13・少年のモンスター
亜人の幼女――ミラ・フロワードは低い身長ながらも胸を張り顎を反らし、ヴィクトリアスには彼女が実際よりも大きく思えた。ぷくぷくとした短い腕を組む姿は可愛らしいのだが表情が幼くないため違和感が拭えない。ヴィクトリアスがごくりと唾を飲み込む音が響いた。一体彼女は何を言い出すのだろうか、と不安が押し寄せる。
「しょーかんしたにょあんられしょ、おかーしゃんとおとーしゃんにょちょこにかえしゅってゆーにゃらゆるしたえゆ」
「召喚したのは君なんだから、君が責任もって両親のもとに帰すなら許してあげるって言っているよ」
ヴィクトリアスは何度も頷いた。
「にゃらしょれまえあんちゃあああいのどれーね(ならそれまであんたは私の奴隷ね)!」
「だから、この子が帰るまで君はこの子の奴隷になるんだよ」
「えっ!?」
とたん、今まで空気と化していたボズが声を裏返す。ヴィクトリアスも目を見開いてわけが分らないといった様子だ。
「ええ!? 人間にモンスターの奴隷になれっていうの!?」
ミラはむっとした顔でボズを見上げるが、ボズの感性はおかしいものではない――一般的には。モンスターというものは人間の相棒ではあるが、双方をつなぐのはあくまで人間優位の契約である。一般的な魔法使いの立場からすればこれは当然のことであり何の問題もないと一考もせず切り捨ててしまう。『相棒』とは言うなれば、対外的な言い訳に過ぎない呼称なのだ。あくまで対等なのだと言い張りながらも使える手足を欲している人間と、不平等な契約とは知りつつも庇護を求めねば生きていけない下層のモンスター……どちらが優位に立つかは自明の理である。
ボズもヴィクトリアスとアルタイルの会話を真剣に聞いて納得してはいたのだ。たまごは――召喚するには幼すぎるモンスターは送還すべきであると。そしてミラがモンスターの中でも強い種族の部類に属することは了解していた。だが世間一般の常識として、人間はモンスターよりも偉いのだ。人間がモンスターを使いはしてもモンスターが人間を使うなど言語道断だという考えを何の疑問もなく抱いていた。
「あのね、この子は人間よりもはるかに強いんだ。――このたまごの殻を見てごらん」
あるタイルは人差し指でミラの頭を回すように撫でると小脇に抱えた殻を持ち直した。人差し指の関節でコツコツと表面をノックすれば硬質な音が響く。主成分はカルシウムではない――金属に似た音に二人は眉間にしわを寄せる。一体たまごの殻がどうしたというのか分らない様子である。
「分らないって顔をしているけど、この音を聞いて分らないかい? この子はこの硬い殻を破ってかえったんだよ」
そしてまた、かえったばかりだというのに人との意思疎通ができる。これは人減よりもこの子が優良な種だってことを表していると思うんだけど、とアルタイルはたまごの殻をヴィクトリアスに手渡した。それは中身がいなくなったと言うのにずしりと重く、また硬かった。
「ありゅたーゆ(アルタイル)、しょれあちょっとちあうあ(それはちょっと違うわ》。あらしあちょっちょときゅしゅならけ(私がちょっと特殊なだけ)」
しかしミラは頭を横に振って否定した。彼女自身、自分が特殊であることを良く理解していた。ミラは前世の記憶がある竜など自分以外にいるとは思えず、またファントムもそれを否定していた。彼女が特殊なだけであって、他の竜の場合簡単に契約させられてしまっていただろう。言葉を知らず、魔法も知らず、自分の本来の居場所さえ知らないのだから仕方ないのだろうが――自分がこのように召喚されるより前に自分と同じように召喚されてしまった竜の子がいるのではないかとミラは思い至り、鬱々とした気持ちになった。
「れも(でも)、ときゅしゅれおんちょによかっちゃろおもっちぇゆ(特殊で本当に良かったと思ってる)。あたちはおとーしゃんとおかーしゃんをおぼえてゆかり(私はお父さんとお母さんを覚えてるから)。だかりゃじぇったいかえってみしぇゆ(だから絶対帰ってみせる)」
両親が迎えに来てくれるまでの間扱き使われるだけだ。慰謝料にしては安いほうだろう、とミラは言った。いつ迎えに来てくれるのかは分らないが、誘拐犯への罰にしては安いほうだということはヴィクトリアスにもボズにも分った。かえったばかりの雛でさえこの分厚い殻を破る怪力の持ち主なのだ――成人の力は想像するまでもない。ヴィクトリアスは殴られ吹き飛ぶ自分の頭を想像してしまい背もたれの布団に力なく倒れ込み、ボズはそれに気付かぬほど動転していた。
