座れば牡丹
"その女、妖艶につき要注意"
そんなキャッチコピーも様になるもんだから恐ろしい。
菊川家次女、菊川佳乃こと芸名YOSHINOは、今日も撮影によりパリに来ていた。屋外での撮影は天候や時間の変化によって撮れるものが変わるせいか厳しくハードである。それでも淀んだ空気よりも、切羽詰まった緊張感の方が佳乃は好きだった。
すらっと真っ直ぐに伸びた手足に、脳みそ入ってるのかどうか疑問である小さな頭は定規で測るとぴったりと八頭身である。
今着ているシャネル丈のベージュワンピースも、間違えるとのぼったくみえるソレが佳乃にかかれば覗くふくらはぎが色気を感じさせる。シャンパン色の光沢をもつパンプスは、伸びる足をさらに長く感じさせていた。さらに、アクセントとして羽織ったスカーレット色のカーディガンが艶やかな佳乃にぴったりである。
ふわっと広がる栗色の髪は、今はショートボブにして全体をすっきりと見せている。特に首もとは涼やかで、思わず項に目がいってしまうようであった。
母親とよく似た顔立ちは、しかしパーツに分けると鼻以外はそれほどでもない。アーモンド型の目元とふっくらした唇は母によると祖父に似ているらしい。
そんな佳乃を人は「牡丹のようだ」と言う。
誰が言い出したか定かではないが、以前仕事で髪に造花を飾り立てた時に、ヘアメイクさんが泣きをみたのが始まりである。
顔が目立ちすぎて、造花がどうしても哀れに見えるとのこと。
確かに、はっきりした顔立ちであり、特徴であるぽってりした唇は愛情深そうな印象を持つらしい。
(だーれが愛情深そうだっての。むしろ与えろ!)
雅さに妖しさがプラスされた印象のせいか、よってくる男はろくでもないものばかりで。
今回もパリに来る前に3股男の股間を蹴り上げてやった。
(舐められたものだわ)
佳乃はそう思いながらも、表情の下に鬼を隠して微笑む。今は佳乃ではなくYOSHINOである。猫をかぶるではないけれど、それでも己のイメージを作り上げることは重要なのだ。
綺麗だね、美しい、そんな言葉は当たり前である。
この顔は佳乃にとっては武器であり、日々それに見合うプロポーションを保つ為にも努力しているのだ。ちょっとばかしお胸が寂しくても、他に肉は付けられない。
だからこそ、今回の3股男が許せないのだが。
(巨乳好きめ!家帰ってかーちゃんの乳でも揉んでろ!)
口は3姉妹の中で一番悪いのである。
「よしのちゃーん! 次引きでいくよ!」
カメラマンのおやじの指示が飛ぶ。いつみてもきゅっと締まった良い体してるおやじである。
モデルは喰わない男であるが、他の女の子は入れ食い状態なのは周知の事実。
それでも女の見方をよく知っている男で、佳乃はいつも彼と組んで仕事が出来ることが嬉しかった。モデルにそう思わせる男だからこそ、この世界で生きていける。モデルは、こいつを撮りたいと思わせてこそ、この世界で輝ける。
「哲朗ちゃん。チャックが半開きでしてよ?」
カメラマンの社会の窓は開放されている。
***
「樹がかけてくるなんて珍しいわね」
一通り予定していた撮影がおわり、通りに面したベンチでカプチーノを飲みながら掛かってきていた電話を折り返していた。
『うん。元気かなぁって』
「ぴんぴんしてるわよ。モデルは体が資本なんだし自己管理はバッチリよ」
『そうだね。ふふ、今年もインフルエンザの予防接種ついて行こうか?』
電話口から樹がくすくす笑っているのが聞こえる。
大嫌いな注射は、それでも体調を壊すわけにもいかずに毎年のようにあの拷問を自ら佳乃は受けに行くのである。
病院嫌いの佳乃はいつも樹を道連れにし、いざ注射を打つときも隣に座らせて思う存分手を握るのであった。
「そうね。今年は樹も受けたら?今年は流行するらしいわよ」
にやり、佳乃の頭とおしりから悪魔のそれが浮き出ている。
『えー、たぶん大丈夫だよ』
「一緒に痛い思いしましょうよ」
けけけと笑う佳乃である。
「お土産、何がいい?」
佳乃はいつも、仕事でもプライベートでも家族にお土産を買うのが好きである。家族のことを思い浮かべてにやにやしながら品定めするソレは、悪戯っ子のような表情であることは本人は気付いていないが。
『珍しいものがいいなー』
「まぁた難しいリクエストですこと」
それでも何でもいいよと言わないところが樹らしい。
『でもあれは欲しい。いっつもお土産と一緒にくれる絵はがき!』
いろんな国の絵はがきが溜まってきてね、私まで海外に行ったみたいで楽しいんだよ。と樹が笑う。
ツンデレを自覚している佳乃であるが、今完全に佳乃はデレていた。
(かわいい奴め! 帰っておっぱいに顔埋めてやる!)
