わたしを見つけて
翌朝──。
看護師の気配で目が覚めた俺は、すぐ隣の少年の病室に目をやる。壁一枚の向こうに、あの“さみしさ”がまだ残ってる気がして。
「お兄ちゃん……昨日の人、ほんとにいたのかな……?」
彼の声が、また心の奥に微かに響いてくる。
スマホを確認する。
⭐︎《感応終了・共鳴データ保存中》
俺は立ち上がり、ふらふらと病室を出た。
──そして、ナースステーションで少し粘って、少年の母親に会った。
「昨日? ああ……ちょっと仕事で。今日こそ顔見せようと思ってたのに……」
母親の声には疲れが滲んでいた。必死で働いてるのが伝わる。でも、少年の心の穴は、それで埋まるわけじゃない。
俺は何も言えなかった。ただ、胸の奥が少しだけ痛かった。
病室に戻ると、ラフィエルが窓際で腕を組んでいた。
「“感応”の記録、送っておいたわ。彼の心には、あなたの声が確かに届いてた」
「……でも、俺は何もしてない。ただ、共感しただけで……」
「それで十分な時もある。でも、それだけじゃ足りない時もあるわ」
「……」
ラフィエルが優しく、でも少し寂しそうに言った。
「だからこそ、あなたは《届ける側》にもならなきゃいけないのよ」
(……。)
そう言うとラフィエルは一点を見つめて止まった。
「ラフィエル…さん?」
(私何言ってるの?「だからこそ、あなたは《届ける側》にもならなきゃいけないのよ」???仕事増やしてるだけじゃない!!!!)
ラフィエルは一瞬飛来に目をやると、また部屋の隅へ。
そしてーーー
ポスっポスっ
と壁を蹴り始めた。
(私の本来の仕事は何??事故って、死ぬ瞬間の人間を異世界へ送る。職種を選んで。方向性を示して。で、フェードアウトよね?)
「……。」
(なんでこいつ拒否したの??バカなの?)
「ラフィエルさん?」
「バカなの?」
「え?ちょ、壁蹴るのやめません?」
(何なの??さっきから、天界報告回覧板で同僚から続々と異世界転生成功の報告が届いてるのに……)
ポスっポスっ
壁蹴ってる音が虚しい。
◆
午前十一時。
病院のベッドから外を眺めていた。
ラフィエルは、またメガネを掛けて書類に目を通していた。たまに聞こえるため息にも慣れて来ていた。
そんな時、スマホに表示された通知が入った。
⭐︎《共感同期》対象:13歳・女子 精神科病棟
また来たか──。
けど今回は、昨日の少年とは違う空気があった。
部屋の中に、音のない“重さ”が漂っている気がした。
息を吸っても、どこか冷たい。
「……行くのね?」
窓辺にいたラフィエルが、翼をひと揺らしながら問いかけてくる。
「行くしかないでしょ。俺にできることがあるなら、やってみたい」
俺が頷くと、ラフィエルはなぜかほんの少しだけ、微笑んだ。
───
視界が揺れる。
感応が始まった。
気がつくと、そこは白い部屋だった。
まるで美術館みたいに、無機質で整いすぎた空間。なのに、どこか息苦しい。
壁一面に、なにか貼ってある。
一枚、一枚、淡いピンクや青の付箋。その一つひとつに、細い文字が書かれていた。
「バカ」
「気持ち悪い」
「消えてしまいたい」
「何しても無駄」
「どうせ嫌われる」
……これは全部──この子の“心の声”?
その真ん中に、小さな女の子が立っていた。
13歳くらい。痩せた体。視線は下向きで、まるで世界から拒絶されるのを待ってるかのように、黙っていた。
「……誰?」
俺に気づいた少女が、ほんの少しだけ顔を上げた。
「となりの病室の、ただのお兄ちゃん」
「ふーん。共感、しに来たの?」
その言葉に、心臓が一瞬だけ跳ねた。
──わかってる?
「この部屋は、私の心の中。貼ってある言葉は、ぜんぶ“私が自分に言ったこと”だよ」
少女は淡々と語る。
「誰にも迷惑かけたくないのに、気づいたら気を遣ってばっかりで。誰かの声でビクッとして、でも笑って。疲れるの。毎日」
その声は、静かだった。
けど、痛かった。ぐさりと突き刺さるような真っすぐさがあった。
「……どうして、そんなに自分にひどいこと言うの?」
「だって、私が悪いんだもん」
少女はそう言って、またひとつ付箋を壁に貼った。
「私がここにいるだけで、ママは疲れる。パパは帰ってこない。友達は離れていく」
「だから、わたしがいなくなれば、みんな楽になる──」
その瞬間、胸が締めつけられた。
痛みが、俺の中にも流れ込んでくる。
まるで、彼女の代わりに泣いてるみたいに。
……でも、俺には、何もできない。
ただ共感してるだけじゃ、救えない。
「……っくそ」
俺は、思わず近づいて、壁の付箋に手を伸ばした。
一番目立つ位置に貼られていた、濃い赤色の一枚。
「“お前なんか生まれてこなければよかった”」
俺は、そっとその付箋を──剥がした。
少女が、驚いたように顔を上げる。
「……なに、してるの?」
「俺が、勝手に思ったこと」
「そんなことしても、意味ないよ」
「意味なんて、あとで考える。今は……これだけは、違うって思ったから」
少女は黙っていた。
けど、なぜか──ほんの少しだけ、目元が揺れた。
次の瞬間、光がふわりと弾けて。
──感応が、終了した。
───
病室に戻ると、ラフィエルが立っていた。
「……一枚、剥がしてきたんですね。」
「うん。でも、俺にはそれしかできなかった」
「それで、いいのよ。朝霧飛来。それが“共感”というスキルの始まり。共感スキル使用時の身体の行動は、相当な動力を必要とする。って、書いてありました。」
ラフィエルが分厚い本を指差し言った。
「……」
俺は目を閉じた。
さっきの少女の目が、まだ焼きついてる。
ほんの少しだけ、救えたかもしれない。
たった一枚の言葉を、剥がしただけかもしれないけど。
でもそれが──彼女の“わたし”を守るための、小さな一歩なら。
俺は、これからも、このスキルで誰かの心に触れていこうと思った。