この世は煩悩ばかり
比舎家はいつも騒がしい。
「やっべ、遅れる!」
男が黒い短髪を揺らしながら、階段を駆け下りる。
左手にある洗面所で制服を着ようとしているが、その手はおぼついていた。
「竜成〜。ご飯、そこに置いてるから」
茶髪にエプロン姿のおっとりした母親が食事の準備を済ませてくれている。
机には赤緑黄と彩りのあるサラダ、宝石のように輝くイチゴジャムの塗られたトースト、塩胡椒のかかったスクランブルエッグが置かれていた。
何とか着替え終えた竜成は脇目も振らず、食べ進めていき、5分もしないうちに完食する。
「母さん、美味しかった!」
元気良くそう言うと、竜成が皿を流し台に置く。
「はいはい。弁当忘れんでね」
母が両手で水色の風呂敷に包まれた弁当を手渡す。
すると、眼鏡を掛けて、新聞を読んでいた父が椅子から立ち上がる。
「今日テストだろ? 車で送ってやるよ」
「まじで!? 助かる!」
竜成は玄関でバッグを掛けながら、雑に靴を履く。父の白い軽自動車に乗り込む。
父はエンジンを掛け、走り出す。
「そうだ、竜成。今回、テストが終わったら、行きたいって言ってたテーマパークでも行くか?」
「良いのか!?」
「もちろんだ......お、着いたぞ。ギリセーフだな」
父が急ブレーキで校門前に車を止める。
竜成はドアを開けた後、走りながら、手を振る。
「ありがとうな! あ、さっき言ったこと忘れんなよっ!」
「ああ、ただ、赤点だけは取るなよ〜!」
「分かってるって......!」
竜成はバツが悪そうにそう吐き捨てた。
「気張れよ!」
父は走り去る車の窓から、いつまでも手を振っていた。
竜成はそれに背を向けて、校舎へと走り込む。
いつも通りの朝。
それが......最後だった......
------教室内は窓が開いているのにも関わらず、緊張感で張り詰めていた。
「では、テスト始めっ」
教卓に立つ若い男性教諭が声を出す。
1限目、数学。
(なんだっけ、これ)
2限目、国語。
(分かんねぇ!)
3限目、英語。
(what?)
4限目、保険に至っては机に伏して眠っていた。
------こうして、テストが終わり、学校のチャイムが鳴る。
生徒が一斉に机をくっ付けて、飯を食べ始める。
(あー、終わった......)
帰り支度を済ませ教室を出るとき、友達の笑い声が聞こえるが、なんだか別の世界にいるように感じた。
そのまま、校門を出て、石壁が並ぶ町並みを歩いていくと、自分の家まで着いた。
石段に上がり、扉を開けようとするが、鍵が閉まっている。
(珍しいな、鍵かけるなんて......ただ、今日は持ってるんだな、これが!)
竜成は鍵をポケットから出し、扉を開けた。
「ただいま〜!」
揃えもせず、靴を脱ぎ捨てる。
(あれ、誰もいないのか。というか......なんだ、この臭い......血? 魚でも貰ってきたのかな。にしても、キツイような......)
どこか空気はどんよりとしていた。
そう思いながら、リビングに顔を覗かせようとすると、急に足下が冷たくなった。
濡れている? と思い、ゆっくり足下を見下ろすと......赤い。
「......っはっ......? 嘘だろ......?」
そこには「おかえり、竜成」と迎えてくれる母や「今回のテストはどうだったよ」とからかってくる父はおらず、血の海に浮かぶ両親がいた......いや、あった。
2人共々、仰向けで倒れており、生気なんて微塵も感じられなかった。
その顔は苦悶に包まれ、苦しんで死んだことが伺える。
竜成が静かに体と心を震わせながら、その2つの死体に近寄った。
ぴちゃりぴちゃりと血が服に返る。
「なぁ、なにかの冗談だって、言ってくれよ......? なぁっ!」
竜成の喉が収縮し、心臓の鼓動が跳ね上がる。
体を揺らそうが、死者が復活するわけでもない。
それでも、必死に、もしかしたら生きているかもしれないという希望を捨てきれず、理性が死を拒んだ。
すると、その後ろからぴちゃりとまた鳴った。
「不運だねぇ」
その浮つくような男声に竜成が振り向く。
「お前が......やったのか......?」
「ああ、と言ったら?」
男は全身黒ずくめでトーテムポールのようなお面を顔に付けていた。
「俺の親はこれっぽっちも、悪いことしてねぇだろ!!!」
「人はな、金欲には勝てないんだ」
竜成の全身は警報を鳴らした。
この男は危険だと。
ただ、それでも......この現状は歯切れの悪い肉のようにゆっくりと呑み込み、前へ進む。
「死ね......!」
竜成が憎しみと後悔を拳で握り潰し、殴りかかろうとする。
だが、
「それはっ、お前だろ?」
そんな思いを笑い飛ばして、男が手から黄色で光沢のある針のような物を放ち、竜成を無力化する。
竜成が全身の傷穴から大量を血を吹き出し、膝を突く。
(なんだよ、これ......)
