閑話2:あの日から
24話直後の話
アルベリーニ侯爵家を出た後、どっと疲れが出てきて、思わず馬車の陰で大きく息をついた。
はぁぁっ、と天を仰いでから項垂れると、ふいに人影が私を覆った。
「疲れたのか?」
「シグリード」
やや半泣き気味で彼を見上げれば、少し誇らしげな表情をしていたので、首をひねる。
なんでそんな顔をしているんだろう。理由がわからずにいると、シグリードは「これで終わりだな」と、諭すように言ってくれた。
確かに四大侯爵家巡りはこれで一旦、おしまいだ。この後も演奏会についてのアドバイスや進行状況の確認のために、何度か訪れるとは思うけれど、面と向かい合って話すのは多くないだろう。
最終関門とでも言うべきアルベリーニ侯爵からの質問は、正直に言って厳しかった。
音楽や金銭関係はダーヴィットさんや文官に任せている。
でも、直球で投げられたら私が答えるしかない。アレクが言った通り、計算し尽くしている人だ。
表面上、侯爵は納得してくれたようだけど、私は部屋を出た後も考え込んでしまったし、今もモヤモヤがくすぶっている。
「ねぇ、シグリード」
「なんだ」
「アルベリーニ侯爵からの質問なんだけど、あれで良かったのかな」
アレクだったらもっとスマートに、明確な根拠をもって説明することができたのかもしれない。
私の回答は、感情論だったような気がする。むしろ、私がやりたいから、というだけで国を振り回しているとさえ言えるようだ。
それを思うと、自分のやっていることの重大さを痛感させられる。
だから、問われたのだと思う。貴族社会という積み上げてきたものに対して、異世界の人間がそれを壊そうとしている。
今までずっと、お飾りだった『聖女』が、だ。
「……お前らしい、回答だったと思う」
「っ、でもさ、なんかもっといい言い方があったんじゃないかなって。伝えたいとか、信じたい、とかそういうのじゃなくて、もっと別の何かもっと、具体的な何かがあったらって……」
尻つぼみになっていく言葉が、冷たい風と共に消えていく。
ドルガスア国を支える侯爵たちに会って、改めて思った。私みたいな小娘が、表立ってやることじゃないのではないか、と。
アレクみたいに万能でもないし、シルヴィオくんやミディーナみたいにプロフェッショナルでもない。
本当にただ魔法が使えるだけで、それもシグリードと契約して使えるようになっただけだ。
実際の私は、何も持っていない。
「ハルカ、門限までに時間はあるな」
「へっ?」
「人間は疲れた時に甘い物を食べるといいと、言っていただろう?」
前にお前が言っていたじゃないか、というとベルトに吊り下げていた麻袋を解く。
中からはチャリっと金属の擦れるような音が聞こえて、彼はその中身を見せてくれた。
それは、ドルガスアの硬貨だった。
「どうしたの、これ」
「アレクシウスが“必要経費”だ、と言って渡してきたんだ。仮にも護衛だから、持っておいて損はないだろう、と」
だから案内しろ、とぶっきらぼうに言う。
その表情はどこか温かさが入り混じっていて、シグリードなりの気遣いに、重くなっていた身体が軽くなっていく。
どこにしようか、と彼が入りやすそうなお店を考えて検討をつける。
「……それじゃあ、行きたかった場所があるんだ」
任せて、と私が告げるとシグリードの顔も少しだけ緩んだ。
*
店内はシンプルなカントリー調の店で、男性冒険者も入りやすいような、ちょっと一息つけるカフェだ。
人の出入りも多く、シグリードのこともあまり気に留めないはずだ。
(なんてったって、超絶美形だからなぁ)
そういえばイル・スオーノのメンバーも最初は落ち着かない様子だったのを思い出す。
本人はそれを鼻にかけないから、段々と馴染んでいくんだけど、誰もが振り返るイケメンを連れているのは、複雑な気分だ。
特に女性からは『なんであんな子が?』なので、かなり視線が痛い。
けれど、ドルガスア竜王国は貿易で栄えている国なので、様々な人種が行き交う。
だからこそ、シグリードに対しても触れず騒がずスルーしていく。それが、ありがたいところでもあった。
ふわりと花の香りが立ち上るカップを口につけて、ケーキを一口すくう。
柔らかなスポンジがまるで包み込むように優しい。
「うまいか?」
「うん。ありがとう」
夕暮れ時のオレンジの光が、シグリードの髪をキラキラと照らす。
ふいに、こんな風にアレクとカフェに来た時を思い出した。あのときは、まだ色々と覚束ないところもあって、がむしゃらだった。
でもそれは今も変わらなくて、けれど、あの時よりも少しずつ成長していることだけはわかる。
シグリードとこうしてカフェに来ることなんて、想像すらできなかった。
「……さっきの質問だが」
一瞬、何のことだろうと思ったけれど、アルベリーニ侯爵のことだろう。
シグリードが珍しく迷うように口を開けて一度、閉ざす。けれど、意を決したときは真っすぐに私を見つめる。
「人間同士の駆け引き、というものが、面倒であるということはよくわかった。アルベリーニ、という男もアレクシウスが言うように、かなり食わせ者なようだ」
理解できない、といった様子なのは、竜であるが故だと思う。
それなのに、こうして私に付き合ってくれているし、なんなら奢るくらいだ。きっと昔のシグリードだったら考えつかないことに違いない。邪竜だったことを感じさせないほど、今は人間のことを知ろうとしてくれている。
それは、国だけじゃなくて、この国の守護竜すらも巻き込む存在に、私はなっているのだと実感させられた。
途端に口の中に残るお茶の渋みが増して、ティーカップをテーブルに戻す。
薄茶色の波紋が揺れて、心の中にさざなみが立つ。
「だが、ハルカはそれでもやりたいのだろう。だったら、貫けばいい」
誰よりも揺るぎない声で投げかける。
それは、この世で最も強い存在からの激励だった。
この世界で一番信頼できる竜からの眼差しは何よりも熱い。
「シグリードのことを巻き込んでいるのに?」
「今更、何を言う。出会ったときから、外に引っ張り出されると、そう思っていたからな」
月明かりの下で泣きじゃくったあの日から、ずっとシグリードは私のそばに居てくれた。
だから、怖くても、不安でもやり遂げてきたんだ。
それだけは、私の誇りだ。彼と契約したその日からずっと、この力強い竜が私を支えてくれた。
本当に“今更”だ。ここまで一緒に来たんだ。この先もきっと変わらない。
「……そっか。じゃあ、もっと外に行けたらいいね」
「もっと、外に?」
「うん。シグリードは飛び回っていたんでしょう? だったら、私もシグリードが飛び回ってた世界を見てみたい」
今度は燃やさないでね、と笑えば、シグリードは大きく目を見開いて、力強く頷いた。
「そうだな。お前となら、音楽を聴きながら行くのも悪くない」
夕日が旋律のように降り注ぐ。
明日への道を照らすように、まっすぐと伸びやかに。




