立てば芍薬
3番手。それは樹の最も嫌いな言葉である。
凜とした長女、幸子はストレートで医大に合格して今は小児科のドクターという才女。
艶やかの一言につきる次女、佳乃は日本一の売り上げを誇る女性向け雑誌の専属モデルという美貌の持ち主。
それに比べてな三女、樹は二人の姉を前にしてくすんでしまう、平凡な女である。
IQはそこそこ、運動能力も標準、ピアノは猫踏んじゃったぐらい、絵を描けばちょっと平均以下。容姿に関して言えば、日々佳乃と母の佳代を見ているせいか、からから自信はない。身長も目も鼻も口もちっちゃい、というのが自己評価である。
どこぞのおばさまかお姉さまかおじさまか知らないけれど、姉たちを百合と牡丹に例えたものだから、樹は必然的に芍薬と言われるようになっていた。実際それを目にしてみればとても美しい花なのだが、王に陰る者のようで微妙に嬉しくないのである。
"内気"という花言葉も、どんぴしゃであるため反発したくなってしまうのだ。
ちょっと卑屈な性格は自分でもよくないな、と思いつつも、比べる相手がいつも姉であることから、どうしても"自分てなんだろう"と思ってしまうのである。
今日とて、バイトでしたミスをいつまでも抱え込んでへこんでいる。周りの人たちは笑って許してくれたけれど、こうしてマイナスなことしか目に付かなくなる自分に辟易としていた。
「まぁ、次から気をつければいい話だから」
お客さんも許してくれたしね。と言って樹を慰めてくれる先輩は煙草を吸いながら今日の日報を打っている。
ちょっとでも人見知り癖を直そうと飛び込んだ居酒屋でのバイトももう二年であるが、少なくはなったがまだミスもあるし、何よりも要領が悪くてできる女子にはほど遠い。
どこまでもできる女の形容詞である長女が頭に浸食し始めた。
うーうー唸っている樹を横目に、先輩が日報を打ち終わったのかパソコンで音楽を聴き始めた。
エリック・クラプトンさんなんて渋いセレクトである。
「ミスは誰でもする。けどな、今日のおまえみたいに必死で謝ってそれをお客さんが受け入れて、なおかつまた来るよって言ってもらえる人間はそんなに多くない」
俺だって店長だってミスはするさ。とんとん、と灰を落としてまた口に煙草を寄せる。
…ほんとにおいしそうに吸うなぁこの人。
「足りないものを創り出すのも必要だけど、お前の良さをちゃんと自覚して伸ばすことも大事なことだと思うよ」
(…私の良さってなんだろう)
結局そこに行き着いてしまう。樹は頬に手を当ててふぅと息を吐いた。
「無い物ねだりしちゃってるのは自覚あるんですけどねぇ」
末っ子の甘えだろうか。
幸子も佳乃も完璧な人間じゃない。それぞれに悩みもあればコンプレックスだってあるのを樹は知っている。
佳乃は樹の胸元をじーと見ては己と見比べてため息をついてるし、幸子は見かけ綺麗好きそうであるが、実のところ片づけられない女であり、いつも医学書や論文が脱ぎ捨てた服たちと共に散乱している。
(炊事洗濯は普通なのになぁ)
幸子の部屋に掃除に行くたび驚く樹である。
そんなことを思いながらも、やはり自分のダメなところしか見えてこず、さらにヘコむ。比較対象があの二人ってのを変えた方がいいのは分かってるのだが、お姉ちゃん子である樹にとって比べる相手はいつもきらきら星人である姉たちだった。
最近こんなにもネガティブになっているのには心当たりがあった。進路である。
目の前にいる先輩が大学3年で、就職活動の話をよく聞くようになった。それからというもの、これといってなりたいものや目標がなく、ただ勉強していた樹にとって「就職」がとてつもなく大きな壁に思えたのである。
早くに目標を見つけて一直線にそれを叶えた幸子と佳乃。
一方で樹は、一年先に迫った将来の選択をまだ決められていない。
どんな仕事をしたいのか、抽象的すぎて決められないのである。勉強してる分野が分野なだけに、就職に繋がりにくいというのは言い訳だった。
高校の時にかじった世界史で、西洋の宗教観が元を辿れば同じものだったと知った時に樹は衝撃を受けた。同じものから生まれたそれらが、今では戦争に繋がるほど嫌悪し合っているのだ。なぜなのか、その背景が詳しく知りたかった。
それが樹が人文学部宗教学科に入学した理由である。それ故今のような状況に陥っていても後悔は全くなくて、むしろ講義もゼミも楽しくて仕方ない。マイナーな分野なだけに似た思考を持つ人と語らうことができるのが刺激的で嬉しかった。変わり者が多い教授陣とも、勉強のことでなら会話が途切れない。もっといろんな人の話が聞きたくて院の講義をのぞきに行ったりもしていた。
自分が学んだことが活かせる仕事。国際化が進む世界では無理矢理こじつければあるかもしれない。けれど何かしっくりこない。そう思う時点で甘えたなんだろうなぁと感じるのである。
「自己分析だ自己分析」
主観の入った分析ってどうなんだろう。己を客観的に見る練習なのだろうけれど。
