不吉な幕開けその4
「シドニー執行官っ!?」
「彼にこの情報を与えた所で、我々に不利益が及ぶ可能性は低いですからね。むしろ、技術交流会のタイミングで、このヴェネットに異端者ハンク・パーソンズが潜伏しているという事実……これを知って頂いた方が、此方に余計な手出しが出来なくなるのではないですか?」
「……そうだな。王女殿下の身の安全が俺の最優先事項だ。もう、マリルボーン孤児院のような失敗は御免だからな」
マテウスから自身の予想通りの答えが返って来た事で、シドニーは鼻を鳴らすようにして嘲笑する。だが、どんなに蔑まれようとも、マテウスは自身の行動理念を曲げるつもりはなかったので、この挑発的な行為にも微動だにしない。
「そんな……それこそ愚の骨頂でしょう」
そのやり取りに口を挟むのは、シンディーだ。
「確かにあのハンク・パーソンズであれば、その私怨が貴方方に向けられる可能性は高い。警護を固めるのも重要でしょう。しかし、先程のマテウスさんの言葉を借りるなら、貴方がこの技術交流会の間中、王女殿下のお傍で警護を続けるのは難しいのでしょう? だからこそ、先んじてハンク・パーソンズを探し出し、後顧の憂いを断つという考え方もあるのではないですか?」
「勿論、本格的に敵対するのであれば、出向いた方がいいのは分かる。剣を振り回す場所に、王女殿下の傍を選ぶほどボケちゃいない。だがな……当て所もなく探し回るのは御免だと言ってるんだよ。犯人捜しは俺の仕事じゃなくて、君達の仕事だろ?」
「素晴らしい。女王の飼い犬らしい、模範解答です」
「舞台なんて眺めてないで、とっとと働いてくれよ。クレシオンの猟犬」
売り言葉に買い言葉。マテウスとしては先に突っかかって来たから、反射的に返してしまっただけなので、それで殺気立つのは勘弁してもらいたい所だ。それが分かってるのか、辟易とした表情で両手を広げながら肩を竦める仕草をするマテウスに対して、シドニーは小さく舌打ちを零すだけで、それ以上、口を挟もうとはしなかった。
「わ、私達もただ、ここで遊んでいる訳ではありません。この劇場へ訪れたのは、ヨーゼフ枢機卿猊下が今回の舞台を観覧されるという事なので、その護衛の増援と、今後の動向の交渉を兼ねて、この場にいるのです」
「ヨーゼフ……神興局副局長のヨーゼフ・クラウゼンの事か。異端者を追い詰めるのが君達の仕事だろうに、他局の要人護衛まで請け負うとは、働き者だな」
「……事情の全てを聞かない内から、皮肉は止してください。というのも、神興局の戦力の多くは、技術交流会の会場の警備に回されているんです。その上、ヴェネット全体の警備には、オーウェン公の申し出により、黒羊毛騎士団までも駆り出されている状態でして……先にあのような事件があった事を鑑みれればば、警戒のし過ぎ、という事もないんでしょうけど、お陰で人手不足なんですよ」
シンディーが口にしたあのような事件というのは、理力付与技術研究所アンバルシア支部での事件の事だ。平常から神興局が警備を担当していたにも関わらず、暁の血盟団と呼ばれる、まだ名も知られてない指定異教団体に、理力付与研究所を全壊させられるという大失態。
当然、暁の血盟団の関係者は1人残らず、残酷な拷問の後に火刑に処されたのだが、それでも教会の威信を揺るがす出来事だったといえよう。だからこそ、今回の技術交流会では、そんな不心得な輩が2度と現れないように、必要以上の警戒を敷いているのである。
だがそれにしても、クレシオン教会が国際的な場において、警備の協力を教会以外の勢力である黒羊毛騎士団に委ねるなど……度が過ぎているように、マテウスは感じた。
「……理屈は分かったが、少し不可解だな。なんで今回の技術交流会に限ってなんだ?」
「なんでって……技術交流会は、国外からも多くの要人が集う重要な場。警備に力を入れるのは、なにも不可解な所はない筈ですが?」