人間にとって亜人とはあくまで『人間の亜種』であり、人間に劣る種族だという認識である。身長などからして、ミラは小人族の部類に入るだろう小型の種族だ。ヴィクトリアスたちが世間一般の常識という枠を当てはめて考えたがゆえに見誤ってしまったのは仕方のないことだ。
「分った――お前の言う事を聞こう」
ヴィクトリアスは目を閉じた。たまごを誘拐した上にたかがモンスターと見くびったのは自分なのだ、責任を負うべきだということは十歳の少年でも分ることだった。人間社会で誘拐事件など起きたら親が嘆き社会が騒ぐ。モンスターの親もそうであると何故思わなかったのだろう? モンスターからすればヴィクトリアスは憎いばかりの犯罪者なのだ。
殺人犯などの犯罪者たちは基本的に街の広場に晒されるのが決まりである。大きな穴一つとそれより小ぶりな穴二つが開いた木製の枠に頭と両手を拘束され何日も延々と広場で立ち続けるという罰は、犯罪者の顔を皆に知らしめるという目的の他に他の犯罪を抑制する狙いがある。罪が大きければその分広場で立ち続けることとなり、また更生は不可能だと判断されれば斬首もある。ヴィクトリアスの眼底に自分が広場で晒され、子供たちに石を投げられる姿が映った。――想像するだに恐ろしい。
ブルリと震えるヴィクトリアスを見つつミラは一つ瞬きをして訊ねた。
「――で? ほきゃに、なにきゃ、ゆーこちょあ、にゃーの?」
「他に何か言うことはないのかって言っているよ」
「いや、ないが……?」
言い聞かせるような、やけにゆっくりとし区切られた言葉に首を傾げる。何か足りないことでもあっただろうか? 助けを求めるようにボズを見るがボズも分らないようで肩を竦めた。何を言いたいのだろうか? ヴィクトリアスは次はラフマンを見上げた。ラフマンはミラしか見ておらずこちらに視線を投げかけることさえしない。だがラフマンも良く分っていないのだろうということがヴィクトリアスには分った。
「どりぇーになりぇばゆるしちぇもりゃーるとおもっちぇゆの? ちあうれしょ、ゆーべきこちょがありゅれしょ!」
「奴隷になれば許されるわけではない、何か他に言うべきことがあるだろうって言っているよ」
ラフマンは彼女の言いたいことが分ったのか、フッと笑いながら軽くミラの頭をなでる。ヴィクトリアスはそのまま視線をうろつかせた。自分はもちろん分っていないしボズも分らないようだ。ラフマンが教えてくれるとは思えない。どうしようもない――いったい何を言えと彼女は求めているのだろう?
「おかーしゃんあおしぇえちぇくりぇなかっちゃの!? わりゅいこちょしちゃあおめんなちゃいっちぇいわにゃきゃらめれしょ!」
「君の母親は、悪いことをしたら謝るできだということを教えてくれなかったのかい、だって」
ヴィクトリアスは考えた。そういえば自分は彼女に謝っただろうか?――答えは否。始めはミラを自分の使役魔だと主張し、説教され奴隷になるとは言ったが謝罪はしていない。『言うことを何でもきけ』というのが彼女なりの譲歩だということは分っていたのに、それに感謝せず謝罪もせず……ただ受け入れただけだったのだ。彼女の怒りが冷めやらぬのも致し方ない。ヴィクトリアスはもぞもぞと体を動かした。腹や背中が痛い理由も頭がくらくらする理由もヴィクトリアスは知らなかったが、どうしても起き上がらなければならないということは分った。
「えっと……ミラ?」
たしかラフマンがそう呼んでいたと思いながら名前を口にする。ぎろりと睨みつけるように見上げられ、申し訳なさで眉がハの字になり口の端が下がった。悪いことをしたと自覚したばかりなのだ。彼女に挑むような目つきで見られると、自分で自分が情けなくなってくる。実を言えば今すぐ彼女から逃げ出したい。だが痛みで体を動かせないため、代わりにうろうろと手があてなく掛け布団の上を動く。そして最後にはぎゅっと布団を握りしめた。ミラの瞳を見つめながら真摯に謝罪の言葉を言う。
「君を、家に帰さなくて……ごめん」
「――そりぇにちゅいてはゆるしたえゆわ(それについては許してあげるわ)」
でも他にもいっぱいあるだろう! と目を吊り上げ続けるミラにヴィクトリアスは泣きそうである。これ以上何をすれば良いのか、今のヴィクトリアスには分らなかった。ラフマンが楽しそうに笑う中、ヴィクトリアスは内心悲鳴を上げていた。今まで考えたこともないようなことを考えさせられ――彼の頭はパンク寸前だった。
これで3500文字超……大変です……。長文作家さんたちがうらやましいです。どうしてあんなに長くかけるのだろう。
それにしても最初から説教くさい小説だなこれは。そろそろお説教編を終えて授業編に行きたいのだけど。ところで――登場人物のページを編集してきます