郷に入って君に従ってその3
「マテウス。そろそろ時間だけど、準備は出来たのかしら?」
「君を残して滞りなく、な。随分時間を掛けたな」
「そうかな? 会場前の準備って、これぐらいの時間は掛かるものだけれど」
鮮やかな青色をしたロングスカートの裾を踏まないように、その後部をパメラに持たせながら、慎重な足取りで階段を下りて来るアイリーン。シンプルなデザインのマーメイドドレスなのだが、胸元と背中が大胆に開いていて、傷は勿論、シミひとつない白い素肌はドレスの一部のようで、自然と視線が奪われていく。
その上、肩から背中、そのまま足元までを、同色でシースルーのワトートレーンが垂れ下がっており、素肌の露出を抑えて、少し大人びた貞淑さを演出していた。
彼女の姿は、階段の下で見上げていたマテウスに、彼の記憶の奥底にあった義妹の姿を思い起こさせ、椅子に腰掛けたまま眺めていたフィオナの魂を奪い、彼女の自尊心を軽く打ち砕くのだった。
「それよりもマテウス……貴方、その格好……」
そんな2人の心境は露知らず、アイリーンは普段通り、触れ合うような距離までマテウスに近づいて、下から彼の顔を覗き込んだ。フィオナと同じように、彼の周囲をくるくると子犬のように回って、マテウスの姿を具に観察する。
その様子を眺めていたフィオナは、マテウスがまた笑い飛ばされるだろう事を予想して憐憫の眼差しを送り、マテウス自身も運命に抗おうとはせず、死に体を晒していたのだが、2人の予想は大きく外れる事となる。
「素敵よ。とっても格好良くて、よく似合ってると思う。流石、私の騎士ねっ」
「えぇ~……」
言い終えると共にマテウスの懐に飛び込んで、胸板に両手を乗せながら、その間に顔を埋めて、頬擦りを繰り返すアイリーン。その信じられない光景に、フィオナは眉根を潜めながら、低い声を漏らした。
「そうか。お褒めの言葉は嬉しいが、少し離れてくれるか? 折角の君の衣装が乱れると困るだろう?」
「きゃんっ!? もうっ、急に触らないでって言ってるのにっ。マテウスの馬鹿っ」
「「えぇ~……」」
再び漏れたフィオナの低い声に、マテウスの同じ声が重なる。その間、マテウスが両肩に触れた瞬間、飛び跳ねるようにして距離を置いたアイリーンは、顔を真っ赤にしながら抗議を続けていた。
「それに、マテウス。貴方も私に、言い忘れている事があるんじゃないの?」
「なんの話だ?」
「それはっ……」
アイリーンはその先を続けようとして、ハッとなにかに気付くと、急に口を閉ざす。彼女が考え込んでいる最中、静かに続きを待っていたマテウスだったが、アイリーンが続けた言葉の内容は、全く別の話題へと変わっていった。
「そのっ、なんでもない。それよりも、他の皆はどうしたの? 姿が見えないみたいだけれども」
「あの3人の事なら、出掛けてるよ。休養にしたからな。好きにするそうだ」
「そっか。いいなぁ~……そっちも楽しそうだなぁ」
「なにゆーてん、アイリちゃんっ。ウチ等もマーティン様の演劇がVIP席で見れるんやろ? 楽しまんとっ」
「確かにそうね。ずっと習い事ばっかりだったから、演劇なんて久しぶり……わっ、フィオナ可愛いっ。どうしたの? そのドレス」
今までずっとマテウスに視線を奪われていたり、考え込んでしまっていた為、ようやく彼女の視界にフィオナが映ったらしい。そして、フィオナの可愛らしい姿を見た事で、興奮気味に駆け寄る。それに合わせて、ドレスの裾を持ち上げながら、無言で付き従うパメラの姿が少し不憫だ。
「今更かいなっ! まぁ、えぇけど。これ、ヴァ―ミリオンさんのこの夏の新作なんよ。見てっ、背中とか凝っててめっちゃ可愛いやろっ」
「わぁ~っ……素敵っ! 可愛い可愛いっ! それに色もこうして見ると、やっぱり赤のが良かったかなぁ~。そうすれば私達お揃いだったのにっ」
「お揃いは確かに楽しそうやけど……アイリちゃんのドレスはロングやし、元々スタイルええから、今の寒色系の色のが合うんやないかなぁ? ほら、ウチのは丈が膝上やから、膨張効果で、ドレス部分は少し盛って見えるし、足の方は気持ち細う見えるようになっとるんよっ」