そして、竜成は倒れ込む。
制服に血が濡れたまま、意識を失ってしまった。
------数時間後。
「生きてるか」
さっきと違う男声を聞いて、竜成が目を覚ます。
「あ......? っ!!!」
竜成はパニックからか、床に離れることなく、暴れ回る。
「安心しろ、お前の両親を殺した奴とは仲間じゃない。お前の味方だ」
その男は銀髪に薄茶色のダンディな服を着ていた。
竜成の顔を死んだような目で覗いている。
「......わ、分かった」
(なんだ、この安心感? このなり、警察......じゃないよな......)
竜成は立ち上がろうとするも、男がそれを止める。
「お前は血が足りてない。輸血したとはいえ、立つのは無理だ。生きているのが奇跡だと思え」
「そうか......っ! 俺の親は!?」
「手遅れだった......が、今は弔っているさ」
男はショットという小さい酒を呑みながら、そう言った。
「1つ訊きてぇ! 家族を襲った奴のこと、なにか知ってんのか?」
「知ってると言えば、知ってるし、知らないと言えば、知らない。だが、確実に言えるのは、奴”ら”は漫画で出てくるような能力が使える」
「だが」のところで男が口に人差し指を乗せる。
「そんな話......本当にあるのか......?」
「ああ。なんなら、全人類使える」
「は......? 嘘だろ?」
と言いつつも、心のどこかで分かってはいた。
「そう思うのは勝手だが、復讐......出来なくていいのか?」
「はっ、復讐なんて要らねぇよ。法が裁いてくれんだろ」
「嘘だと仮定したなら、真実なのだろうが......それは、お前が納得出来るのか? もし、そうならいい。ただ、俺は帰らせてもらう」
男が帰ろうとドアに向かっていく。
その時、男は服の端を掴まれた。
「ん?」
見ると、竜成が手を伸ばしていたのだ。
「意地張ったよ、信じたくないって。じゃあさ、教えてくれよ! その能力ってもんを......!」
「『煩能』」
男は体ごと振り返って、その一単語だけ述べた。
「煩悩?」
「半分正解だ。簡単に説明すると、『煩悩の能力』と言ったところか」
「......? 全く分からないんだが」
「人には108の煩悩があり、それらのどれかが異様に強い時、人は力を得る。悩めるものが人を強くするなんて皮肉だがな。俺らはその力を使って、日本のために活動している」
男は死んだ目のまま、続ける。
「うぅん......つまり、俺も頑張れば、その能力を使えるってだよな?」
「そうだ」
「そしたら、親の仇が討てるってことだよな?」
「ああ」
「なら、俺を! 仲間に入れてくれねぇか......!?」
親の仇を取るには、これしか方法がないと踏んだ。
今の竜成には泥水を啜ってでも、やってやるという覚悟が宿っていた。
「いいぞ」
男がショットを1口、含む。
「え、軽っ」
「ふん......この業界は人手が少なくてな、非能力者と言えど、手を貸して欲しい。そうだ、俺の部下になるわけだから、自己紹介しておこう。田中 正俊だ。お前は?」
「俺は比舎 竜成だ。よろし......」
「上司には敬語を使え」
田中は一瞬で竜成の右肩に踵落としを入れる。
「がぁぁ......」
竜成はあまりの痛みに蹲った。
「こんなんじゃ、仇を取るなんて夢物語だな......立て。今から俺らの基地に案内する」
それでも、立ち上がろうとしない竜成の制服の襟を掴んで、田中が無理やり黒塗りのSUVの助手席に乗せた。
田中自身は運転席に乗り込む。
「どこまで行くんだ?」
「極秘だ、お前の気になることは後で話す」
車中での会話はその一言だけだった。
------数時間して。
田中がある建物の前に車を止めた。
そこは......規模が小さい化石の博物館である。
「まさか、ここが基地とか言わないよな?」
「そうだが?」
「もっとこう、ズドーンと置いてあるものだと思ってたよ」
「それは敵方に狙われるリスクがある。とはいえ、博物館自体が基地というわけではない」
田中が竜成を引きずりながら、自動ドアを介して博物館に入る。
襟を掴まれる竜成はどこか、不満気だった。
そして、田中は金を払うでもなく、右にいる受付に近づく。
「どうぞ......」
受付は手馴れた様子で2人を奥のスタッフルームへ案内する。
案外、人は沢山おり、子供たちがティラノサウルスやプテラノドンの化石を見て、はしゃぎ回っている。
老人たちも杖を突いて、童心に返って友と談笑していた。
「俺の予想が尽く......」
「人の多いところだと隠れ蓑と認識されにくいからな。あと......俺たちの基地には男のロマンが詰まってる」
受付が更に奥の館長室前にある暗証番号ロックを弄ると、ゴゴゴと床が開き始める。
すると、地下へ続く階段が現れたではないか。
「うわっ! すっげ」
「はしゃぐな、降りるぞ」
2人が階段を降りるのを見て、受付は機械を操作する。
「では、私はこれで......」
受付が軽く礼をする姿が見えた瞬間、床......竜成たちからすれば、天井が閉ざされた。
「暗ぇよ」
「落ち着け」
しかし、すぐに壁に付いているランタンが青く光り、2人の辺りを照らした。
「あれが俺らの基地だ」
田中がショットを呑みながら、ゆっくりと指を差す。
その先にあったのは、自分の3倍はあり、大人数で押しても動かなさそうな巨大な鉄の扉だった。




