00・奪われたわが子
初めまして、木偶と申します。たまご物語を楽しんでいただければ幸いです。
そのたまごは大事に大事に――本当に大切にされていた。親である竜の夫婦の、初めてのたまごだったからかもしれない。元々竜というものは繁殖能力が低く、数百年に一個、たまごが生まれれば良い方なのだ。まだ若いといえるこの夫婦にこんなに早く子供ができるなんて、竜の社会でもビックニュースだった。百年ほど前にも異色のカップルとして竜たちの話題をさらい賛否両論の声に辟易としていた彼らだったが、今度は誰からしても目出たいことだと二人――二竜は皆からの祝福を受けた程だ。
卵は二十年から三十年、長いものであれば数百年の間沈黙を守る。親でさえたまごがいつかえるのか分らず、たまごのいる家庭には十年に一度の竜の祭に出席しなくて良いという決まりまである。
たまごはどこからでもすぐ見える場所に安置してあり、専用の台座で柔らかいクッションに包まれている。温める必要がないのが竜のたまごの特徴だ。
「早く生まれてね、私たちの可愛いたまごちゃん」
母親である青い髪をした若い女は、朝一番の挨拶をたまごに送る。夫は――昨日まで所用で出かけていたからギリギリまで寝かせてあげようと寝室に置いてきた。彼女は鼻歌を歌いながら朝食に目玉焼きとラム肉のステーキ、オニオンスープにお代わり自由のサラダを用意する。朝からステーキなんて重いかというと、基本的に肉食の彼らからすればこれでも軽い方なのだ。
「あなた、アゲート、起きて。ご飯よ」
普段竜が竜の姿のままでいるかというとそれは誤りだ。竜もわざわざ大きいサイズの家具を用意するのは面倒だし、大きいままでは森の木々をなぎ倒してしまって棲み家をなくしてしまうから人の姿を模して生活している。なかには人の姿を取るなど野蛮だと言って竜の大きいサイズのまま生活する者もいるが、彼らは村から外れた場所に数人――竜でくらしている。そういう彼らのことを、竜たちは呆れ半分納得半分で自然論者と呼んでいる。そして、この村の近くの自然論者たちとは交流が疎遠になっていないから袂を分かつようなことにまではなっていないけれど、他の村の中には交流をすっかり絶ってしまった者たちもいるらしい。
「うーん……おはよう、クリソプレーズ」
「おはよう。もうご飯出来てるわ」
「ああ、ありがとう」
もぞもぞと布団から這い出して男――アゲートは床に足を突いた。寝癖のついた赤い髪を掻き回しながら寝巻の上を脱ぎポロに着替える。下はそのままらしい。
「おはよう、俺たちの可愛いたまごちゃん」
そして一番に妻である青い髪の妻、クリソプレーズに――ではなくたまごに近寄り、巨大に成長する竜からは考えられないほど小さいそれにちゅっとキスを落とした。クリソプレーズもそれを当然と思っているようだから日常のことのようだ。竜は子供を大事にする種族だから当然のことなのだろう。
「にしてももう二十年目かー。早ければあと少しでかえるんだよな、楽しみだ」
竜たちは二十年以上たまごを見守るわけだが、当たり前のことながらたまごが埃をかぶることなどない。大切な次代であり子供なのだ、そんな扱いをしようものなら周囲からひんしゅくを買ううえ産んだ妻がたまごを片手に別居を始める可能性がある。実際過去に、奥さんの留守の間ずっと卵をおろそかにしたせいで離婚したカップルがいたりするのだから笑い話では済まされない。
ドカリと席に腰をおろしコップに水を注ぐ妻を見ながらそう言えば、笑いを含んだ言葉が返って来る。
「気長に待つのが一番よ。早くかえってくれる可能性なんて低いんだから、期待しすぎて凹むのはあなたの勝手よ」
「あー……うー」
ほかほかと湯気を上げるオニオンスープをかき混ぜながらアゲートは呻き声を上げ、二十年目で生まれると信じ込むのが過ぎるあまり誕生日パーティーを早々に用意していた親戚を思い出す。結局その子は五十年目で生まれ、親戚は祭りのたびにからかわれている。自分もフライングで笑い話を提供する可能性が高い。
「いや、俺たちの子供は二十年目でかえるさ。俺の感がそう言ってるんだ」
「あなたの従兄も同じこと言ってたわよ」
「あー、あいつは……感が鈍かったのさ」
二人とも座り、手を合わせてから朝食を摂る。クリソプレーズはアゲートにああ言いながらも、やはり自分たちのたまごは早くかえるのではないかと思ったようだチラチラとたまごを見やっている。もうすぐたまごが生まれてから二十年なのだ、もしかしてと期待する気持は大きい。気が早いと笑われながらも子供部屋もおもちゃもとっくに用意しているのだ。
「楽しみね、アゲート」
「そうだな、クリソプレーズ」
夫婦は鼻と鼻がこすれ合うほど顔を近づけ、にっこりと笑った。仲が良い夫婦として二人は有名だった。
――と。突然台座が光り輝き、二人の視界を一瞬奪った。
「なっ?!」
「キャア?!」
竜の視界を焼くほどの光量だ、人間が見れば視覚を失うだけでは済まされないだろう。そこらの人間が使う『ライト』や竜の魔法である『光よ』の何十倍の光だった。
「なに、が……?――ああっ?!」
正面から光源を見たわけではないクリソプレーズはアゲートに先んじて視覚を取り戻した。そして上がる悲鳴。
「何があった、どうしたんだクリソプレーズ!!」
「ああ、アゲート、アゲート! たまごが!」
たまごが、いない。クリソプレーズのその言葉に、アゲートはいまだ視力が戻らない目を瞬かせながら息を飲んだ。
「いない? そんなはずがないだろう。だって今の今までいたじゃないか」
「いないの! ないのよ!! どこにもたまごちゃんの気配がないのッ!!」
アゲートも慌てて気配を探り驚愕する。台座にたまごがない。まさか、いや、そんなはずあるわけが。
「どうして――」
「どうしてもこうしてもないわ、探しに行かなくっちゃ……寂しい思いをしてるに違いないわ……私のたまごちゃん……!」
ようやっと視力の戻ったアゲートが見たのは顔を真っ青にしながら擬態を解こうとしているクリソプレーズの姿だった。そのあまりにも普段とかけ離れた様子にアゲートの正気が戻る。
「待て、クリソプレーズ! めったやたらに探し回って見つかるものじゃない――村長のところに行こう」
アゲートは台座を見ないようにしながらクリソプレーズを抱き寄せた。竜としての姿に戻ろうとしていた彼女の体から力が抜ける。
「誰かが盗んだのよ、きっとそうだわ……わたしの、私のたまごちゃんが!」
竜のたまごが盗まれるなどという話は今までに聞いたことはないが、人間の間で竜を食べれば永遠の命が手に入るだとか無敵の魔力を手に入れるだとか言う噂が流れていることを二人は知っていた。大人の竜を捕まえることができないなら、産まれる前の竜を――と考える者が出てもおかしくはない。ナイフとフォークを手にたまごを囲む卑劣な人間の姿が思い浮かぶ。彼らは悪びれることなくたまごを割り、その薄汚い腹に我が子を収めるつもりなのだ。
「村長のところに行こう、な?」
アゲートは台座を見ない。見れば自分こそが理性を失い人の里を襲うだろう――と、自覚があった。
奪われたたまご。盗んだのは――誰?




