晴天に響くは蒼の轟きその1
「来たな、悪辣非道の権化。マテウス・ルーベンス」
マテウスが装具を整えて帰ってきたとき、エステルは更に激昂していた。彼はそれを父親の仇を前にして、感情が更に高まっているのだと勘違いした。
「君にはそう言われても仕方がないと、思っている」
「認めるのか。まさか、教え子にあんな装備(女使用人服)を与えて楽しんでいるとはな」
マテウスは初め、なんの話に移ったのか理解できなかったが、レスリーのすがるような視線に気付いて事情を察した。レスリーに未だマトモな装具を与えてやれてない現状を、糾弾されているのだろうと。
「楽しんでいる訳じゃないが、なにぶん資金がなくてな。彼女に渡した物(防具)も、自分が使わなくなった物を改修して、サイズを合わせた物なんだが……」
「な、なに? ではアレ(女使用人服)は元々、卿の物だというのか?」
エステルは、レスリーの女使用人服を上から下まで見つめて、ゴクリと生唾を飲み込む。彼女の脳内には、壮絶で凄惨なマテウスの立ち姿が浮かんだ。しかし、マテウスにはそれを知る由がない。
「あぁ、そうだ。入門用には(防具の能力的に)、悪くない一品だよ」
「(着心地が)わ、悪くないだとっ!? まさか、この決闘の後、私にも(女使用人服を)着せようというのではあるまいな?」
「勿論(防具は)着てもらう事になるだろうが、君は既に1級品を揃えているんじゃないのか?」
「わ、私がそのような物(1級品の女使用人服)、持っているわけなかろうがっ! やはりこの決闘、負ける訳にはいかんな。父の誇りと、私自身の名誉の為にっ!」
「なにか激しい誤解がありそうだが……まぁ決闘には変わりはない。やろうか」
マテウスは左腕に抱えていた頬と後頭部を覆う兜を被って、右手に持っていた槍を構えた。真っ直ぐ伸びた穂先を含めて、黒い槍。それを右脇に抱えて、左手を上から添えて、穂先を地面に触れそうになるまで下げる。
篭手と足の装具は揃えたが、胸当てはただのプレートだ。エステルに比べれば軽装といえたが、ジェロームとの決闘を思えば随分マシな戦力差である。だが、あの時と決定的に違う事が1つ。それは、エステルが持つ大盾が、上位装具であるという事だ。
「正式な決闘でないからな。立会人はいない。君から好きに始めるといい」
「むぅ……その油断、後悔するな」
対するエステルは大盾を前にして顔の下で斜に構え、左手のソードブレイカーは腰辺りに下げて、ナイフのように順手で掴む。その構えを崩さないまま、ジリジリとマテウスとの距離を詰めていく。
その距離がマテウスの槍の穂先と後2歩まで近づいた瞬間、邪魔にならぬようにと、呼吸すらも飲み込んで2人を見つめていたレスリーの視界から、エステルの姿が掻き消えた。
だが、マテウスの槍はそんなエステルの顔を、正確に捕らえる。紫電一閃。その閃きをエステルは小さな身を更に屈めながら、大盾を使って上へと反らした。
マテウスはそれに逆らわず、右肘辺りを使って柄を押し出して、槍の底部でエステルの左腹部を薙ぎ払うように振り抜く。それをエステルはソードブレイカーで打け止め、マテウスの懐に滑り込んでくる。
間合いは完全にエステル優位。エステルは大盾を使ってスマッシュを放つようなシールドバッシュでマテウスの脇腹を狙うが、これをマテウスは足で受け止めた。それと同時に大盾が光を帯びる。瞬間、マテウスは危険を感じて足の装具を理力解放。大盾を蹴って空へと後退した。
バァァンッ!! と、耳を劈く大量の火薬が爆発したような破裂音と同時に、黒煙が吹き上がる。黒煙の向こう、マテウスが直前までいたその場所は、エステルの大盾より先がクレーターのようになって抉れていた。
(なにが剣の錆だ。あんなの喰らったら跡形も残らんぞ)
空中で装具を使って身体を制動しながら、空気を蹴ってエステルから離れて着地する。エステルは再び一足飛びでマテウスへと近づいてきた。この移動速度のタネ明かしは、彼女が纏う足の装具の理力解放なのだろうが、開幕の突進といい、この場面といい、足の装具から大盾への理力を解除から解放するまでの流れが、抜きん出て速い。
複数の装具を使いこなす上での必須技術だが、ここまでの使い手になるのにどれだけの月日を努力に費やしたのか、推し量れようというものだ。
マテウスはその実力に更に迫ろうと、エステルの身体を射抜く一突きに、先程よりも強い力を込めて放った。正面から受け止めれば、彼女の体躯ごと突き飛ばすであろうその一撃を、彼女はそれでも正面から大盾を構えて立ち向かう。
大盾の底から光の杭が3本、広がるように伸びて楔となって大地に突き刺さる。轍を残しながら少し後ろへ滑るが、150cmに満たない痩躯で見事に、マテウスの一撃を受け止めてみせたのだ。
まだ余力を残した一突きとはいえ、エステルの痩躯で自身の攻撃を、正面から受け止める姿を想像してなったマテウスは、表情へ出さず、静かに驚く。その動揺とも呼べない隙を付いて、エステルのソードブレイカーが槍の穂を絡め取る。
エステルがマテウスの懐に滑り込めば、そこは再び彼女の間合い。右腕を上げて、大盾を屋根のようにして構えながら、マテウスの視界から身体を隠し、大盾の底部でマテウスの腹部を抉ろうと大きく踏み込んだ。
