聖明を壅蔽せしめる事をその4
「そういえば……ちゃんとジョージちゃんの事、見てくれたんやね」
「ジョージ?」
「ここに着いた時、お馬さんの事で頼んだやん。昼間歩いている時、ずっとなんか痛くて歩きにくいって言ってたよーって奴っ」
「あぁ、あれか。確かに蹄鉄が外れ掛けてる奴が一頭いたな。早めに気付けて助かったよ」
「ええよ、ええよ。本当ならウチがやってあげれたら良かったんやけどね。お話しはよくしたんやけど、難しいお世話の方はお爺ちゃんに任せっきりやったからなぁ。ジョージも喜んどったで? マテウスさんの事、見所があるって言うてたよ」
「そりゃどうも」
馬に見所があると言われても、馬鹿にされているようにしか聞こえないが……彼女がそう言うのなら、本当に馬がそう言っていたのだろう。
勿論、マテウスとて最初から彼女の言葉を鵜呑みにした訳ではない。ロザリアと2人で、猫や犬、馬などの王都でも身近な動物たちを使って、何度も検証を繰り返し、幾つもの可能性を排除していって、残った真実がフィオナは動物と会話が出来るという、結果であった。
フィオナの言葉を戯れ言だと聞き流さずに、真剣に向き合って、疑いつくした後だからこそ、彼女の言葉を信用しているのである。
続けてマテウスは、どうして自分達に明かしたのか? とフィオナに尋ねたのだが、彼女は別段、なにも考えていなかったらしい。なくしたいとも思わないし、活かしたいとも思わないそうだ。ただ、2人には打ち明けて、相談出来る存在でいて欲しかった。そして、他にも前例があるのなら、他の人がどう向き合ったのか……それは、少し知りたいともこぼしていた
ロザリアはそれを調べる為に、王宮に食客のような立場で乗り込んだ。(マテウスには、旅に同行しない理由をそうとしか説明していない)その際に、ヴィヴィアナをどう言いくるめたのかまでは、マテウスは尋ねようとはしなかった。
王宮の書庫は、主が女王ゼノヴィアになってからは蔵書の数を重ね続けていて、今では王国内でも屈指と称して差し支えない。フィオナのような事例が過去にあったかどうか。他にも特別な力を宿して生まれた者がいるのかどうか……その場所に辿り着く可能性もなくはないとマテウスも思ったので、ロザリアを送り出す為に手を貸したのだが、不安がない訳ではなかった。
(頼むから、ある事ない事吹き込んでくれるなよ)
それはどちらに向けての想いだったのか……ある種、決して会わせたくない組み合わせだったなと、彼にしては珍しく、ほんの少しの後悔を覚えていた。
「…………っ」
しばらくそうして考え込みながら星を眺めていたマテウスだったが、やけに辺りが静かな事に気付いてフィオナへと振り返る。話す事もなくなった彼女は、立ったままの体勢で瞳を閉じてみたり、船を漕いでみたり、ハッと顔を上げて頭を振るってみたりと、明らかな疲労を見せ始めていた。
マテウスは彼女の肩に手を伸ばす。飛び跳ねるような仕草と共に、彼を見上げるフィオナの口元に、少しだけ涎が垂れているのを見つけて、常に身だしなみを気にする彼女にしては、珍しいものが見れたと、薄く微笑む。
「あぁっ。ウチ、半分寝てたんか……」
「限界みたいだな。代わろう。ゆっくりと休むといい」
半分、寝ぼけていたからだろうか。優しく微笑むマテウスの姿を見上げるフィオナの瞳には、似ても似つかぬ祖父の姿がダブって映ったのだ。小柄で、手足なぞ枯れ枝のような細身の老人と、この筋肉の塊のような大男を見間違えるなんて……疲れでどうにかなってしまったとしか思えなかった。ただ……
(あぁそうか。なんか調子狂うなって時のマテウスはんは、お爺ちゃんに少し似てるんやね……)
見た目は正反対なのに、時折り向けられる距離を図るかのような優しさが、その雰囲気が、よく似ているのである。フィオナはそうと気付くと、無性に幼い日のように甘えてみたくなった。この気紛れの理由も、眠気で少し朦朧としていたからだと言い訳にして。
「そんなら、お言葉に甘えて大人しく寝るさかい、お願い事1つ聞いてくれへん?」
「見張りを代わった方が、お願いされるのか?」
「心配性なマテウスはんのいう事聞いてあげるんやから、それぐらいえーやろ?」
