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姫騎士物語  作者: くるー
第五章 人たらしめる為の魔障
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プロローグその3

 ―――数十分後、昼。バルアーノ領西部、テルム川のほとり


 アイリーンは、丘陵に広がる青々とした草原が、炎天下で陽炎に揺れる姿をボーッと見つめていた。耳を澄まさずとも聞こえる、穏やかな川のせせらぎと、虫達の鳴き声。決して騒がしくはなく、しかし、じんわりと身体の中に沁み込んで来るような音に身を委ねていると、彼女の視界の1番遠い場所で、草原が一斉に波打つ。


 彼女は見た事がなかったが、波打つ草原が急速に近づいてくる光景は津波のようであった。それが川の水面を駆け抜けて間近に迫る瞬間、両目を閉じると同時に両手を広げる。蒼い香りを乗せた強風が、彼女の全身を叩き付けると同時に、耳元に足音を残して吹き抜けていった。


「ふふっ、気持ちいいねっ? パメラ」


 閉じた両目を開いたアイリーンは、川に浸した両足を使って、バシャバシャと水を弾きながら、彼女のすぐ後ろに立つパメラを仰ぎ見る。


「……それはよう御座いました」


 そう答えを返すパメラは、ちっとも楽しくなさそうな無表情で、強風に煽られて乱れた女使用人メイド服を直し、再びそういう彫刻であるかのように、直立不動へと戻った。


(少し機嫌が悪そう。暑いのかな?)


 アイリーンは、パメラの無表情に隠れる小さな変化をそう評しながら、小さく首を傾げる。この時期に、膝下まで伸びる厚手のロングスカートの女使用人服はさぞ暑かろう。


「パメラも、騎士団用の制服に着替えないの?」


「あれは、私には必要ありません」


「えぇ~、そうかしら? だってこれ、可愛いし、ミニだから涼しいし、スパッツだから見えても平気だし、汗もベタつかないし、可愛いし……」


「それと、記憶容量が小さくなったりするのですか?」


「えっ? なんの事?」


 アイリーンは、自身が2度同じ事を口にしたのに気付いてないのか、キョトンと首を傾げる。パメラの皮肉は空振りに終わたのだが、彼女は何事もなかったかのように、アイリーンの言葉の先を促した。


「それに……今なら私とお揃い、だよ?」


「それに意味があるとは思えません」


「そうかしら? 私はパメラの服を借りた時。お揃いの服を着る事が出来て、嬉しかったけどなぁ」


 ちょっとキツかったけどね? と、そう言葉を締めくくって、共感を得られなかった事に残念そうな苦笑を浮かべるアイリーン。パメラはそれを暫くの間、無表情に見下ろしていたが、人が近づいてくる気配にスッと顔を上げる。


「邪魔をしたか?」


「大丈夫よ。横、座る?」


「いや……そうだな。やはり、座らせてもらおうか」


「では、私は少し席を外します」


 マテウスがアイリーンに促されて、彼女の横に腰掛けるのを確認すると、パメラは踵を返してさっさと馬車の方角へと歩き出した。この事から、護衛としてのマテウスの実力だけは、一応の信頼を寄せている事が伺える。


 歩き去っていく彼女の背中に、少しだけ寂しそうな眼差しを向けるアイリーン。開きかけた唇を強く閉じ直し、顔を俯かせて川の流れに視線を落とす。


「なにかあったのか?」


「ありましたよっ? ついさっき、私の生涯でも1、2を争う恥ずかしい出来事がっ」


「クッ……フフッ、ハハハッ……あれは傑作だったな。まぁ怪我がなくて良かったじゃないか。それに言う程、気にしてないようにも見える」


「なーんにも、良くなんかないわよっ! ただ……その、マテウスには私の恥ずかしい所、沢山見られてるから……なんか慣れてきちゃってるのは、あるかもね?」


「余り、誤解を招きそうな言い方は、してくれよ」


 恥ずかし気に頬を染めながらマテウスを見詰め、バツが悪そうに小さく舌を出すアイリーン。しかし、マテウスと視線が合うと、すぐにその視線を反らして、川向うの遠くへと顔を向ける。落ち着きのない子供のように、ゆっくり足をバタつかせて、水を弾きながら再び口を開いた。


