愚者は声高にその1
―――数分前、理力付与技術研究所アンバルシア支部、3階仮眠室前
ほんの数分前までマテウスと襲撃者達とが争っていた筈の廊下は、今は静まり返っていた。遠く聞こえる交戦の音に耳を澄ませながら歩いているからだろうか、静寂の廊下に響く自分の足音の大きさに少し驚きながら、人の気配を探りつつゆっくり歩みを進めていく女性の影。マテウスの指示で先に4階に上がった筈のロザリアの姿がそこにはあった。
ロザリアとて出来る事ならこんな場所を1人で歩き回りたくはなかったのだが、4階会議室に真っすぐ戻ろうとすると、丁度エステル達と交戦中の襲撃者を抜けなければ合流する事が出来なかったのだ。
ロザリアに戦闘技術があれば、背後の利をついて襲撃者達を突き崩す事も出来るだろうが、非力な彼女がそれをしようとすれば人質に取られて利用されるのは明白。
であるならば危険ではあるが、1度戻ってマテウスにこの状況を伝えるべきかと戻ってきた所だったのだが、ある筈のマテウスの姿が見えない。廊下には、マテウスが切り捨てたのであろう、襲撃者達の死体が点々と転がっているだけであった。
「マテウス……さん?」
軽率だっただろうか? 後で振り返ればそんな発想も思い浮かんだだろうが、今は兎に角マテウスと合流したいが為に声に出して呼びかけるロザリア。そんな彼女の呼びかけに、意外な形での返事が返ってくる。大きな爆発音。エステルが放ったそれと同程度の爆発音が、ロザリアの視線の先、その階下で響き渡った。
廊下を観察してみれば、死体や血だまりが自分が戻ってきた場所とは別方向の2階へと続いているのが分かる。おそらくだが、マテウスは襲撃者達を追い詰める為にそのまま2階まで移動して、更にあの爆発音から察するに今も戦闘中なのだろう。そう予想したロザリアはピタリと足を止めた。
(このまま行っても、戦いに巻き込まれるだけだし、マテウスさんの足手纏いになるだけね)
では自分はどうすべきか? そう考えた時、ロザリアは立ち止まってしまう。こんな状況下でどう動くべきかの解答など、彼女が培ってきた経験の内から出せる筈もなかったからだ。
ロザリアは、ここで棒立ちになっていればマテウスとは合流しやすいだろうが、襲撃者達に再び見つかってしまう可能性も高いし、かといって身を隠した後にどうやってマテウスだけを見つけて後から合流するか……などと考えている最中であったが、複数の足跡が上から駆け下りて来る音が耳に届いて、思考を中断する。
その方角はロザリアが戻るべき、ヴァーミリオン研の会議室の方向からだ。もしかしたらヴィヴィアナ達が拠点を変える為に降りてきた……という可能性もあったが、襲撃者達の目に止まる事があれば、それこそ目も当てられないので、一先ずは姿を隠すべきだと再び仮眠室の中へと移動する。
「おいっ、後ろを取るなら……じゃな……のかっ?」
「先に人手を……から……だろう?」
「そんな暇……かっ。いい……急げっ!」
ロザリアは扉の外へ少しだけ顔を覗かせながら話を聞き取ろうとするも、距離が離れすぎている上に、彼等は別館へ向かって移動しながらだったので、内容の半分も理解出来ずに終わってしまう。そしてロザリアは、彼等の事をおそらく4階でヴィヴィアナ達と戦っていた襲撃者達だろうと予想した。
であれば、もう1度4階に様子を見に行くべきだろうか? もしかしたら、敵は全て退いていて今なら合流出来るかもしれない……などと更に考えを巡らせていたが、彼女がそういった行動を移す前に、2階から3階へと上がって来る足音と話し声が聞こえて、慌ててもう1度室内に身を隠す。
「しょう……と? 本当に……か?」
「オレの……吐かねぇよ」
「……がいるなら、赤鳳騎士団もいるのだろうな。ふふっ。4階での抵抗があると聞いたが、そういう事か」
段々と足音が近づき、会話の内容がロザリアにもハッキリと聞こえるようになってくる。つまり自身が隠れる場所に近づいているという事だ。それに気付いたロザリアは、扉付近で聞き耳を立てるのを切り上げて、すぐに室内の奥へと移動し始めた。
どこかに隠れる場所はないだろうかと探して、結局は争いの最中に、吹き飛ばされたベットの陰。そこから零れ落ちた掛布を被って身を隠す。すぐ隣には襲撃者の死体が転がっているが、背に腹は代えられない。そして彼女が身を隠した直後、扉が開いた。
「おいおい、なんだこりゃ? なにがあったんだよ? おい、誰か生きてないのか?」
「……どうやら、逃げられたようだな」
息を潜めたロザリアの耳に届く、乱暴な口調の女と、落ち着いた様子の男の声。ロザリアには、乱暴な口調の女の声は記憶があった。マテウスと死闘を繰り広げた、教官と呼ばれる着物少女の声だ。もう1人の声に関しての記憶はこそなかったが、ここを離れる時に着物少女が口にした言葉……
『殺すのはまだだ。リーダーと面通しさせたい』
から、彼こそがこの襲撃者達のリーダーなのではないかと、予想出来た。もし、顔を確認することが出来れば、きっと有力な情報になるだろうが……それは同時にロザリア自身の身を危険に晒す事になる。
「悪い、親父。オレのミスだ。コイツ等の治まりが着かないだろうからって、ここでの自由を許したばっかりに……」
「正直に言え、ツバキ。私とドミニクに気を使ったんだろう?」
「それは……でも、半々ってとこだ」
「千期一隅を逃したな。次に機会があれば躊躇わない事だ。彼に関しては、積極的に狙う必要はないが……出来れば死んでもらった方が、これから先も私達の仕事がやりやすい」
「分かったよ、親父。この剣を持っていれば、もう1度やり合う機会もあるさ。オレに任せてくれ」
「期待しているよ。それにしても……そうか。人質が効いたか……ククッ」
リーダーと思わしき男は、声を殺しながら笑う。喉から漏れた笑い声は、楽し気で、誰かをせせら笑うようだった。そんな笑い声が消えると同時に、再び男が口を開く。
「さて……過ぎた事は置いておいて、彼等の方を気にすべきか。儀式が効きすぎたようだ。攻撃的になるのも考え物だな」
「マックスとスパイクなんかに自由にやらせるからだ。アイツ等が面白がって餌を与え続けたから、こんな事になったんだっ」
「未だにあの2人とは連絡が取れないのか?」
「通信石になにか問題があったのか、アイツ等自身に何か問題があったのか……分かんねぇけどよ」
「確認したい所ではあるが、今は設置と回収が優先だ。思わぬ抵抗で人手が削がれてしまった所為か、予定より遅れている」
「ったく……ここを吹っ飛ばす時になっても出てこなかったら、置いていこうぜ? あんな2人。余計な事しかしない」
着物少女の物騒な発言と同時に、扉が再び激しく音を鳴らして開かれる。そして何者か1人が、また室内にずがずがと足音を鳴らしながら踏み入って来る。
「ちょっ、ちょっと待ってくれっ! ここを吹っ飛ばすだって? そんな話……聞いてないぞ? それに教官さん。アンタ今、オイゲンさんの事を親父って……」
男はそのまま襲撃者達のリーダーと目される男、オイゲンに向かって詰問を始めたが、その内容よりもオイゲンという名前……ロザリアにとっては、その名前こそが、何故か記憶の隅に引っ掛かかりを覚えた。それと同時に、3人の顔を確認すべきではと、音を立てないように布団から顔を出していった。