「……分かったよ。俺に出来る事なんだろうな?」
「勿論っ。ウチが1日頑張ったご褒美に、ちょっと頭撫でて欲しいなぁ~ってだけやし」
マテウスはフィオナの言葉を耳にした途端、眉間に皺を寄せる。見る者が見れば怒っているようにも見える顔だが、彼はただ理解出来ない言葉に困惑を示しているだけだ。
「君が今日も1日頑張ったのはよく知っているが、それでどうして頭を撫でる必要があるんだ?」
「えぇっ? マテウスはんは良く出来た時とか、褒められる時に、頭を撫でて貰った事とかないん?」
「……生憎な。だが、別に頭を撫でる事を知らないという訳じゃなくてだな……君はその、ちゃんと会話が出来る年齢じゃないか。幼くはあるが子供じゃないし、ましてや犬や猫でもない。よく頑張ってるよ……撫でたりしなくても、これで十分伝わってるだろう?」
「あぁ~……もーっ、面倒くさっ! 本人がえーって言ってんやから、撫でてくれたらえーやんっ! それに、レスリーちゃんの頭は時々撫でてるのに、ウチは駄目なんっ!?」
「あれはレスリーには、殴るより撫でる方が堪えるからで……分かったっ。分かったよ。そんな顔をするな」
ブスーッと顔を膨らませるフィオナに根負けして、恐る恐るといった体で彼女の頭に右手を乗せるマテウス。同時にフィオナが髪型をよく気にしていたのを思い出して、それを崩さないように気を付けながら静かに左右に動かすのだが、その間ずっとフィオナは顔を河豚のように膨らませながら、マテウスをジッと睨み上げていた。
「もうえーよっ」
フィオナはそう投げやりに告げて、顔を膨らませたまま踵を返してテントへ向かって歩き始めて……
「ありがとーなっ」
1度振り返るが、やはり怒りは収まっていない様子で……
「おやすみっ!」
結局、最後までマテウスにはフィオナの真意が掴めないまま……
「なんだったんだよ……」
決して彼女には届かないように、小さく口の中で転がすように呟いた。
「なんかあったの?」
「あっ、ごめん。起こしてもーたっ?」
フィオナがズカズカと足音を控えずにテントに入るものだから、その物音にヴィヴィアナが目を覚まして、顔を上げる。悪い事をしたという自覚のあるフィオナは、すぐに声を潜めながら謝罪した。声を潜めているのは、まだヴィヴィアナの隣に、場所を取らないように端で小さく丸まりながら眠っている、レスリーがいるからだ。
「ちょっと色々あっただけっ。レスリーちゃんも寝てるし、また明日なっ。おやすみっ」
「おやすみってフィオナ、見張りの交代のエステルはもう……」
起こしたのか? そう尋ねる前に、開いたままの入り口から外を覗くと、マテウスが立っている事に、ヴィヴィアナは気付いた。それでなにが起こったのか、大方の察しを着ける。
(どうせオジサンが見張りを交代するって言い出して、デリカシーのない事を口にしたんでしょ)
ヴィヴィアナは正解を射抜くような予想を抱きながら、再び眠くなるまでの暇つぶしに、麻布に包まりながらマテウスを観察する。
しばらくすると彼は、槍の素振りを始めた。あれは黒閃槍より少し長めの、装具でもなんでもない、ただの槍だ。なにせ黒閃槍は、レスリーがまるで抱き枕のようにして、抱いて寝ているのだから。
(今日は槍の日か)
マテウスが指を失ったあの日から、時間を見つけては、ああした鍛錬の時間を増やして、再び自らの身体と武器との調和を図っている事にヴィヴィアナは気付いていた。もし、これまでのような危機と直面した時に、やっておけば良かったなどと後悔をしないように。
『時々、自分の事を顧みない事がある人だから……少しでもいいの。力になってあげてね?』
その姿に、ヴィヴィアナの身を案じる時と同じような表情で告げてきた、姉の言葉が思い起こされる。
いつだって面白可笑しく、からかい交じりに男との情事の話題を語る姉が、あんな表情で男の身を案じるような発言をしたのは、初めての事だった。
(どうして私があんな奴の面倒なんか……私がどうにかしなくたって、勝手にどうとでもするでしょっ?)
ヴィヴィアナはそう心の内で反発して、強く瞳を閉じる。その後に訪れた眠気には、あっさりと身を委ねるのだった。