「そうなんだ? なんか凄いねっ。フィオナってもしかして、ドレスとかその髪とかも、自分で選んでるの? 私は、その……されるがままに任せているから……フィオナみたいに自分でドレスを選べて、しかも可愛いのって凄いと思うっ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、アイリちゃんの場合、素材が良すぎるから、それでも犯罪的に可愛いっていうか……それに、仕上げとか細かい所は、ウチも手伝って貰ってるし」
「でもでも私っ、今度は絶対フィオナと一緒に……」
「おい、時間も頃合いだし、そろそろ切り上げて行かないか?」
2人の会話が途切れるのを待っていたマテウスだったが、女同士の会話だけあって、途切れるどころか間に入るタイミングすらもなく、仕方ないので声を張り上げながら、強引に割り込むようにして会話を断ち切る。
「もうっ、いい所だったのに~」「マテウスはんって本当に空気読めへんなぁ」
「続きをしたいのなら、移動中の馬車の中ででもすればいいだろう?」
「「なら、マテウス(はん)だけで先に行っててっ」」
「……分かったよ。今はまだ余裕があるが、限界は守って貰うからな?」
そう言い残して、壁に掛けてあった合羽を再び纏い、外へと姿を消していくマテウスを完全に見送った後、再び先に口を開いたのは、フィオナの方であった。
「どうして、マテウスはんに言わんかったん?」
「えっ? なんの事?」
「ウチに恍けんでもええって。マテウスはんにドレスの事、褒めて欲しかったんやろ?」
途中、アイリーンがマテウスに伝えようとして、言い淀み、そのままになっていた言葉の先を、フィオナは的確に勘づいていた。そんな自身の秘密をフィオナに言い当てられて、アイリーンは少し顔を赤らめながら、バツが悪そうに舌を伸ばす。
「フィオナの言う通りなんだけど……その、マテウスに私の我が儘で、私の言って欲しい事を押し付けるのって……やっぱ悪いかなって、最近思ってね? だから、我慢しようってなって……ひゃうんっ!?」
豊かな胸の手前で、やり場のない内なる想いを表現するように、視線を落としながら両手の指先を絡めては解いてと繰り返すアイリーンの横腹を、遠慮も予告の1つもないまま、両手を使って鷲掴みにするフィオナ。
その直後、くすぐったそうに身体を捻って逃れた後に、フィオナから距離を置き、両腕で自らを抱き締めながら、もう一度フィオナへと向き直るアイリーン。そうすると、彼女のウエストに逆らうように突き出た胸部が強調されて見えて、フィオナの悪戯心を更に擽った。
「もうっ、フィオナッ。私は真面目な話をしてるのにっ、どーしてそんな事するのよっ」
「いや……なんや、いじらしくて可愛い生き物やなぁ~って思うと、急に意地悪しとうなってな? それにしてもほっそっ。感触的にコルセットやったけど、そこまで細うなるん?」
「それは、ルイーザがやってくれたからで……あんっ、ぃやっ……そこぉっ!」
「柔らかっ!? めっちゃ柔らかっ! なにこれっ? こっちは詰め物もなんも入れてないからなん? ドレス越しでこんな大きくて柔らかいとか、嘘やろっ? これがウチに着いてるのと同じモノとか、絶対認められへん~」
「もうっ、あっ……あんっ……駄目っ。駄目だってばぁっ! パメラッ、見てないで助けてよぉ~!!」
好き放題に自身の胸を揉みしだくフィオナの両手を強引に振りほどいて、真後ろに佇んだままだったパメラの背後に避難するアイリーン。その後、お仕置きを怖がり、物陰に身を隠す幼子のようにパメラの背中に身を寄せ、体を縮こまらせながら息を整える。
「いやっ、そのっ……ちょっと夢中になってやり過ぎたから、反省してるっちゅーか、許してくれたら嬉しいなぁ~って……」
その展開に、慌てたのはフィオナだ。全くなにを考えているのか分からないものの、アイリーンの為なら、人を殺める事も厭わない無表情女にジッと見詰められて、涼しい筈の背中に嫌な汗が一筋流れる。
しかし、パメラはフィオナを手に掛けようとはせず、人を殺す時と変わらぬ全くの無表情のまま、アイリーンからは見えない角度で右手を腹部辺りまで上げて、フィオナに見えるように親指を立てる。
所謂、グッジョブ。b
(あっ、こういうのは、ありなんやね……)
それを見て、ますますパメラに対する謎が深まるフィオナであった。