マテウスは左篭手の理力解放。輝く障壁を顕在させてエステルの大盾を受け止めた。同時に絡め取られた槍の制御を、右腕一本で半回転させながら奪い返し、短く逆手で持ち直す。その回転の勢いを利用して槍の柄を使って、エステルの左腹部に突きを放つ。
エステルは盾もソードブレーカーも間に合わないと判断すると、その突きを鎧でもって受け止めた。マテウスの怪力に身体が吹き飛びそうなのを、身を沈めて、両足を踏ん張って堪え切る。
そして、マテウスの眼前で大盾の理力解放。再び大盾が輝きを放つのを見て、マテウスが先に槍を引き、槍でもって下から大盾を救い上げ、膝を折って身体を海老反りに下げ、回避行動を取った。
再び爆裂音。あと一瞬でも、マテウスの判断が遅れれば、彼の顔は消し飛んでいただろう。至近距離での破裂で、強烈な耳鳴りが残り、それに顔を顰めるマテウス。歯を食いしばり、海老反りの体勢のまま左手で地面を着き体を支え、右腕で槍を振るいながら反動で上体を前へ倒し、そのまま槍を使ってエステルの足元を横薙ぎに払う。
エステルはこの足払いを喰らって、綺麗に宙を舞った。追撃に身体を起こすマテウスを確認すると、身体を捻って大盾を地面に向けて着地、同時に理力解放をする。3度の爆裂音と共に、マテウスの視界からエステルの身体が隠れる。
エステルは爆発の反動を利用して、ゴムボールのように弾んでマテウスから距離を取っていた。両足とソードブレーカーを寝かせて掴む左手で、身体を支えて、着地する。
「<エウレシアの盾>。これほどとはな。攻守に隙がない」
マテウスが声を掛けた時には、すでにエステルは構えは立ち合い当初に戻っていた。激しい斬り合いであったにも関わらず、彼女の息は切れていない。
「世辞はいい。どうして槍(の理力解放)を使わない。手を抜いているのか?」
「そうは言ってもな。これも上位装具だ。使って、君に怪我をされても困る」
「愚弄してっ。正式でないとはいえ、真剣勝負の筈だっ!」
勿論エステルの実力は素晴らしかったが、マテウスはまだ余力を残していた。それは彼の目的がエステルの実力を計る為であって、決闘そのものの勝利ではないからだ。そして、彼自身が口にしたように、彼女を親衛隊に入隊させるに当たって、可能ならば怪我をさせたくなかったというのもある。
しかし、エステルからすればそれは、屈辱以外の何物でもなかった。そんな彼女の言葉に、マテウスも心を改める必要があると悟る。実力は見て取れた。後は、少々の怪我なら勲章として受け取って貰おう。そう、マテウスは開き直る事にした。
「分かったよ。しかし、この黒閃槍。加減は出来かねるぞ?」
「来い。アマーリアの名と共に受け継がれし家宝、殲滅の蒼盾が受けて立つ」
エステルがソードブレイカーを地面に突き立てる。空いた左手で大盾の理力倉を交換し始めた。大盾の内側にあるのだろう。ガチャッと理力倉を嵌め直した音が響いて、装填が完了。ソードブレイカーを構え直した。
その様子を見送りながら、マテウスが黒閃槍を理力解放すると、槍の穂が黒く輝き始める。彼はその輝いた穂先を、無造作にエステルへと向けた。立ち合い当初と違う構えに、疑問を覚えるエステル。彼女が盾の向こうから覗き込むようにして、視線を穂先に集中させていると、突然にそこへ輝きが収束し、黒い熱線となって彼女に襲い掛かった。
大盾がその熱線を受け止めるが、エステルは大盾が熱線を受け止めるまで、熱線をそれと認識できなかった。自分の意思で防いだのではなく、気付いたら大盾が防いでくれたが、正しい。
もし熱線が大盾ではなく、彼女の身体の一部を狙っていたものだったら、彼女は反応できずに熱線に身体を貫かれていただろう。勿論、マテウスは、不意打ちでエステルを傷つけるのを嫌って、大盾を狙って熱線を放ったのだ。
マテウスはエステルを試すように次々熱線を放つが、その速度と軌道が分かっていれば、彼女は敏捷な反応を見せた。理力解放された大盾を使って、次々と熱線を退ける。しかし、離れた間合いでは、彼女は的になるだけだ。
危険へと踏み込む勇気を試される局面で、彼女はすぐさま行動に移してみせる。大盾を前面に構えながら、正面からマテウスへと疾駆したのだ。熱線を警戒する為に大盾の理力を解除できない今、彼女の前進は、足の装具の力に頼っていない。
だから、マテウスの槍の間合いで、捕まるのは避けられなかった。エステルは、真っ直ぐ放たれたマテウスの突きを辛うじて捌くが、返す刃が再び彼女を襲う。それをまた大盾で弾き返す。
そうして激しい打ち合いが続いた。体力的、腕力的に劣るであろうエステルは、マテウスの槍衾のような苛烈な突きと殴打を、その技術で持って見事に反らして耐えていたが、距離にして後3歩。彼女の間合いへ踏み込めないでいた。
(アマーリアの盾は己を護る為にあらず。己を死地に陥れて後生く為にありっ!)
幼少の頃からその内に刻み込んでいたアマーリアの家訓が彼女を奮い立たせる。危険に身を投じ、殲滅の蒼盾でその全てを受け止めて、あらゆる災いから国を護り、なお生き残って活路を見出す。彼女は、そう言い聞かされて育ってきた。
危険を背負い、前へ、ただ前へ。エステルの決意の1歩が、マテウスに迫ろうとしてた。