穏やかな庭園その2
噴水で打ち上げられた水が、重力に従って水面へと降り注ぐ。強い日差しがそれに反射して、小さな虹を描くさまを、カモミールティーを啜りながら眺める人影が2人。ゼノヴィアとロザリアだ。使用人達に紅茶を用意させた後、庭園周辺の人払いを告げているので、他に人の姿はない。
外は真夏の陽気で茹だるほどの暑さなのだろうが、この場所はテーブル中央から伸びる日傘が日差しを遮ってくれるし、噴水が近い事もあってか、涼しいぐらいのそよ風が流れていくので、避暑地としては申し分のないロケーションであった。
(私はダージリンの気分だったのですが……)
ゼノヴィアは言葉にせずにボヤキながら、もう1度紅茶を啜り、覗き見るようにロザリアへと視線を運ぶ。そうする度に彼女は、張り付いているかのような美しい笑みを浮かべて見詰め返してくるので、ゼノヴィアは気まずくなって先に視線を泳がせてしまうのだ。
「薬……」
「はひっ?」
今の今までずっと黙っていたのに、急に話し掛けられた事に驚いて、声が裏返ってしまうゼノヴィア。その事に自ら気付いて羞恥で顔を真っ赤に染めるのだが、ロザリアはその事には気付かなかったかのように、話を進めていく。
「以前、お願いした薬の件ですが、御用立てして頂いて、ありがとうございました」
「あぁ……あれぐらいの事でしたら、遠慮なく言ってください。大抵の物なら用意させます」
「後、書庫でされるのを本当に嫌がってるように見受けられたので、場所を移していたのですが……間が悪かったようですね」
「ふぐっ!」
ロザリアが口にした薬の件というのは、彼女にゼノヴィアが頼まれて用立てた、睡眠薬の事だ。王宮という不慣れな場所で、緊張から不眠症に悩まされる……そんな事もあるのだろうと、特に疑問を挟む事もなく手渡したのだが、その後にロザリアが告げた話題は、ゼノヴィアからすれば、終わった事、ひいては忘れたかった内容なので、口に含みかけていた紅茶を吹き出しそうになってしまう。
ロザリアがこの王宮に移り住んで、1週間が過ぎた程度だろうか。その間に、ゼノヴィアが先程のような場面に遭遇したのはこれで3回目になる。(因みに、以前の2回は内容がもっとノーマルなもの)それも、全部が違う男との情事だ。
ゼノヴィアが目撃した回数だけで3回と3人なのだから、きっとその倍以上の人数とそれ以上の回数を、そういう時間に費やしているに違いない。ロザリアがこういう女性であると、事前にマテウスからの口頭と、ヴィヴィアナとの手紙でのやり取りで知っていたゼノヴィアだったが、いざ目の当たりにすると、やはり驚きや戸惑いが大きかった。
「書庫は勿論ですが、普通はこんな場所でも……その、いたしたりしません。しかもこんな時間からなんて……」
「あら? では、女王陛下はいつ、どんな場所で、ああいう事をされるのですか?」
「そっ、それは……そんな事っ、分かるでしょうっ? 口にするような事ではありません」
ゼノヴィアは再び視線を反らした。自分の頬が、先程とは別の羞恥で熱を持っているのが分かる。それを目にしたロザリアは、今度こそ我慢できずにクスクスと声に出しながら笑った。このような内容で彼女に揶揄われるのは、1度や2度ではない。その度に悔しい思いを重ねて、義兄に対しての恨み言を募らせるのだ。
『彼女は、そうだな……癖のある性格をしているが、根は悪い奴じゃないと……思いたいな。まぁ多分……おそらくなんだが』
(義兄さんの馬鹿っ。どうしてこんな人の事を、悪い人じゃないだなんて……あらっ? って言ってない?)
