願望の纏い手その3
―――数分後。王都アンバルシア東区、グリニッチ市場外れ、ポーマス通り
グリニッジ市場から南の住宅区へと向かうまでのポーマス通りは、東の商業区から南の住宅区へと帰宅していく労働者を客層にした酒場が立ち並ぶ場所だ。夜はアンバルシア内でも不夜城の如き輝きを放つ一角で、そのピークに比べれば昼間は少しだけ閑散としていた。
少しだけと前置きしたのは、決して寂れている訳ではないからだ。昼間から食事メインで開く店が数件あるし、屋台を転がす者の姿も見れて、またそれを目当てに人が集まってくるといった流れが、今のロザリア達の前で広がっている光景である。
「はぇー……ロザリアさんはよくこういう場所に来るんですか?」
その声はフィオナのモノだ。田舎出身らしく、昼間でも分かる少し大人な雰囲気に飲まれて、キョロキョロと辺りを見渡しながら尋ねる。因みにイントネーションが思わず訛っていたりするのだが、ロザリアそれに対して笑顔を浮かべて受け答えを始めた。
「眠れないなっていう時に時々ですけどね。偶然とても美味しいおつまみを出してくれる店を知って、話を聞いてみると昼間は食事メインでやっているって教えていただいたので、いつか行きたいなと思っていたんですよ」
「つまり、これから向かう場所は酒場という訳か……うーむ」
「どうかしましたか? エステルさん」
「いや、騎士として酒場に入っていいものかと少しな」
「そういえば、年配の元騎士の人などは、そういう場所に入るのを躊躇うと聞きますね。でも、最近は神殿騎士の方々も酒場で食事をすると聞きますし、余り気にする必要はないんじゃないですか? それに折角、私がお誘いしたんですから……ね?」
「むっ、ここまで来て断りはせんよ。不要な発言だったな。すまない」
「それはホッとしました」
そんなやり取りを交わして、3人は酒場に足を踏み入れる。店内の様子はお昼時を少し過ぎた為か幾つか空いている席が見られるものの、未だに食事と談笑を続ける男達の姿や、男女で席を共にしている者の姿、気の早い事に既に酒を飲み始めて上機嫌に騒いでいる者達の姿など、上々の賑わいを見せていた。
「こーら、そこっ。静かにしなさいっ! これ以上騒ぐと追い出すからねっ!? いらっしゃい。空いてる席に座ってね。後で注文聞きに行くからっ」
店の看板娘だろう。三角巾で頭を覆う素朴な感じの娘だが、大の男を普段から捌いている慣れか、笑顔と快活な対応が爽やかで馴れ馴れしい接客が嫌味を感じさせない。彼女に言われるまま丸いテーブルを3人で囲むように座ると、ロザリアは先にエステルへとメニューを渡した。
「エステルさん。好きなモノを好きなだけ注文していいですよ。その代わり、ちゃんと文字を読んで注文してくださいね?」
「こ……こんな所にまで来て座学は必要ないのではないか?」
エウレシア王国での識字率は50%程度。メニューには文字が読めない者にも配慮して、簡単な絵が描き起こされているし、店員に聞いたオススメでも頼めば事足りる場面。そう考えていたエステルはメニューの影から顔を覗かせるようにしてロザリアを見るが、彼女の顔に仮面のように張り付いた笑顔に押し負けて、渋々と文字を読み始めた。
「はい、お待たせっ。女性だけのお客様ってのはやっぱり華やかでいいね。それで、なんにする?」
「私は季節のラタトゥイユとチーズ盛り合わせと飲み物にウィンタム産赤ワインを、予算はタークス大銅貨5枚までで」
「じゃあウチは……わ、私はハモンセラーノとトルティージャで」
「遠慮しなくていいんですよ? フィオナさん」
「えぇっ!? そ、その……ウチは別に……」
「フィオナさんは私と違って剣を持つ騎士なんですから。もっと食べないと……ね?」
「うぅ~、その……後、季節のパスタとブラバスポテト。飲み物は蜂蜜入りの山羊ミルクを」
「ハハッ、はいよっ。そちらはなんにするの?」
「し、しばし待てっ。え、えと……このソーセージ盛り合わせと……」
「分かりにくかったら指を指してくれればいいよ?」
看板娘がエステルの持つメニューを覗き込もうと移動しようとするが、ロザリアが服の裾を掴んでそれを制止した。ロザリアが少しだけ待ってあげてくださいと小さく会釈すると、看板娘も笑顔を返して足を止める。
「しかし、凄いねぇ。こんなに若い女性客で皆が文字を読めるなんて……時代かなぁ。アタシも勉強した方がいいかねぇ?」
「なに言ってるんですか。店員さんだって若いし……それに手元のそれ。さっきからメモに書き出したりしてるように見えるんですが」
「あぁ、これ? まぁウチのメニューと自分の名前の読み書きぐらいはね。毎日見てるから丸暗記してるんだ」
「では、ここの文字は全部店主さんが? 少し角張ったくせ字ですが、読みやすくていい字ですね」
「いや、あの人も少しは読めるんだけど書く方はからっきしでさ。本当なら代筆屋にでも頼む所を、たまたま常連さんに字の上手い人がいてね。奢る代わりに定期的に書いてもらったりしてるんだよ。その人、最近顔出してくれないんだけど元気に……」
「……こ、この、セイローン……いや、サーロインステーキとっ」
「はいよ。ウチのは200gからだけど、大丈夫かい?」
「問題ないっ! それに、豚バラ寝込み、違うっ……豚バラ煮込みだ。サクサクジューシー? メート……ミートパイを……」
「いや、肉ばっかしは身体に悪いよ? っていうか、本当にそれをアンタ一人で食べるのかい?」
「問題ないっ! 今からサラダも頼むのでな。飲み物はフィオナ殿と同じものを。後、しばし……しばし、待てっ……サラダどこ? サラダここ?」
「まだ頼むのっ!?」
「彼女の事なら大丈夫ですよ。あの小さな体で5人前ぐらいは食べますから」
「朝もレスリーちゃんのキーマカレー3杯お代わりしてたしなぁ。ほんま身体どないなってんやよ」
「ま、まぁ……支払ってくれるのなら、ウチとしては嬉しいよ」
看板娘は引き攣った笑顔を浮かべながらエステルの読み上げる注文を聞いていたが、最終的にはその量に笑顔を失い、ただの引き攣った顔になって厨房へと消えていった。エステルも長い注文を読み上げて頭が煮詰まったのかグッタリと机に突っ伏す。それを見てロザリアが苦笑いを浮かべながらも、良く出来ましたと頭を撫でてやっていると、隣のテーブル席から挑発的な声を掛けられる。
「ぷふぅ~。赤鳳騎士団の騎士は注文のひとつも出来ないんっすねっ。そんな騎士の教育を任されるなんて、マテウス様も大変っすっ」
「……エリカ。止めなさいよ。それに貴女だって他人の事を言える程じゃないでしょうに」
「なにをっ!? 今の侮辱、私に対して言ったのか?」
安い売り言葉に安い買い言葉。エステルがロザリアの手を払い退けて振り返りながら顔を上げた視線の先には、同じ制服に身を包んだ2人組の女がいた。彼女の動きに釣られるようにして動いたロザリアの視線は、彼女等の制服の右肩に付いた紋章のワッペンを捉える。
(確かあの紋章は白狼騎士団の……)
ロザリアが実物を見たのは初めてではあったが、そのまま白狼を模した紋章は間違えようもなく彼女等2人の所属を示していた。