不吉な幕開けその3
「確か、シドニーだったな。どうして君は顔を合わせる度に喧嘩腰なんだ? マリルボーン孤児院の時も、ノリッジ病院の時も、俺は随分と君に協力したつもりだったんだがな」
「当然の事をしただけで評価しろとは、なんたる不遜。貴方は生きとし生ける者が呼吸をする事を、わざわざ賞賛して回れと私に仰るつもりか?」
「シドニー執行官、その辺にしておいて貰えますか? 彼は敬虔な信徒ではありませんが、私達の教義に逆らうような異端は犯していません。いずれ信徒として、共に歩む事も出来る、大切な神の子の一人なのですから」
剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、シドニーとマテウスの間に割って入るシンディー。そのままシドニーの胸板辺りを押して、マテウスと距離を取らせると、2人を交互に見返す。
「それに、今回の件。もしかしたらまた、彼とは協力関係を築く事になるかもしれません。いがみ合うような真似はよしましょう」
「……こっちにも色々事情があって、前回のようにはいかないだろうがな。それに、これでも最近は神に祈りを捧げてるんだ。俺の中に芽生えた信仰心を、取り出してお見せ出来ないのが、残念だよ」
マテウスの茶化した物言いが気に入らないのか、小さく舌打ちをするシドニー。シンディーはそれに気付いて、とにかく話題を反らす為に、たちまち思いついた内容を考えもなしに口にする。
「と、所でっ……マテウスさんの方こそ、なんの用事でヴェネットに足を運んだんですか? そもそも、舞台なんて1つも興味なさそうなのに……やはり、王女殿下となにか御関係が?」
「……御関係もなにも、この似合わない正装をプライベートでやってるように見えるか?」
「アハハハッ! 確かにっ……失礼しました」
「……いいから、シンディー審問官の問いに答えなさい」
「技術交流会にアイリーン王女殿下が招待されててな。その護衛、赤鳳騎士団の付き添いって事になっている」
「付き添い? 貴方はアイリーン王女殿下の護衛ではないんですか?」
「そこがまた、説明しようとするとややこしくてな……」
叙任の儀式を終えたマテウスは、内々にはアイリーンの騎士なのだが、世間一般的には王国に仕える騎士という事になっている。未婚の女性に、その専属男性騎士……そういう組み合わせでトラブルが起こった前例が決して少なくないからだ。
それこそ、今回の舞台の題材も、未婚の姫に仕える男騎士が主人公である。2人はお互いを想い合っているが、その事で姫の父である国王から疎まれ、無理難題を次々と吹っ掛けられる。それを仲間達と力を合わせて解決していき、最終的に2人は結ばれるという話の一部を舞台用に切り取ったものが、今回の講演内容だ。
とにかく、世間からすれば、婚期を迎えた女性に1人の男騎士が主従を誓うというのは、そういう根も葉もない噂の原因になりかねない。特にアイリーンの結婚は、外交政策の一部であり、国の行く末を決めると評しても過大ではない程、重要な案件だ。
だからこそマテウスは、王国に仕える騎士でありながら、赤鳳騎士団に付き添う教官役として、アイリーンの護衛を補佐を兼任している……ような役割を演じている。あくまでアイリーンの護衛は、赤鳳騎士団の彼女達が主力なのだ。
「そういう事だから、こういう場では、彼女の傍に張り付くような護衛は避けているんだよ。変な噂は立てないに越したことはないからな。それに彼女の傍には大抵パメラが控えている。赤鳳騎士団も皆、力を付けて来たし、俺の力が必要な場面なんてそうそうないだろう」
「……難しい立場、なのは伝わりました。ただ貴方の言葉が本当ならば、やはり私達に協力する時間もある、という事でいいんですよね?」