思い返してみれば、マテウスがハッキリとロザリアの事を悪い人じゃないとは口にしていない事に気付いて、ますます彼女への不信感を募らせるゼノヴィア。24歳……その年齢に対して高齢にも、妙齢にも映る、捉えどころのない澄ました表情へと戻しながら、伏し目がちに少しだけ頭を下げるロザリア。
「ごめんなさい。女王陛下の反応がとっても可愛いので、ついつい揶揄っ……言葉が過ぎてしまう時があるんです。お許しください」
「そんな誠意のない謝罪で、どうして許して貰えると思ったんですか? 本当に失礼な人……」
「あら……女王陛下の想い人に似せた謝罪をしたつもりだったのですが、お気に召しませんでしたか?」
「義兄さっ……マテウス卿は……確かに、時折り大変不誠実ですけどっ……私が真剣な時は、どんな内容であっても真剣に向き合ってくれます。決して、貴女のように、他人を馬鹿にして揶揄うような発言はしませんっ」
「……そうですか。貴女の想い人……マテウスさんはそういう人なんですね?」
「か、家族としてです。勘違いなさらないように」
それ以上の追及を避ける為に、釘を刺しておくように一言を付け加えるゼノヴィア。口を開かないまま、彼女の反応を観察するような眼差しを向けるロザリア。ゼノヴィアの事を写し込んでいた大きめのエメラルド色をした瞳が薄っすらと細められて、泣き黒子の位置が少し上へと吊り上る。
ゼノヴィアは、そんな値踏みするような視線に不快感を募らせるものの、ロザリアがなにか仕掛けて来た訳ではないので、それ以上の反論を口にする事が出来ずに、この話題を断ち切るかのように視線を切りながら、紅茶に口を付ける。
「言い訳……に、なるかもしれませんが、私からお誘いした事はないんですよ?」
そう告げるロザリアに対して、ゼノヴィアは肯定も否定も示さず、静かに応じた。続きを促されているのだと判断したロザリアが、続けて口を開く。
「ほんの少し擦り寄ってみせただけで、時と場所を選ばずにああして盛るんですもの。私のような身で、ああして目の色を変えて彼等に迫られてしまうと、断るなんてとてもとても……」
ゼノヴィアのカップが空になったのを見止めると、自然な動作でティーポットでおかわりを注いでいくロザリア。
「どんな男性に対しても、毅然と対応している女王陛下のお姿をお見掛けする度に、私には真似出来ないと思っております」
「そんな……私なんて……」
ゼノヴィアの返答を聞いて、ロザリアの口の片端が吊り上る。
「だって……馬鹿馬鹿しいじゃありませんか。少し気のある素振りを見せてあげただけで、付け上がって、勘違いをして、見栄を張って……皆が皆、王宮で国を動かす私達は特別だと口にするから、少しは期待していましたのに、一皮剥いてしまうだけで、貧民街の男達となんら変わらないんですもの……もう私、それが可笑しくって可笑しくって……」
まるで、どこどこのお店のお菓子が美味しかった……子供がそんな楽し気な世間話をする時に浮かべるような、無邪気な笑顔でそう語るゼノヴィアの姿に、気圧されて息を呑むゼノヴィア。
「女王陛下も先程、目にされたでしょう? ベッカー学匠のあの姿……彼ったら何度叱っても、おしゃぶり癖が抜けないから……ほら、よく見てください。私の服。彼の唾液でベトベトなんです。ふふっ……それにルーサー卿。普段は大人しくて紳士的に振る舞っていらっしゃるようですが、彼は凄く征服欲や野心が強くて……止めてって抵抗する私の身体に、痕を残すのが堪らなく興奮するんですって。まるで、そこら中にマーキングしてまわる、躾のなってない犬みたいで可愛らしいでしょう? 他には……」
「もう結構です。おやめなさいっ」
「……では、そのように」
ロザリアはまるで狂気から解放されたかのように、普段の澄ました表情へと戻って、乾いた口の中を紅茶で湿らせる。それに対してゼノヴィアは、なんと声を掛けていいのか分からなかった。ただ……知られてしまえば、ロザリアを傷つける事になると知っていながら、哀れに想う事を止められなかった。
『何度注意しても治らない、男癖の悪い姉なんです。色々あって……男性に傷つけられてばかりで、だから復讐しているんだと思います』
口にすれば口にする程、まるで自傷しているようなその姿に、ゼノヴィアは、ヴィヴィアナとの手紙でのやり取りを思い起こす。ロザリアの事を好ましく思っていないゼノヴィアではあったが、だからと言ってそれを眺め続けていられる程、彼女は冷淡ではなかった。
「それでは……マテウスさんの話、とかどうでしょうか?」
しかし、その余裕もその一言を聞くまでの話であった。