うーんとさらに唸りながらも、唯一言える自分の良さを怖々と言ってみた。
「…取り柄って言えば、真面目ぐらいしか思いつかないです」
「そう。真面目さ。誰でももってそうでそれでも大人になると削がれていくもん」
すぐに言葉を返したその人は、音もなく最後の煙を吐き出し樹が座っている椅子に近づいてくる。ちっちゃなスタッフルームの半分を占めていそうなテーブルで、向かい合わせに座った。
「高校までは嫌でも周りの大人がいろんな校則付けて口出して管理してくるだろう?遅刻するな、期限を守れ、サボるな」
そう言って先輩は指折り数えていく。
「ガキの頃はそんなもん鬱陶しいことでしかなかったけど、大学入って、バイトだけど働いて、ようやく規則とか管理されてたことが自分を守ってくれてたってことが分かるんだよ。口出す大人がいない分伸び伸びとできるけど、その分自分がしっかりしないとすぐにはじき出される。大学の履修だって自分で確認して、登録しないと授業に出られない。それを注意してくれる教師はいないし。バイトだってそうだ。今まで遅刻しても怒られれば済む話だったのが、厳しいとこではすぐ首切られる。社会人が仕事サボっててもその分自分に跳ね返ってくる。昇進とか、給料とか。つまり自由には責任がついてくるわけ。」
流れてた音楽が終わってスタッフルームが一気に静かになった。先輩の声が、いつもよりよく聞こえる気がした。
「それでもやっぱ気抜く奴なんてごまんといるわけでさ。実際うちのバイトでも勝手に飛んだりする奴いるだろう?仕事中につまみ食いしたりさ。そーゆう奴もいる中で、お前は暇な時もしゃんと立ってダレないし、仕事探して動く。愚痴も滅多に言わない。大学だって、単位なんて取れりゃいいもんなのに真面目に出席してるし。普通のことかもしんないけど、それをさも当たり前のように出来る奴は多くない」
先輩の言葉一つ一つを自分の中で反復しながら考える。
大学に真面目に通うのは好きな勉強ができるからだし、それに学費を両親に払ってもらってる分、しっかり勉強するのは必然だった。けれど、自分のように勉強が目的ではなく、いいところに就職したいからという目的で大学に入った友達もいる。それも一つの大学の利用方法であるし、みんながみんな机にかじり付いて勉強すべきだとは思わない。それぞれに目的があって、その道順も違うのだから。
「まぁ、大学は好きで行ってますから。バイトは、お金もらってるからにはちゃんとしなきゃと思ってるぐらいで…」
歯切れ悪くそう言う樹に先輩はちょっとおもしろそうに笑った。
「褒めてんだから、素直に受け止めとけ」
確かに、仕事に厳しいこの人のこんな話はすんごい珍しい。この二年間でも、初めてかもしれない。良くも悪くも本当のことしか言わない人である。そう思うとすんなりと心に入ってくるから不思議である。
「そうします。へへ、ありがとうございます」
なんとなく照れて、鼻の下がむずがゆくなった。ちょこちょこ指で掻く樹を見てひな鳥を見るかのように見やる先輩。
「まぁ、誠実さかな。お前の魅力は」
そう言って一重の優しげな瞳をさらに細めて笑った。
樹は柄にもなくぽっと頬を赤らめてしまう。そうやって異性に自分の魅力を語られるのは慣れていないのである。
「誠実さですか」
「そうですねぇ」
「…なぜ敬語?」
くくっと笑う先輩である。
***
帰り道って好きだな。いつかのCMでも同じことが流れてたけど。
それの意味することは、帰る場所にいる人たちが本当に好きだということである。
「樹のねーちゃんズは元気?」
「元気ですよ。って言ってもどっちとも5日ぐらい顔合わせてないですけど」
からから自転車の車輪が回る音が優しい。
たまに先輩と一緒に帰るけど、しりとりしたりお互いの勉強の話をしたりと、穏やかな時間である。
「そういえば、先輩はねぇたち紹介してくれって言いませんね」
佳乃はモデルであるから、まぁ、普通に有名人であり、他の人は本気でも冗談でも一回くらいは言うモノなのに。樹がバイトに入って知り合った人だけど、これまで一度も言われたことないなぁと思い返した。
「ああ。お前の話でよく聞くし、わざわざ会わなくてもね」
鼻のてっぺんをこりこりと掻く。…無意識に姉たちの話をするほどやっぱり好きなんだなぁと思った。なんやかんやである。
「それに、樹と話すので俺は満足だしね」
「さいですか」
「鈍感」
「鋭敏ですよ」
にこっと笑った樹はちょっとばかしの力で先輩のシャツの裾をこっそり握った。
立てば芍薬。
それならばへこんだって卑屈になったって、真っ直ぐ真面目に立ち上がってやろうじゃないか。
取り柄なんてないかもしれないし目標もまだあやふやなままだけど、とりあえず今は好きなこと、ことんやってやろうじゃないか。
そう思わせてくれた斜め横のこの人に呆れられるぐらいまでとことん。
―――ついでっちゃあアレだけど、この人に向かって背伸びしてみようかな、とも思う樹であった。