賽の行方のみぞ知るその1
―――数十分前。バルアーノ領、ヴェネット、異端者隔離居住区大衆酒場内
風雨から逃れる為に彼女達が入った場所。そこは異端者隔離居住区の他の建物に比べると、不思議なほどに小綺麗で新しい、大型の酒場であった。まだ夕刻には少し早い、そんな時間だというのに酒場の中は盛況で、殆どの席が埋まっており、それぞれの卓で談笑に興じていたり、賭け事をしていたりしていた。
「どう? どこか座れそう?」
「3人分の席が空いてるような場所がなくてな……相席ならあるいは行けるのかもしれないが」
先行して酒場に入って店の入り口から様子を伺っていたエステルに、後から合流したヴィヴィアナが合羽を脱ぎながら声を掛ける。レスリーは合羽を着たまま彼女達の背後に隠れるようにしてピッタリと張り付き、フードを目深に被ったまま、オドオドと周囲に視線を配っていた。
「男と相席なんていやよ、私。次の店を探した方が早くない?」
「そうは言ってもこれで3軒目だからな……どうやらここが1番大きな酒場のようだし、ここで妥協するのが良いと思うのだが」
エステルの言うように、異端者隔離居住区という不慣れな場所で、休憩をする為に店を探して、たらい回しにされているような状況に、皆がいい加減嫌気がさしているのは確かだった。
彼女達が訪れた1軒目は、カウンター席しか用意されていないような小さな店に、人が敷き詰められているかのような状況だった為に選択の余地はなく、2軒目に至っては、店内から異臭が漂っていて、3人共入る気にすらならなかったような店だった。
このような店舗事情も、ここがどんな場所であるかを考えれば、別段に異様な事ではないのかもしれないが。
「それなら、もう帰ろうよ。異端者隔離居住区を見るって目的は果たしたし、別にここで休憩を取る必要もなくない?」
「うーむ。私はここの店の味も試してみたかったのだが、それも1つの選択ではあるな」
2人が今後の事を話している間中、レスリーは静かに周りの様子を伺っていた。レスリーが訪れた他のどんな場所よりも、自分と同じ肌と髪の色をした人々が、活き活きと大きな声で話し込んでいる姿を見るのが、彼女にとってはとても新鮮だった。
レスリーの知るベルモスク人は、自身程ではないにせよ、多かれ少なかれ、周囲に遠慮しながら、身を縮こまらせるようにして生きている者が殆どであったのだから。
もし、ドイル家ではなく最初からこの場所に生まれ落ちる事が出来れば、あるいは自分もあの輪の中に入る事が出来たのだろうか? と、ありもしない想像を膨らませるぐらいには、貴重な体験を楽しんでいた。
ただ、同時に不可解に思うのが、彼女がヴィヴィアナに聞いていたよりも、エウレシア人の割合が多い気がする事だ。店内には幾つもの円卓のテーブル席があるのだが、エウレシア人のテーブル、ベルモスク人のテーブルといった具合で、まるで勢力を分けるかのように真っ二つになっていた。
また、この店に入る前にも何人か、今にも風に飛ばされそうな襤褸を屋根代わりに、既に死んでいるかのように表情を失ったまま、呆然としている浮浪者のエウレシア人とベルモスク人を見かけている。
そして、そのような状態に陥ってもベルモスク人とエウレシア人は、境界を作るように住み分けていて、手を取り合おうとはしないのである。
そういう光景を見せ付けられて、やはり自身の住まう世界とマテウスやアイリーンが住まう世界は違うのだという事実を突き付けられているようで、棒立ちのまま項垂れるようにして顔を伏せるレスリー。
最近のレスリーは、アイリーンを避けるような行動を取り続けている。アイリーンの傍にいる事で、迂闊に彼女へ謝るような真似をしたくなかったからだ。自らの過ちを認めれば、マテウスを取り上げられてしまうような想いがあったからである。
