09・雛と人間の友達
ガランガランという重く響く鐘の音が遠くから聞こえ、それと共に聞こえていた子供たちの騒ぎ声も消えていった。この学校に召喚されてから一度もチャイムを聞いた覚えがないから一体どうしてるんだろうと思ってたけど、どうやら寮にまでは聞こえないくらいの音なだけだったみたいだ。
『さてこれをどうするか、だね』
『竜様契約結んどらんし、帰りはったらええんちゃいます?』
『いや……実家の方向さえ分らない身でどうすれば良いのさ』
『……せやね』
ただのたまごに実家の位置が分るはずがない。カブトムシの案は却下した。
「しょれにこにょらきにうくしゅーしゅりゅのあしゃきりゃ(それにこの餓鬼に復讐するのが先だ)」
召喚したのがこの餓鬼なんだからこいつなら私を家に送り返すことができるかもしれない。教師が送還するかって聞いていたし、きっとそういう魔法もあるに違いない。でもその前に――この餓鬼に復讐するのが先だ。強制的に私を親元から引き離した挙句、埃を被れと言わんばかりのあの扱い。仕返ししなくて何をするって言うのさ。
さて、この餓鬼には何をしてやろうか――サンドバッグにするだけじゃ足りない、もっと苛めて、苛めて、苛めぬいてやる……! 私のこの数日の心労は安くないんだよ!
そう心に決めて対策を練っていたら、人間の時よりも遥かに性能の良い耳が足音を拾い上げた。餓鬼やボケナスと同じくらいの年齢だろうか、地面を蹴る足が軽い。まっすぐこっちへ向かって来ているみたいだけど、二人の回収に来たのかもしれない。『校舎裏に呼び出し』は分りやす過ぎる嫌がらせのパターンだから喧嘩をしていると思ったんだろう。
「サーチャー、オールドリバー?」
喧嘩をしているには静かすぎるからここにはいないと思ったんだろう、少年が眉間に皺を寄せながら校舎の角から顔を出した。少年の容姿は一言で言えば『眩しい』。宗教画で描かれた天使を彷彿とさせる純金の髪に青い瞳をした彼は西洋の美少年を見慣れぬ私には刺激が強すぎた。整い過ぎた顔は怖いということが良く分ったよ。
「たまごの殻――君があのたまごなのかい? まさか亜人がかえるとは、サーチャーには勿体ないね」
犬神家のように地面に刺さった餓鬼と苦悶の表情で倒れ伏すボケナスそして私を順番に見るや、美少年は顔をふんわりと綻ばせた。はっきり言って眩しいのだけど、美人は三日で慣れると言うからこの顔にも三日もすれば慣れるんだろう。人間とは慣れる生き物だと、昔誰かが言ったはずだ。
「君は名前を付けてもらったのかい? ふふ、もしまだならば僕がもらってしまおうか」
美少年が笑いながら近づいて来た。膝を突いてそっと私を抱き上げ、腕に座らせるように持ってくれる。なんて紳士なんだろうか。ところで、今気付いたことに美少年の足元には鋭く猛々しい角を誇るリスがいて私に頭を下げている。――この世界って怖いね。確か一角リスと言うはずだけど、ファントムさんに聞くよりも実物を見た方がショックは大きい。百聞は一見に如かずって言うしね。
「おにーた、らりぇ(お兄さん、誰)?」
人間に念話は繋げることができない。これは人間と魔物の信仰する神が違うからで、人間側か魔物側が改宗するかしない限り繋ぐことは不可能。魔物は自分たちの信仰を大切にしているから改宗なんてしないし、人間は念話の概念を知らない。だから私はいくら滑舌が絶望的でも口で話さなくちゃいけないのだ。
「ああ、僕はアルタイル。アルタイル・ラフマンだよ」
「え、あかっらりょ(分ったの)?」
何でこんな喃語ならぬ難語が分ったんだろう。私なら聞き分けるなんて無理だ。目を見開いてアルタイル君を見つめれば私を見つめ返しながらしばらく不思議そうに首を傾げ、合点がいったと顔を明るくした。
