川辺に来りて槍を振るその4
レスリーとマテウスが食事の様子を見ようと移動していると、グツグツと煮立ち始めている鍋のすぐ横に、日が落ちかけているとはいえこの暑さの中で、焚き火を起こしてその周囲を取り囲んでいる3人の姿があった。エステルとヴィヴィアナとフィオナである。
身体が冷えてしまったのだろうか? 特に制服姿のままで火に当たっているフィオナは、一目で分かる程に体を震わせている。いつもの穏やかな表情は鳴りを潜めていて、両頬を膨らませて露骨に不機嫌そうだった。
それに影響されるかのように、ヴィヴィアナも硬い表情で押し黙って、下着のような姿のまま座り込んで、両手を焚き火に翳しているし、いつも騒がしいエステルも、2人の顔色をキョロキョロと交互に見返しながら、様子を伺っていた。
「……なにをしていたらそんな事になるんだ?」
「水上訓練を、皆で少しなっ」「私は髪を洗ってただけよ」「ウチは散歩したかっただけやのにっ」
「結局なにをしていたのか、さっぱり分からんが……それで? 誰が原因なんだ?」
フィオナがエステルを、エステルはヴィヴィアナを、ヴィヴィアナはフィオナを、同時に指差す。
「なんで私が悪いみたいになってるのよ? どう考えても、変な事を言い始めたフィオナが悪いでしょ」
「確かにちょっと揶揄い過ぎたかもしれへんけど、あんな事ぐらいで制服のままのウチを川の中に押し倒すっ!? エステルちゃんの気が知れへんわっ」
「そうは言ってもな……私は、ヴィヴィ殿が先にフィオナ殿に水を掛けている姿を見て、その後に参加したのだから、どう考えても私に非はない筈だぞっ」
散々水を掛け合ってずぶ濡れになった後に、姦しいだけの水掛け論を始めようとする3人に、次第に呆れを覚え始めるマテウス。
「まぁ誰が原因でもいいが、夏とはいえ日が落ちた後も濡れたままでは、体調を崩すぞ? 程々にしておくんだな」
「ていうか、レスリーだって濡れてるみたいだけど……オジサン、一体レスリーになにしたのよ?」
「あぁ、これはただの訓練で……」
「マ、マテウス様は、なっ、なにも悪い事はなさっていませんっ。その、レスリーがモタモタとしていたから……その、マテウス様に川に押し倒されてっ、それで、そのっ!」
「まさかっ、訓練をダシにしてレスリーちゃんに好き放題したんっ!?」「アンタ、私達が傍にいるのに、レスリーになんて事してんのよっ!」「……っ? なんだっ? なにか不味い事があったのかっ?」
「話を最後まで聞け」
「それで、その後っ……レスリーは、ま、マテウス様に、優しく槍の扱い方の手ほどきを、受けまして……こうっ、上下に滑らすように……」
何故か両頬を染めながら、抱きしめた黒閃槍の握り手を、上下にシュッシュと滑らせるレスリー。マテウスは彼女の頭を、右手で鷲掴んで万力のように力を込めた。
「あぅぅぅ~~っ、すいません、すいませんっ」
「前々から思っていたんだが、わざとやっているんだろう? なぁ?」
「いつかはやると思ってたけどっ、本当、男って最低っ!」「エステルちゃんっ、ウチらも行くでっ! あの変態を退治せなっ」「事情は分からんが、是非もあるまい。マテウス卿っ! 覚悟っ!!」
サッとレスリーから手を離したマテウスは、真っ先に右拳で殴りかかって来たヴィヴィアナの右腕に、左腕を絡めるように伸ばして受け止めると、同程度の力をぶつけて彼女の勢いを殺す。
続いてヴィヴィアナの脇を抜けて迫るフィオナの襟首を掴んで誘い込み、絡み取られた腕を振りほどこうと足掻くヴィヴィアナの頭と、フィオナの頭を激しくぶつけた。
目の前で火花が散るかのような衝撃に、蹲る2人。彼女等の後ろでは、出遅れたエステルが、一瞬で2人が制圧される光景を前にして、蹈鞴を踏んでいた。
マテウスは、顔を上げてその様子を確認すると同時に、フィオナとヴィヴィアナの首根っこを掴んで、力任せにエステルへ向けて投げつける。
