異例の二人
病室に戻ってしばらく、俺はただ天井を見上げていた。
心がぐったりと重く、腕も足もだるい。共感するだけなのに、なぜこんなにも疲れるのか。
知らぬ間に眠りたについていた。
(……この男。)
ラフィエルは、少女の部屋から剥がして来たあの付箋を見つめながら、そっと記録書類にそれを挟んだ。
チュンチュン
鳥のさえずりと、朝の回診のざわめきで目を覚ました。
「朝霧飛来、やっぱりあなたは特殊ね」
窓際でラフィエルがぽつりと呟く。
彼女は相変わらず白衣にメガネ姿──さっきまで寝癖を直すのに5分も格闘していたポンコツ天使だ。
「ん?あ、おはようございます。てか、なんで俺にだけこのスキルが?」
「……あなただけじゃないのよ」
「……え?」
ラフィエルの目が、少しだけ真剣になる。
今まで見たことないほど、静かな光を帯びていた。
「“共感同期”──正式には《Empathy Link》と呼ばれているこの能力。かつて……同じスキルを持っていた者がいる」
「かつて?」
ラフィエルは頷いた。
まるで、遠い過去を思い出すかのように。
「3人いたの。あなたと、他にふたり」
「……!」
「でも、ひとりは失踪。もうひとりは……」
彼女は、言葉を止めた。
「まさか、敵になったとか?」
冗談のつもりで言った。けど、ラフィエルは笑わなかった。
「……冗談で済めば、よかったんだけど」
その言葉に、背筋が冷たくなる。
「“共感”は、本来、深い理解と受容の力。でも……強い共感は、強い拒絶にも変わる。誰かの痛みを知った時、救えないことに絶望すれば──人は、歪むの」
彼女の声には、いつになく哀しみが混じっていた。
「そして、その歪みを利用する存在が、いる」
「……利用?」
「堕天使アステル。かつて、天界にいた者よ。彼は、その昔、異世界転生時に生じるズレによって起きる、スキル寄与に気付いた。そして、今は……“異なる方法で”人間を導こうとしている」
その名前が口にされた時、部屋の空気が変わった。
どこか、ざわりとするような、目に見えない気配。
「アステルは、共感能力を“支配の手段”に変えたの。相手の心に入り込み、操作する」
「……!」
まるで、真逆の“共感”だ。
「そして、彼に力を貸しているのが──あなたと同じ、“共感スキル持ち”だった者」
俺は言葉を失った。
「君は……そいつの名前、知ってるの?」
ラフィエルは、少しの間だけ黙っていた。
それから、ごく静かに──
「名前は、“黒瀬時雨”」
俺の中で、何かが音を立てて動き出した気がした。
──もう、“共感するだけ”じゃ済まないかもしれない。
俺は顔を曇らせた。
ただ、事故りかけただけなのに。
老婆を助けただけなのに。
異世界転生を拒否しただけなのに。
「はい。朝霧飛来。」
ラフィエルがそのマイナス思考を遮った。
「忘れてませんか?」
「ん?」
「あなたがこのスキルから解放される条件を。」
(私が天界に戻れる条件を!!!!)
「あれ、えっと……。」
(クソが!)
ラフィエルは振り向き壁を少し強めに蹴り、また飛来の方を向く。
「7人から9人。共感スキルを使いきれば解放です。最初の説明で言いましたよね?」
口調から分かるイライラ。
「あ、そうだった。」
(鈍すぎて脳みそ溶けてるのかしら……。マジ……)
「はぁぁぁ。」ため息。
「ラフィエルさん?」
「なので、あなたはさっきのアステルや、葵、時雨の話は忘れて結構。そのスマホの通知が来たらスキルを使って、共感すれば終わりです。分かりましたね。」
「……はい。で、その葵はどこ…」
ドン!
見たこともない鬼の形相で、ラフィエルは飛来のベッドを蹴った。
「す、すみません…。」
(話さなければ良かった……。)