたいっ? ここの料理は外の奴にも負けないぜ? 今日は俺の運命の出会い記念日って事で、奢りだ。3人共、好きなだけ食べてくれっ」
「へぇー……気前いいじゃん。だってさ、エステル」
「しかし、大丈夫なのか?」
「さぁ? 本人が言ってるんだし、大丈夫なんじゃないの?」
ヴィヴィアナはラウロに対して悪魔のような笑みを浮かべる。気分は、無垢で無知な新兵達へ、圧倒的な戦力を嗾ける悪徳領主だ。
「アンタの本気、見せてあげなよ」