「なんにせよ、王女殿下にお伺いを立ててからという事になるな。そもそも、さっきから俺になにをやらせようとしてるんだ?」
「やめましょう、シンディー審問官。こんな不信心な輩を招き入れては、我々の結束が乱れるし、ひいては情報の漏洩に繋がる」
「ハハッ、全く同意見だ。俺だって暇じゃないんでな。そうして貰った方が助かるよ」
「チッ……イチイチ癇に障る男ですね。そもそも彼女がこんな場所まで足を運ぶ事になった理由は、貴方にあるんですよ?」
「そりゃ初耳だな。そもそも俺は、そこら辺の事情を彼女の口から聞きたいんだ、シドニー執行官殿。いい加減、突っかかるのは止してくれ。話が進まないだろう? シンディー、君からも……」
仲裁を頼もうとシンディーへと向き直るマテウス。その時、彼の目に映ったシンディーは、ハッキリと分かる位に顔を赤く上気させていた。そんなシンディーの変化に気付かないシドニーは、表情に露骨な嫌悪感を滲ませながら、再びマテウスへと詰め寄っていく。
「話が進まない? 察しの悪い人だ。進める必要がないから、私が口を挟んでいるんですよ」
「ちょっ、ちょっと待て。あれだっ、あれを見ろ」
詰め寄って来るシドニーを両手で抑えながら、顎を使ってシンディーのいる方を示す。それすらも気に入らないのか、渋々と言った表情で振り返った彼の瞳に、邪教の経典でも読み上げているかのように、異様な雰囲気でブツブツと独り言を漏らしているシンディーの姿が映る。
「衆道を卒業した中年男に迫る、ギラギラとした若い情熱っ。まさかこれって、これって、もしかしなくても、新しいカップリング誕生の瞬間なのでは? シドニー執行官は間違いないく、年下クール鬼畜の総攻めっ! きっとダグさんからマテウスさんを寝取る為に、彼を虜にしてしまうような、寝技を披露してくれるに違いありませんっ。でも待って、ちょっと待ってっ。そうなると、マテウスさんがオヤジマッチョ受け? 勿論その可能性は捨てきれませんが、普段は若さと勢いでグイグイ迫っていくシドニー執行官が、ベットの上ではマテウスさんの手練手管に悶えるというシチュも悪くない……悪くないんですよっ」
「お……おい、シンディー? 大丈夫か?」
「はっ? はいっ!? ちょっと待って。待ってくださいっ! 今、捗り過ぎて……私の中で戦争がっ、戦争が起こりそうなんですっ。どっち? どっちなんですかっ!? 正直に言わないと、捕まえますよっ!」
「……お前が捕まっちまえよ」「……とりあえず、鼻血が出ているので、これでお拭きください」
シドニーから受け取ったハンカチで、鼻から零れ落ちた血を拭うシンディー。彼女の姿を見て完全に毒気を抜かれた2人が、同時に大きな溜め息を零す。
「もう止めよう。俺には教会に敵対する理由がない。気に障った言動が多かったのなら謝罪する」
「そうですね。協力を仰ぐかどうかは一先ず置いておくとして、今までの貴方の貢献を鑑みて、その言葉は信用にたるとしておきましょう」
切っ掛けは腐っていたが、一先ずの休戦を得た2人。とりあえず、話はシンディーが正気を取り戻してからだろうと、弛緩していたマテウスの横で、シドニーが再び口を開く。
「……ハンク・パーソンズを覚えていますか?」
「忘れるわけがない」
カナーンに資金提供して王女親衛隊兵舎へ襲撃させ、王女殿下誘拐未遂を指示した実質の首謀者。N&P社の元取締役。マテウス達との直接の面識はないが、因縁深い相手の名前だ。
「彼がこの街に潜伏しているという情報を得たんです。我々は、それを追ってここに来ました」
その情報を聞いた瞬間、マテウスの眉間に深い皺が寄る。自らの判断ミスから、アイリーンやまだ騎士にもなっていない彼女達を危険に晒してしまったあの事件を思い出して……そんな危機が再び身近に迫っているのだと感じて、言い知れぬ胸騒ぎを覚えたのだ。




