ポーションはありません
──ピッ、ピッ、ピッ。
電子音が規則的に鳴っている。
薬品の匂い。硬いベッド。白い天井。腕に繋がる透明のチューブ。
「……病院、か」
頭がぼんやりする。左足にズキリと痛みが走った。
どうやら現実に戻ってきたらしい。あの銀髪の天使も、異世界の話も──夢だったんじゃ……
「ようやく目が覚めましたね、“勇者様”」
「ッ!?」
聞き覚えのある皮肉な声が、カーテン越しに聞こえた。
がばっと体を起こすと、カーテンの隙間からすっと銀の羽が見えた。
「……ラフィエル……さん?」
「他に誰がいるんですか。こんな面倒な役、私くらいしか押しつけられませんよ。ちっ。」
病室の片隅に、ラフィエルが“座っていた”。
だけど、ベッドの横にいた看護師には、まったく見えていない様子だった。
ラフィエルは、スッと立ち上がると、飛来の足を恨めしそうに見ると。
つんーーー
と、人差し指で触れた。
「いってえええええええええ!!!!!」
「え?えー?大丈夫ですか?朝霧さん!!」
看護師が慌てて聞く。
飛来は、痛みに顔を歪めながら、ラフィエルを指差す。
「ん?」
看護師が指差された方に目をやる。
そこには舌を出しニヒルに笑うラフィエル。
「あ、窓ですね。閉めときましょうか?」
と、看護師は窓に向かい歩むと、開いていた窓を閉めた。
「じゃぁ、点滴が終わる頃、また来ますね。」
振り向きながらそう言うと看護師は病室の出口に向かい始め歩き出した。
「本当に……見えないんだ……。」
そう呟くと、看護師の少し足を止めた。
(先生、脳に所見無しって言ってたけど……)
逃げる様に看護師は外に出て行った。
「把握できました?」
つんーーー
「いてぇぇって」
白く細い指が、俺の左太ももをつつく。
「ちょ、ラフィエルさん、それ、やめて。」
「もし、ここが異世界だったら──《《“ポーション”》》で一発治癒なのにね」
「ポーション?……なんで、ちょっと残念そうなんですか……」
ラフィエルはポケットを探るふりをして、首をすくめる。
「はい、現実にはポーションなどありません。……それが、あなたが選んだ世界ですものね?」
ちょっとだけ、恨みがましく言ってくるラフィエル。
「ポーション、あったら良かったのにねぇ……」
「だから、なんでそんなに根に持ってるんすか……」
「理解して来ましたか?今の現状を。」
「え、いや……」
ラフィエルがまた人差し指で飛来の足を突こうとする。
「あ、いや、した!しました!!!」
ラフィエルの指が止まり、顔を飛来に向ける。
「はぁ。やっとですね。」
ラフィエルは、姿勢を正すと、胸元から金色に輝くメガネを取り出し、それをかけ先程届けられた紙を読み直す。
⸻
●《天界転生管理局 第27号通達》
件名:転生拒否者に関する緊急措置命令
対象者:朝霧飛来(Asagiri Hirai)
識別コード:Z-β-00-Emp
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内容:
当該対象者、転生誘導を拒否。
しかし、スキル《共感同期》が異常発現。
本来は転生後にのみ発動されるはずのスキルが、現世にて起動。
本事象は「天界観測史上、記録なし」。
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つきましては:
•当該対象の観察・監視を継続的に実施
•スキル使用状況を逐一記録・報告
•スキル使用回数は《《7~10》》と見込まれる
•スキル《《完全使用後にのみ、天界帰還を許可》》
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担当観察者:ラフィエル
「必要があれば、現世における“接触介入”も可」
追伸:
“これはお前の仕事だ。逃げるな。”
── 転生管理局 第三課・課長セファリア
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「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。」
ラフィエルは通達書を読むと深いため息を吐いた。
「“共感同期”。そのスキル、あなたの中にもう入ってますわ」
「共感……って、感情を読むとかそういう?」
「感情と、“後悔”。人が心の奥に押し込めてるものね。見ようとしなければ、決して気づけない領域。たとえば、誰かが笑ってても“本当は泣きたい”って思ってる時──それが感じ取れてしまう。それが“共感同期”です。」
「それ……俺に使えんの?」
「発動条件は“対象に対して共鳴した瞬間”。意識しないと発動しないけど、心を揺さぶられた時──勝手に始まることもあります」
「それって……めっちゃ怖くない?」
「めっちゃ怖い。」
ラフィエルはさらりと答えた。なんなんだこいつ。
「ちなみに、その力が“現実世界”で発現した前例は──今のところ、ゼロ」
「そんなん、責任重大じゃん……」
情緒不安定な会話をしていると、看護師が点滴の様子と怪我の様子を説明しに来た。もちろん、ラフィエルの存在に気づく様子はない。
「──退院は1週間後予定です。通院治療に切り替えながら、しばらくは松葉杖ですね」
「……了解です」
「それと──朝霧さん、こちらスマホです。落とし物で届いてたので」
「あ、ありがとうございます……」
手渡されたスマホに電源を入れた瞬間。
ピッ。
画面に一通の通知が浮かび上がった。
☆《スキル対象:初回感応開始》
☆対象:病室隣室・入院患者(8歳・男子)
「……これ、もう始まってる……?」
「ええ。もう止まれませんね。
あなたは“共感”を通して、誰かの“本当の声”を拾うの。
嘘を超えて、その人の『痛み』と出会うのよ──」
スマホの通知を見つめながら、俺は小さく息を吐いた。
「よりによって……なんで俺に、こんなスキルが……」
自分の胸に問いかけるように呟いた。
感情と、後悔。
誰かの“痛み”と向き合う力──
それは、戦うでも、癒すでもない。
ただ“知ってしまう”だけのスキルだった。
窓の外、夏の蝉が鳴いていた。
“俺の現実”は、もう止まらない方向に走り出していた。
──けれど、この夏は、少し違って見えた。