「最近、よく分からないの」


「……なにがだ?」


「パメラの事。以前はね、私が1番パメラの事を分かってるって言えたのに、今はそう口にしようとすると……本当にそうなのかな? って、なっちゃって」


 そうなってしまった理由の自己分析を、アイリーンは既に済ませていた。ヴィヴィアナに投げ掛けられた問いが、未だに胸の奥へ突き刺さるのだ。


 自らの気持ちすらもハッキリと理解していない自分が、相手のなにかに気付いてあげる事なんて出来ているのだろうか? 自身を不躾ぶしつけに押し付けて、それに付き合わせているだけではないだろうか? 大切にされているのではなく、自身の我が儘で、大切にさせているのではないだろうか?


 考えれば、考える程に迷い込む袋小路の末にアイリーンは、以前の彼女なら簡単に伝える事の出来た、好きだという感情を、どう伝えればいいのかも、よく分からなくなっていた。


 その疑問は子供の頃に辿り着き、アイリーンの年になる頃には、それぞれの答えを身に着けて、自然と振る舞えるようになっている程度の、些細な悩みだ。だが、この年になるまで、蝶よ花よと育てられて、正常な人付き合いをしてこなかったアイリーンにとっては、年を重ねたからこそ、真剣に、複雑に考え込んでしまう、難題であった。


 その経緯が想像出来るマテウスは、アイリーンの質問を茶化したりせずに、深く頷いて同調を示す。


「それは難しい話だな。ましてや相手は、あの無表情だろ? 俺なんか、とっくの昔に諦めているよ」


「うーん……パメラだけの事じゃないんだけれど、ね」


 貴方の事も分からない……アイリーンには、今、この場でそう口にする事が出来なかった。その理由がなんなのか、それさえも分からなくて、もどかしい想いを誤魔化すように、少し体を屈ませながら、右手を使って悪戯に水を掻き回す。


「……そうだな。例えばの話だが、君は俺に君の全てを分かって欲しいか? 忘れたい過去や、恥ずかしい秘め事まで、全部知っておいて欲しいのか?」


「えぇっ? そんなの無理だよ。えっ? マテウスはその……知り、たいの?」


「例えばの話と言っただろう? 相手の全てを把握するなんてのは、そういう事だ。大抵の奴は、君と同じ反応をするだろうし、俺だって同じさ。勘弁してほしいね」


「そっか……マテウスは、そうなのね。パメラも同じなのかしら?」


「確かな事は本人に聞いてみなければ分からんが、少なくとも俺には、あの女がまれにいるような、口に出して訴えもしない癖に、自分に都合のいい部分だけを分かってくれと、のたまう奴には見えないけどな」


「そう……ね。私の中のパメラも、そうかな。ふふっ、なんかこうしていると、マテウスの方が私よりもパメラの事を分かってるみたい」


「そんなわけはない。考えすぎだよ、君は。誰になにを言われたのかは知らんが、もう少し肩の力を抜いてみたらどうだ?」


 マテウスは両腕を広げて、両肩を少しだけ上下に動かしてほぐすような仕草をしてみせる。それを見たアイリーンは、困ったような笑顔を浮かべながら、彼に習うようにして両肩を広げるように胸を張り、深呼吸をしてみせた。


「ただ俺は、君が抱いたその疑問を、とても大切な……相手を思いやる為の基本にして、原点なんだろうなと、思っている」


 一呼吸置いて、マテウスは続ける。


「どんなに年を喰っても、そこへ辿り着けない奴は大勢いる。相手の為などと口にしながら、自らを押し付けるだけの度し難い連中だ。だから、君はその疑問と大切に向き合うといい……そして、もし答えが出たのなら、またこうして話を聞かせて、俺にも教えてくれないか?」


「んっ? ……教えてって、いうのは?」


「普段の俺の言動を見て、そんな上等な疑問の解答に、辿り着けていると思うのか? 君は」


「……いっそ自慢げに聞こえるんだけど、マテウスも少しぐらいは考えたりしていたんでしょうね?」


 まぁ多少はな? と、明後日の方向へと顔を背けるマテウスに対して、アイリーンは懐疑的な視線を送り続けるのだった。

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