03・たまごなわたし
かえるまであと一週間かそこららしい。殻の一部に灰色の染みが広がって来てて、ちょっとノックすれば割れそうな気配がした。でも私が這い出るには狭いからもうちょっと待ってよう。
ファントムさんの授業を受けてる間は気が付かなかったけど、私の両親になる二人はとっても良い人みたいだ。この三日間何かの用事で家を出てたお父さんは帰って来るや、お母さんと一緒に私を撫でまわしてまだ生まれないねーと笑い合ってた。ファントムさんのくれた知識によれば世界観はヨーロッパに近いものの日本人の感性から逸脱しない程度のもののようだ。竜は特に子供に甘くて、たまごがあるうちは夫婦の関心はほとんど『いつ生まれるか』。子供が生まれてからは子育てが生活の比重の七割以上を占めるのだと。子供が生まれることは少ないから村全体の子供と化すらしいし、子育てには本当に良い環境が揃ってる。昔の日本みたいだね、村全体の子供って考え方。
たまごの中には夜も昼もなくていつもうすぼんやり。だからお母さんやお父さんの掛けてくれる言葉で今が何時なのか知るしかない。お母さんがおはようって言ったから今は朝か……お母さんがお父さんを呼んで、お父さんは私――っていうかたまごの殻にキスをしてくれた。愛されてるって嬉しいよね。
「おはよう、俺たちの可愛いたまごちゃん」
お父さんはそう言うと私から離れて、お母さんとご飯を食べ出した。たまごは産まれてから『きっかり何年目』にかえるから、あと数日後に控えた二十年目を楽しみにしてるみたい。私も早く生まれたいな。きっと大喜びしてくれるだろうから。
「楽しみね、アゲート」
「そうだな、クリソプレーズ」
そんな優しい声にうっとりとしてると、急に落下する浮遊感に襲われた。気持ち悪い気持ち悪い、一体何が起きたの?!
「たまご……?」
十代になったばかりかそこらの少年の声が聞こえる。私は抱きしめられてるのか、触れてる部分が温かい。
「たまごだな」
そして中年男性の声。たまごって私のこと、だよね?
「そうですね」
少年の声が答える。一体何があったんだろう? お父さんとお母さんはどうしたの、何で急に少年が出てきたの? なんだか歓迎されてる感じがしないし両親はいないしで不安になる。なんで、なんで?! 何が起きたのかさっぱり分からない!
「どうする、送還するか?」
ソーカンって何? 創刊? 送還? どういうこと?
「いえ、これで良いです」
少年の声。これで良い――なんだか向こうが急に現れたくせして上から目線なことにムカっとした。これ『で』良い、だと?! これ『が』良いならいざ知らず、私を勝手に連れてきたのか向こうが現れたのかは知らないけど、おかしくない?! これ扱いされるのはたまごだから仕方ないけどさ! むかつく、むかつく! この餓鬼め、後で見てろ!
イライラを込めて殻の硬い部分を殴ったけど、向こうに振動が伝わってる様子はなかった。
『ファントムさん! ファントムのおじーさん!』
しばらくカッカッとして外界からの音を遮断してたら、少年が私をベッドか何かに転がしたらしい、不安定な体勢をとることになって更にイラっときた。こういう時は年長者に頼るのが吉だ――ファントムさんを呼ぼう。
『なんだ、騒々しい。我も暇ではないのだ――ん? お前、何故親元におらぬのだ』
『それは私がききたい。気が付いたらむかつく餓鬼に抱えられてて、お父さんもお母さんも近くにいないし! 餓鬼は失礼だし置き方悪いし!』
土石流のようにストレスをぶちまければ、よしよしと頭を撫でられる感覚がした。
『どうやらお前は人間に召喚されてしまったようだな』
『召喚?』
『我々魔物……奴等はモンスターと呼んでいるようだが、魔物を使役するために呼びだし、従わせる魔法だ』
『はた迷惑!』
『その通りだ。我々からすれば迷惑でしかない。だが中には人間などの強者の庇護を必要とする弱い魔物もおる……悪いばかりではない魔法なのだがな』
人間よりも強い魔物にとってはいきなり呼び出されて契約しろと騒がれるという迷惑行為以外の何でもない。その最たるものの竜である私が呼び出されて――「これ『で』良い」とは。どこまで上から目線なんだ。餓鬼のくせに。
『諦めてかえるのを一年ずらすか? その間に両親が回収するであろう』
『……うーん』
私は両親に会う気満々なのだ。それがこの餓鬼のせいで一年ずれるなんてもってのほか。
『ううん。私かえるよ』
生まれて、あの失礼な餓鬼に一発食らわせるのだ。
『そうか。ならばかえる時は気をつけよ。竜とばれればお前を狙う者が多数出てくるであろう、亜人として振舞うのが一番無難といえる』
『えっ、それはどうすれば』
竜としての姿を晒すな、ということは分った。でもどうしろと。ファントムさんがたれがなすようにくれた――押し付けてくれた知識のおかげで、人間の前に竜としての姿を晒すのは危険だということはこれ以上なく知ってるけど、何をすれば良いのかまでは頭が回らない。
『人の姿に擬態すれば良い。なに、魔法は我が教えてやろう』
――そして私はまだ生まれてもないのに魔法を学ぶことになり、この面倒な騒ぎを引き起こした張本人である餓鬼に復讐を誓ったのだ。お父さんとお母さんから引き離した罪は重い! そして私に面倒をかけさせた罪はもっと重い!
次回、とてもシリアスです。竜の村サイドを予定。