ただのシスコンの変態なのである。
「分かったわよ。明後日に帰るから家に集合ね」
みんなにも言っておいて、と言って電話を切る。あぁ、ちょっとばかりイライラした気持ちが吹っ飛んでいったわ。
携帯を鞄にしまい、暖かい昼間の空気に馴染みながら行き交う人々を眺めていた。
場所的に観光地の中心でもある為、おしゃれな人が多い。あの靴いいわね、あらルブタン女発見、あの色合わせはないわ、何あのコサージュ!素敵すぎる!などと観察しながらも目の端にチラリと写った人間を感知する。
(なんだろう、さっきから視線を感じるわ)
東洋人だからかしら、と首をかしげてその人を見やる。小さな椅子らしきものに腰掛けてキャンパスを立てているその人はどうやら絵描きさんのようだ。
この街は絵描きさんも多いし、公園に行けばミニオーケストラやってる人も多い。
日本との違いはここよねぇ、と海外に来ると毎回感じる佳乃である。
そうこうしているうちに、その絵描きさんは招き猫の真似をし始めた。
(…ちょっと不気味だわ)
白昼堂々、というのも外国である。
しかし招き猫はやまない。まぁ芸術を愛する人間に悪い奴はいない、と日本人っぷりを発揮して近づいた。
『やぁ』
『…どうも』
よくよく見ればお金をもらって似顔絵を描いているらしい。何枚か飾られている絵はイラストめいたものではなくて、どちらかと言えば肖像画のようなタッチである。
書かせろってことかしら?と思いながら目の前にしゃがみ込む。
『さっき君電話してただろう?綺麗だったからついつい書いちゃって』
…フランス人め。キザめ。
しかし、やはりにやにやしていたか、とちょっと気恥ずかしくなる佳乃である。
『勝手に書いちゃってごめんね。でもせっかくだからもらってくれない?』
お金はいらないよ、と言って絵描きさんがスケッチブックから切り取った一枚の絵を見て、佳乃は息をのんだ。
私、こんな表情してたのかぁ。
思わず日本語でこぼしてしまう。
そこには、少し上向き加減でうっすら微笑む佳乃の横顔が描かれていた。自分で思うのもなんであるが、天に召される天使のようだった。
写真とは違って描き手の主観も入るけれど、それでもこの絵描きさんが佳乃を見てこんな優しい表情を見取ってくれたことに、純粋に嬉しさが胸に広がった。
『ありがとう。とても嬉しい!』
ツンデレな自分が飛んでいった気がする。それ程に浮き上がっていた。
にこっと無精ひげに包まれた口元を広げた絵描きさんは、くまさんみたいだと思ったけれどなんだかとてつもなくイケメンに思えてくるから人ってすごい。
『喜んでもらえて嬉しいよ』
頬をポリポリと掻いたその人は、もしかして恥ずかしがり屋なのかもしれない。
ちょっと可愛いじゃないかこの野郎。
『あの、よかったらこの街の風景とか書いてもらえませんか?葉書サイズの』
『んー、でも僕、風景画はそんなにうまくないよ?売店で売ってる写真とかの方が』
『あなたの書いたこの街が見たいの』
ちょっと目を見開く絵描きさん。佳乃はそれでも真剣である。
『…喜んで』
今度は頬を赤くした絵描きさんであった。
『ありがとう!4枚、いえ5枚書いてくださる?』
『5枚かぁ。今すぐは無理だなぁ』
『明日の今と同じ時間にここに取りに来るわ。あと携帯番号も…』
番号を教えて値段交渉をして立ち上がった佳乃は、手を差し出してにこっと笑った。
『楽しみにしてます』
***
「こ、これは…!」
樹は差し出されたお土産を前にして戦いた。
「珍しいものでしょう?」
佳乃は得意げである。樹へのお土産はあの絵描きさんにもらった佳乃の似顔絵と、それに見合う額であった。
「すごい!かわいい!なんか佳ねぇがかわいい!」
「それどういう意味よ?」
「…家宝に致します」
いそいそと額に入れ始めた樹を見ながら、佳乃も満足げである。
「佳乃、この絵はがき手書きじゃない?」
そう言ってお土産であるストールを巻いた母、佳代が珍しげにそれを見ていた。
「…ほんとだ、ああぁぁぁ!ジェラニウムが綺麗だねぇ」
父へのお土産は向こうの書店で買った植物図鑑である。なかなか我ながら洒落ている。
「なかなか良いわね」
言葉少ないけれど、長女幸子も喜んでくれているようだ。その手には大好物のチョコレート。幸子はいつもお土産何がいいと聞いても帰ってくる言葉は「チョコ」の一言なのである。
そんな家族を見ながら、絵描きさんとの会話を思い出していた。
『昨日の電話の相手は君のパートナー?』
『…妹よ』
『そ、そうなんだ。いや、大事な人相手かなとは思ったんだけど』
『大事な人よ。家族だもの』
『もしかして、この葉書も?』
『そうよ。好きなの、絵はがき。自分がどんなところに行ったか伝えられるでしょう?』
『そうだね…それもいいかもしれないな』
『え?』
『いや、なんでもないよ。…君は本当に家族を愛してるんだね』
『……当たり前じゃない』
ちょっと顔が赤くなった佳乃である。なんだか気持ちがくすぐったい。
熊さんみたいな絵描きさんは、その後目を細めて佳乃の頭をそっと撫でたのである。まるで小さい子どもにするかのように。
…今度はプライベートでパリへ行こう。家族で行くのもいいかもしれない。幸子に休みを取ってもらおう。
まだあそこにいるか分からないけれど、あの絵描きさんに家族を書いてほしいと思った佳乃であった。
―――百花の王である牡丹が、優しい目をした絵描きの獅子さんを追いかけ回すのは、また別の話である。