始まりの予感
ある日の昼下がり、ぽかぽかと木陰で日の光を浴びて、昼寝を楽しんでいたクリスは、バタバタと騒がしい足音で目を開けた。
「なんだ。」
息を切らして走ってきた王家付き騎士の象徴である、青い制服を着込んだ若い青年へと声を掛けた。淡い紫色に睨まれさらには、凄みの効いた声をかけられた彼は、体の震えを必死に止めて、忠誠を誓う騎士の正式な礼をとった。
「お休みの所、誠に申し訳有りません。ゼウス国王より伝言を承っております。」
「よい、許す。面を上げよ。」
「はっ。」
許しを得て顔を上げた騎士は、不安と恐れがありありと、その顔から手に取るようにわかった。
全く、父上はこんな役立たずをよく近くに置いておられる。見る目がないな。
騎士に判らぬよう、こっそり溜め息を着くと、寝そべっていた上半身を起こして騎士を見た。
「して、父上からはなんと?」
大体伝言の想像はつくが、敢えて騎士に問いかけた。
「直ぐ職務室へ戻るように、との仰せです。」
やはりな。
内心舌打ちをしたい気分だったが、騎士の手前そんな失態は出来ない。
「わかった。直ぐに戻ると伝えろ。」
そう言ってまたクリスは、ごろんと横になった。
しかし、騎士は一行に立ち去る気配を見せない。片膝をついたまま、途方に暮れた顔をクリスに寄越すだけである。
「まだ何かあるのか。」
痺れを切らしたクリスが、そう赤毛に金色の瞳をした騎士に問いかけると、彼はパッと顔を輝かせて答えた。
「ゼウス様から部屋へ戻るまで、見届けよと仰せつかっております!」
自信満々に答えた騎士を眉間に皺を寄せて見やれば、当の彼はまるで人間には無いはずの犬の尾をつけて、パタパタと振っているかのようにクリスを見ていた。
体を起こし、何から言うべきかと思案していると、ふわっと背後に人の気配を感じ、腰に提げていた金色の剣を素早く抜いて、クリスは相手に容赦なく切りかかった。
しかし、切りかかった相手は軽々と重い剣先を右手の人差し指と中指で挟んで止めると、愉快そうに笑った。
「やっと見つけたのに、この扱いはどうかと思うが。相変わらず容赦がないね、クリスティアは。」
「私はクリストファーだっ。」
そう叫んで、相手の足元を引っ掛けようと試みたが、軽やかによけられ、クリスは盛大に溜め息をついた。
「なんだい、クリスティア。王女ともあろう君が、人前で溜め息なんぞついて。あぁそうか、私に出逢えて嬉しくてつい、溜め息がこぼれたんだね。」
蔓延の笑みで微笑む相手は、隣国より語学留学として先月から滞在している、アルフォンス・シューベント第二王子である。
ただし、それは面向きで。
「此処の場所を誰に聞いた?」
剣を鞘に納めながら、相手に睨みを効かせて問いかけた。
「御義父上殿が、多分此処だろうと。」
やはりな。
あの父親は、軽い頭で一体何を考えているのか。
足早にその場を去ろうとしたクリスを、アルフォンスは穏やかに問いかけた。
「何処に行くんだい?」
「部屋へ戻る。まだ仕事が残ってる。王からもそう、伝言を受けた。」
そう言うつもりで、伝言を寄越したのでないのは重々承知だが、クリスは一刻も早くこの場を去りたかったのだ。
「おやおや、王は人使いが荒いな。折角半年ぶりに逢えた婚約者達を1ヶ月もの間、逢う猶予も与えないとは。」
「婚約者同士だと思ってるのは、お前だけだろう。」
城に向かって歩いていたクリスは、先程クリスが居た木に寄りかかっている、アルフォンスを振り返った。
淡い綿毛のような金髪を持ち、夕日のような穏やかな暁色の目をしている彼は、クリスにそうかな?と答えた。
「これ以上この国で根も葉もない噂を広めるならば、例え同盟国のシューベント国の王子であっても容赦はしない。それに其方にとっても国を担う王子が、同性愛者など等噂が立てば、国としての威厳に関わるだろう。」
クリスは厳しく指摘すると、さっと傍にいた使えない剣士を連れて、城へと去っていった。
「ソレイユ、居るんだろう?」
クリスが去った方向を、名残惜しそうに眺めていたアルフォンスだったが、もたれていた木から体を離すと、誰もいない豪華な庭に声を掛けた。
「はい、アルフォンス様。此方に。」
すると、アルフォンスの背後にある影が不自然に波打ち立ったかと思うと、見る見るうちに小柄な少女へと変貌した。
短い漆黒の黒髪と暁色の瞳を持ち、白いワイシャツに茶色のベストに灰色の短パン姿はまるで少年のようだが、声は確かに幼い少女のもので。少女は静かに左背後にあるアルフォンスの影の上に立っていた。
「そろそろ頃合いだろう。何時でも動けるようにしておくように。兄上には、ふた月後には国に帰ると。クリスティアを連れてね。」
「御意。」
そう言って頭を下げたソレイユは、その姿が揺らいだかと思うと黒い影へと変わり、アルフォンスの背後から近くの茂みへと音も立てずに移動し、姿を消した。
「もう追いかけっこは終わりだ。」
その優しそうな容姿からは想像もつかない、冷たい笑みを浮かべたのを暖かい日差し以外に、誰一人として知る者はいなかった。