「ああ、何故分ったかだね? 僕は弟と妹が三人いてね、その世話を頻繁にしていたから自然と分るようになったんだよ」
「にゃるほお(なるほど)」
喃語を聞きなれている人なら私の言いたいことを理解できるってことか。
アルタイル君は私から視線を外し地面に転がる餓鬼とボケナスを見下ろした。その目つきは十歳児らしからぬ鋭さで、私はぶるりと身震いした。心底呆れたと言わんばかりの目つきだ。
「ところで、この馬鹿二人は君を放って何をしていたんだい? 殴り合いの喧嘩をして二人ともノックダウンだなんていったら笑えないよ」
「あー……こりぇああらちがしたお(これは私がしたよ)」
どうやらアルタイル君の中では『餓鬼とボケナスが醜く殴り合いの喧嘩をし、結果双方とも気絶』というストーリーができてしまっていたらしい。見た目からして綺麗なアルタイル君にとって殴り合いは野蛮な行為に思えるんだろう。でもそれを私は否定した。そんな昭和時代の漫画みたいな喧嘩のあとに生まれる友情物語は起きてないよ。友情山脈でもあるまいし、そんな流血沙汰な友情は私としてはごめんだ。
「君が?」
「ん。うたりろもにゃうっら」
私が二人共を殴ったと言えば、空いた手で私の手を取りしげしげと観察し始めるアルタイル君。プニプニの手だけど強いんだよ、だって竜だから。
「君が殴ったのか……それは凄い。こんな手でどうしてそんな力が出たんだい?」
「もろがちあう(元がちがう)。にんえんちょあからあおちゅくりかあちあう(人間とは体のつくりからちがう)」
元が違うのだ。人間とは体のつくりから異なり、力自慢の人間が数人束になったところで竜の赤ん坊には勝てやしないのだ。言うなれば竜の子供は人間サイズのアリのようなものだと考えると分りやすいかもしれない。
「そうなのか……亜人なんて言って馬鹿には出来ないね」
実は亜人なんかじゃないんだけど、言ったら言ったで問題になるから言わない。アルタイル君は良い子だと思うけどそれとこれは別の話。
「――グリ、サーチャーを連れて来てくれるかい? そこの……オールドリバーの使役魔も、自分のマスターを連れて僕に着いて来てくれ」
『ラジャラジャ』
『マスターどうやって連れてこ……角に引っかければええやろか』
グリと呼ばれた一角リスがぴょんと一回跳ねてから走って餓鬼の元へ向かう。カブトムシはボケナスの背中に角先を突っ込んで背中にボケナスを乗せ、餓鬼の手足を上手に絡めて丸くまとめた一角リスは餓鬼を軽々と持ち上げて歩きだした。リスが見えない状態だとまるで餓鬼が勝手に動いているように見えて不気味だ。
「ろこいくろ?」
「どこ行くのって? 保健室だよ」
この状態の二人を教室に連れて行ったところで無駄だからねと言ったアルタイル君はどこか笑顔が黒かった。時間になっても教室に来ない二人を探しに彼が来たと言うことは、アルタイル君が委員長かそれに似た係りだからだと思う。つまりこういうことが起きる度駆り出される立場と言うことで、面倒を引き起こした二人への心証はこれ以上なく悪いに違いない。
「じゃあ行こうか」
「ん!」
アルタイル君は私を大事に抱えて歩きだし、私は腕の中で揺られながら目をつぶり――殻の存在を思い出して慌てて引き返してもらって殻を回収した。
アルタイル君はヴィッキーが好きではありませんが、雛には関係ないことですから割り切る理性を持っています。ですがヴィッキーには感情的に嫌味を言います。
十歳児の(といってもこの世界では精神の成熟が早いでしょうから僕たちの考える十歳児と同じわけではありませんが)気持ちを描写できれば良いなと思っています。
また、現在一話の文字数をせめて5000文字まで増やそうと鋭意努力中です。だんだんと一話が長くなっていくかと思われます。