未だに弱く、頭を下げる事でしか生きていく事が出来ないレスリーに、初めて出来た頭を下げたくない相手が、まさか自分の主になろうとは、我が事ながらもう少し意地になる相手は選べと、頭を抱えている所であった。
ただ、そんな失礼な態度を取り続けているにも関わらず、何故かマテウスはそれを叱責して来たりはせず、アイリーンも口出しをして来ないので、自身の意地や鞘の納め所を見失っているのが現状である。
(このままではいけない事は分かっていますが……でも、仮にアイリ様に謝っても、あの人とレスリーとでは住まう世界が違い過ぎて、今と大した変化が起こる訳でもないでしょうし……)
「おーい、お嬢さん達~。入るんですか~? 入らないんですか~?」
ウジウジと1人の世界に入り込んで思案していたレスリーの背後から、急に陽気なトーンの声で話し掛けられて、レスリーは文字通り少し飛び跳ねながら、エステルとヴィヴィアナの前方へと移動して、身を隠す。
「あっ、悪ぃ悪ぃ。ちょっと驚かしちまったかな? つっても、ここで立ち往生してると、他のお客の邪魔になっちまうぜ?」
話し掛けて来た男は、ベルモスク人だった。彫りが深いと表現するよりは、顔のあらゆるパーツが大きい男で、特に太い眉毛と顎髭に目が奪われてしまうような顔立ちなのだが、日々の手入れに余念がない為か、サラサラの黒い長髪をポニーテールのように後ろで括って一纏めにしているのを含めて、相手に清潔感のある好青年といった印象を抱かせる男だ。
「ゴメン。でも、店に入りたいのなら、そこの脇からでも何処からでも入れるでしょ。話し掛けないでくれる?」
「あっはっはっ。釣れないねぇ、釣れないねぇ。まぁ美女はそれぐらい気が強い方が素敵だよな。うん? それとも子連れって事はミセスとお呼びした方が良いのかな?」
ただ、それは黙っていればの話で、喋る度に喧しいぐらい表情がコロコロと変化し、身振り手振りが大げさな上に、話している間は一瞬たりとも動く事を止めようとしないので、陽気で調子のいい男、といった印象の方が強い男である。
「……子連れ?」
男の言葉の意味が分からず、怪訝な表情を浮かべるヴィヴィアナ。それに対して男は視線と掌でエステルを指し示すので、ようやく意味を理解する。それと同時に……
「こ……子供じゃないもんっ! ヴィヴィ殿よりも2歳も年上なんだぞっ、私はっ!」
「ありゃりゃっ。そいつぁ悪かったなぁ。つまり、君も立派なレディーって訳だ。そういや同じ制服着てるもんなぁ……どこのかは知らんけど。それに近づいてみると……ほうほう、確かに可憐な女性だ。雰囲気っていうのかねぇ? 大人の女の色香がある。これに気付かないとは俺も落ちぶれたもんだぜっ。この通りだ、許してくれっ」
「……まっ、まぁ……私のような大人の女になれば、同じような賞賛を受けた事もあるが……この辺で、許してやっても良いか」
「変な強がりは、よしなさいよ」
エステルの頭を軽く拳で小突くヴィヴィアナ。正直彼女としては、男との話など早く切り上げて帰りたかったのだが、どう話を切り上げようかと思案している間に、男の興味はエステルとレスリーの間から、フードを被ったままの顔を覗かせるレスリーへと移ったようだ。
「店内に入るなら合羽は厳禁だぜ? っと……」
男がひょいっと伸ばした手が、警戒心剥き出しのままのレスリーの頭を簡単に捕らえて、そのフードを剥ぎ取る。それに驚いたレスリーが、おっかなびっくりに相手を見上げる視線と、合羽の下を覗き込もうとしていた男の視線が交差する。
それと同時に、男は跪き、エステルとヴィヴィアナ越しにレスリーを見上げながら、どこからともなく取り出した一輪の花を掲げながら、こう口にした。
「俺と結婚してくれ」