「いや……先の事件で、理力付与技術研究所が襲撃されたんだから、別の理力付与技術研究所の警備が増強された事で、人手が不足している……これなら、俺も疑問を挟む余地はないんだがな。なんで今回の技術交流会に限っては、ヴェネット全体の警備に人員を割けない程の警備を、まだ開催してもない会場の方に回しているんだ?」
「それは……」「……チッ」
マテウスの問いにシンディーは押し黙り、シドニーが小さく舌打ちを零す。その反応を見て、マテウスの内なる小さな疑念が、確信へと変わっていく。
「先の事件から、今回の技術交流会が何者かに狙われると予想するに足る、なにかを得ているんだな? 君達は」
「……詳しくはお伝え出来ませんが、そう捉えて頂いて構いません」
「ハッ……冗談キツイぜ」
もし、マテウスが先にその情報を得ていたならば、絶対にアイリーン達をこんな会場に近づかせたりはしなかったのに……だが現実には、彼の立場では、どう逆立ちしても情報を得る手段はなく、呑気にも先のような事件が起こる可能性が高い会場へと、アイリーン達を導いてしまっていたのだ。悪態の1つも零したくなる状況である。
「まぁ良い……いや、良くはないか。だが、ようやく理解は出来た。そこでハンク・パーソンズに繋がるのか」
マテウスは、先の事件が今回の技術交流会とどう繋がっているのかは知る由もなかったが、先の事件の首謀者である暁の血盟団と、アイリーンの誘拐未遂事件を引き起こしたハンク・パーソンズが率いた、カナーンとの共通点は知っていた。
ドミニク、ツバキ、騎士鎧<パーシヴァル>を操っていた2人、そしてマテウスの旧友であるベルモスク人、デニス……暁の血盟団とカナーン、そのどちらにも戦闘技術や武器を提供し、異端に手を貸した、自らを教官と名乗る者達の事を。
そしてこの事実は全て、理力付与技術研究所の事件の後、ノリッジ病院でシドニーに事情聴取を受けた際に伝えている。だから、教会の上層部はともかく、現場の彼女達はハンク・パーソンズの動向に、強い警戒心を抱いているのだ。
「そうです。クレシオン教会の勢力が犇めくこのタイミングで、彼がヴェネットに潜伏しているのには、必ずなにかしらの理由がある筈です。機先を制して、彼を捕縛する事が出来れば、事件を未然に防ぐ事だって出来るかもしれません」
「君の言い分は分かったし、協力する価値はありそうだ……だがそれでも、俺の最優先事項に変わりはない。一応、王女殿下にお伺いは立てておくが、余り期待はしないでくれ」
マテウスがそう告げると、シンディーが失望の色が混じった吐息を溢す。それと同時に遠くで鳴り響いていた鐘の音が止んで、会場の内で拍手が起こる。どうやら、ようやく幕が上がったようだ。
「行きましょう、シンディー審問官。これ以上はなにを言っても平行線です」
「……そうですね。マテウスさんも戻らないんですか?」
「いや……今、そんな気分じゃなくてな。もうしばらく、ここで休んでからにするよ。それにしても……随分、開演に時間が掛かったな」
ホールの壁に吊るされている大時計を眺めながら、マテウスがぼやくように呟く。予定より、15分遅れの開演。短気な者がいれば、騒ぎになってもおかしくはない。
「あぁ、それは恐らく、鐘の音が止むのを待っていたのでしょう。今日の舞台は、開幕直後に1つの見せ場がありますから。それが鐘の音に邪魔されるような事があれば、折角の舞台なのに白けてしまいますからね」
「そうなのか……ただの時報の鐘の音かと思ってたんだが、その割には随分長かったな。なにかの警鐘だったのか? あれは」
「それは……」
「異端者隔離居住区の鐘の音ですよ」
舞台が始まったというのに、再び話し込もうとする2人に、少し苛ついた態度でシドニーが口を挟んだ。
「……異端者隔離居住区?」
「正しくは、異端者隔離居住区に繋がる跳ね橋が上がる時に鳴る警鐘です。ここ連日の雨による増水で、しばらく桟橋が使えなくなるから、長めに鳴らしたんでしょう。迷惑な話だ」
マテウスは、そう告げるのを最後に、並んで会場内へと戻っていく2人の背中から視線を外し、雨脚が強くなっていく外の景色を眺めながら、今後の事を考えて、重い溜め息を零した。