慌てて両手を広げ、2人を受け止めようとするエステルではあったが、力はあっても小さな彼女の身体ではそれを支え切れずに、3人で折り重なるようにして倒れ込んでしまう。
「連携が甘い。出直してくるんだな。レスリー。俺は食事の様子を見てくる。君はその服を乾かしていろ」
「あのっ、レ、レスリーも……マテウス様の、おっ、お手伝いをっ、しまっ……」
「日が落ちるまでにその服が乾いていなかったら、もう1回いくぞ?」
「もう1度、まっ、マテウス様の、おっ……お仕置きっ」
「何故、頬を赤らめる……」
マテウスが広げた手を、レスリーの頭へと伸ばそうとする仕草を見せると、彼女は恐れるどころか、赤く染まった両頬に手を添えながら、恥ずかしそうに視線を俯かせる。その様子を見て、マテウスの方が怯んでしまった。
「全く……元気が残っているのなら、その3人を介抱してやってくれ。じゃあな」
マテウスが歩き去った後、レスリーは改めて3人に自身がずぶ濡れになった経緯を説明した。
「まぁ、そんな事やろうと思うたけど」
「レスリーって基本いい子なのに、時々頭がおかしくなるよね。あのオジサンが関わった時とか特に」
「私はヴィヴィ殿も、マテウス卿に対して特に厳しいと感じるが……」
「別に私のはオジサンに厳しいんじゃなくて、男全般が嫌いなだけだし」
「へぇ~……その割にはお昼は楽しそうにお話ししてたような、気ぃするなぁ~」
「なに? いい加減、殴られたいんでしょ? フィオナ?」
「そうやってすぐ手ぇ上げようとするの、やめた方がええよっ。ホント、マテウスはんと似て来てんなぁ~……おぉ~怖ぃ~っ。ふっふ~んっ」
ヴィヴィアナから逃げるように横へ移動していくフィオナ。その空いたスペースを指差しながら、少し離れた場所で立ったままでいるレスリーに、ヴィヴィアナが声を掛ける。
「レスリーも座りなよ。ほらっ、ここ空いてるよ」
「あのっ、その……レスリーは、このままで、けっ……結構ですので……」
「でも、制服乾かんかったら、マテウスはんに怒られるんとちゃうのん?」
「あっ、それは……その、困り……ます」
ヴィヴィアナは腰を上げると、視線を落として動かなくなったレスリーの手を引いて、先程までフィオナが座っていた場所に座らせてから、自らも隣に腰を下ろした。
「ねっ? 今の時期、火に当たってればすぐに乾くからさ。少しだけ付き合ってよ」
「あぁ~、ウチもレスリーちゃんと色々お話ししたかってんっ。この間の続きっ。マテウスはんと、旅の買い出し行った時の話。あれの続き聞きたかったんよぉ~」
「えぇ……やめようよ。オジサンの話とか興味ないし、そもそも趣味悪いし」
「私も、買い出しの続きよりも、今晩の食事の方が気になるぞっ。レスリー殿」
「はぁ、エステルちゃん……急に口開いたー思うたら、ご飯の話とか……」
「あっ、食事はその、昨日と同じで……パンと、干し肉と……そ、それを出汁にしたスープを……」
「むぅっ……そうか。また、か」
露骨に顔中に失意を滲ませながら、両肩を落とすレスリー。ヴィヴィアナと、フィオナにしても同様で、渋い表情を浮かべていた。
「あのっ……す、すいませんっ。すいませんっ」
「あぁごめんっ、レスリーが悪い訳じゃないからさ」
「そうそうっ。用意してもらってる癖に、なんか変な感じになってしもうてごめんな?」
「そうだともっ。旅の間、飢えに悩まされぬだけで、感謝してもしきれない。ただ、な……」
「まぁ流石に……」「飽きは来るよね……」
保存を優先された食材。利便性を優先された調理器具。長旅という条件下で、健康を考慮された食事が用意されるだけ、感謝すべき事なのは分かっている3人ではあったが……
「「はぁぁ~~」」
聞いただけで口に広がる、塩気しかない干し肉の味と、スープで柔らかくしなければ到底食べられない程、固くなったライ麦パンの感触に、重い溜め息を吐かずにはいられなかった。