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胸像の秘密

 南方(みなかた)高校はその昔、女子高だったそうだ。

 その名残で共学になった今も、女子生徒の方が、数の上でも権力の上でも、男子生徒を上回っている。


 俺は実吉勇馬。

 親父の急な仕事の都合で、南方町へ引っ越してきた。一応、転校生だ。なぜ「一応」かというと、今がまだ四月の終わりだからだ。普通は子供の高校入学に合わせて、三月のうちに引っ越しをしておくと思う。長い付き合いで薄々感じてはいるが、うちの親にはそういう普通の感覚が欠如している節がある。だからというわけではないけど、俺だけでも常識的であり続けよう、という思いがある。これは自己分析だから、はたから見てどう見えるかは判らない。

 努めて目立たないようにしてるというより、まあ、目立たないタイプだ。


 転校の手続きは初めてだったが、母親に任せると二度手間になりそうな気がしたので、自分で調べて自分で済ませた。早目の八時前に学校にいったら、グランドや体育館に出ている教師以外は、副校長という人しかいなくて、その人が色々世話をしてくれた。世話と言っても多分、預かった書類を後で他の人に回すだけだろうが。

「じゃあ、八時半になったら、直接一年一組の教室に行きなさい。担任の貞岡先生は今、道場で柔道部の朝練を監督されてます。そのあと体育教官室から、直接教室に行かれる筈だから、廊下で待ってて一緒に教室に入ればいいでしょう」


 思いの外、手続きが早くすんだので(というか、手続き自体は出来てないのだが)、ブラブラと校内を回ってみることにした。

 森に面した斜面を切り開いて造成された敷地は、校舎のある高台と、そこより五、六メートル低いグランドに分かれている。

 グランドでは面積のほとんどを女子のソフトボール部らしき部員が練習に使っていて、水はけが悪そうな隅っこの三角形の狭い面積の部分で、男子の生徒がサッカーの練習をしてる。

(あれじゃ強くならないな)

 他人事として、運動部の序列を確認して、花壇のある裏庭に回った。さっき、職員室から池が見えていて、ちょっと気になっていたのだ。

 学校の池って、せいぜい深さが五十センチくらいのものだと思うが、何気なく縁に立って思わず足がすくんだ。

 きれいに澄んだ水のせいで水中がよく見える筈なのに、青々とした池の中に底が見えなかったからだ。池としてはとんでもない深さだ。少なくとも十メートル先に底が見えないから、百メートルあるのかもしれない。

 俺は、自慢じゃないが、スポーツ全般に苦手で、特に水泳はダメなのだ。

「今、落ちたら溺れて死んじゃうよ」

 俺は思わず声に出して呟いた。窓越しに職員室を見ると、さっきの副校長がこちらに背中を向けて新聞を読んでいる。実際、池に落ちて助けを求めても気付きそうにない。正門はもちろん裏門からも死角になっている空間なので、通りかかった人が助けてくれることも、まず無さそうだ。

 俺は震える膝を叩きながら、池から離れた。ここに近付くことはもうないだろう。

 庭をさらに進むと古い胸像が立っていた。青錆の浮いた銅のプレートに「南方熊楠」ときざんであった。

「みなかた、くま・・」

「みなかたくまぐす先生です」

 急に近くから声がしてびっくりした。

 目の前に本格的な日本庭園があって、何というのか知らないが、山に見立てたような盛り土が結構な高さまであって、その向こうに人がいるのが見えなかったのだ。山の影から竹ぼうきを持った小柄な女の子が近付いてきた。

 何年生だろう、と思った。見かけからすると中学生くらいだ。それに制服を着てない。

「転校生の方ですね?」

 俺が驚いていると、制服が違います、と事も無げに言った。俺が着ているのは普通の黒い詰め襟のガクランだ。そういえば、この学校の制服はどんなのか知らない。調べて買いに行かないとな。

「制服はどこで買えますかね」

 言ってから、初対面の第一声が何で制服を売ってる店を尋ねる事になるのか、自分で面食らった。中途半端な非常識だ。女の子は、後で誰かが教えてくれるはずです、と冷ややかに答えた。

 まずい。

 常識的な会話で立て直さないと、転校早々、変人のレッテルを貼られてしまう。


 俺は胸像に話題を移して落ち着こうと思った。

「どういう人ですか?」

「南方熊楠先生をご存じありませんか?」

 え?有名人なのかな?

 そう言えばこの土地は南方町というくらいだから、そうか、郷土が産んだ偉人というわけか。

 俺がそう言うと、ここ南方町と関わりは特にありません、と女の子は淡々と解説するように話し始めた。

「南方熊楠先生は日本最強の知の巨人です」

 最強ってどういうことだよ?文武両道ってことか?気にはなったが、どこまで物を知らない奴かと思われるのもなんなので、黙っていた。

「博物学を中心に膨大な知識をお持ちで、特に粘菌の研究においては、世界的な権威です」

「この人が、この学校の創設者なんですね」

「いいえ」

「え、違うの?じゃあ何で、この学校に胸像があるの?」

 なぜか、女の子はちょっと恥らったような顔を一瞬見せた後、こう言った。

「この学校、南方高校の創設者・江戸川愛子が娘時代、南方熊楠先生の信奉者だったからです」

 構内にチャイムが鳴り響いた。

 その音が鳴り終わるまで、俺の思考は止まっていたようだった。

「信奉者……」

「面識はありませんでした」

「じゃあ、この学校の創設者は自分が娘時代にファンだった、粘菌学者の名前の高校を作って、その学者の胸像を立てたって事?」

 女の子は謎の恥じらいを見せながら、小さくうなづいた。

 俺は軽く混乱していた。

 状況がおかしいのか、状況を理解できない俺がおかしいのか、分からなくなりそうだった。

「学活、始まりますよ」

「学活?」

「ホームルームのことです」

「いけね!」

 俺は一年一組の場所を聞くと、走って来客用の入り口から校舎に入った。


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