第29話 焼失
ロレッタさんからの報告を受けて、私とシグリードは第四班の研究室を出て、エジュオさんの部屋へと急いだ。
建国祭用の曲を最終調整しているはずの彼は、今も部屋に籠もっているはずだった。
念のため、ウィリオット王子が警備の兵を配置していた。その兵から「様子がおかしい」と報告が上がったという。
部屋の前には、すでにウィリオット王子の姿があった。
一瞬、足が止まる。
けれど、いつもの仏頂面が険しさを帯び、明らかに焦りを滲ませているのを見て、そんなことを言っていられる状況ではないとわかった。
「なにがあったんですか」
「あぁ。唐突に、うわ言のような声が聞こえてきたそうだ」
「うわ言……?」
作曲中のエジュオさんなら、ありえそうなことなんだけど。
そう思った、その直後だった。
『うぅ……ああぁ……』
扉の向こうから、苦悶するような声が漏れてくる。
警備兵も判断に迷った様子で、私たちと扉を交互に見ていた。
作業している彼は、かなりナーバスだ。
一度、部屋を訪ねたときは追い出されたこともあるし、無理に入って彼の邪魔をするわけにもいかない。
「ウィリオット、ハルカ」
アレクが駆けつける。
事情を説明すると、アレクも私と同じことを思ったのか、複雑な表情を浮かべた。
『助けてくれ、苦しいんだ!』
今度は、はっきりとした悲鳴だった。
心じゃなくて、身体に異変をきたしたのかもしれない。
エジュオさんの悲鳴に、私たちは顔を見合わせると、慌ててドアを開けた。
「エジュオさん!」
なだれ込むように部屋へ入った瞬間、異常事態だとすぐに理解できた。
破り散らされた五線譜、あちらこちらに飛んだ服や本。
ティーカップは砕け散って無残な姿だった。
そして、部屋の屋の中央に立つエジュオさんは、震えながら紙束を抱えていた。
それは、新曲のスコアだ。
恐怖と悲痛をない交ぜにした表情で、嫌々と首を振りながら、一歩、また一歩と後ずさる。
「違う……こんな曲、やっぱり違うんだ!」
叫び声をあげて、私たちを睨みつける。
自分の意思に反して、無理理強いされた憎悪が限界まで積み上がってしまった――そんなふうにも見えた。
「何を言って……」
「燃やそう……こんな曲、全然、相応しくない」
「えっ!?」
次の瞬間、エジュオさんの手から炎が噴き出した。
圧倒的な熱量。
驚く間もなく、手に掲げられたスコアが瞬く間に燃え上がる。
彼が寝食を忘れて作り上げたものが、灰となって消えていく。
宮廷楽団のみんながあんなに喜んでくれていたのに、それが無くなる。
「待って!」
「ハルカ、危ない!」
アレクに肩を掴まれて、前に出られない。
私はただ、パラパラと焦げ落ちていく紙片を見つめるしかできなかった。
「どう……して……」
炎が消えて、スコアは完全に失われた。
エジュオさんの手から、パラパラと残骸が落ちていく。
黒く煤けた、見るも無残な音楽の破片。
私は駆け寄って、その紙片に触れた。
ぱり、と脆く崩れ、元に戻ることはない。
「君が……君が悪いんだ」
責めるような怒声。
「ボクを狂わせたのは、ハルカ、君だ!」
「っ……!」
振り上げられた腕に、思わず目を閉じ、身をすくめる。
――殴られる!
その寸前、何かが視界を横切った。
ドンっ! と鈍い音が部屋に響く。
ほんの一瞬だけ、静寂が訪れた。
「大丈夫か!?」
低く痺れるような声。
目を開けると、ウィリオット王子がエジュオさんを取り押さえていた。
ジタバタともがく彼に、さらに体重をかけて、動きを完全に封じる。
状況を理解できないまま、私は王子の強い視線に促され、慌てて無事だと頷いた。
――私を守って、くれた?
彼は、エジュオさんを腕を捻らせたまま無理やり立たせた。
その威圧感はいつも以上に凄みを増しているけれど、今はその強さがとても頼もしく感じられる。
(でも、どうして?)
違和感の方が膨れ上がり、茫然と彼を仰ぎ見る。
けれど、一瞥することもなく、そのままエジュオさんの身体を押して連れて行こうとする。
「兄上、この者は牢に閉じ込めておきます。聖女に手を出そうとした罪は重い。厳重に処罰するべきかと」
「沙汰は追って伝える。まずは牢へ」
「かしこまりました」
離してくれ!と廊下で悲鳴があがる。
その声が耳にこだまして、胸を裂くようだった。
視界が揺らぎ、じわじわと目が熱くなる。
この前まで、あんなに柔らかい笑みを浮かべていた人が、こんなことをするなんて思えなかった。
私はエジュオさんの凶行が理解できず、焼き焦げた楽譜をじっと見つめる。
あの美しい音色を導いていた音符は、もうどこにもない。
(でも……なんで燃やしたの?)
数か月一緒にいたけれど、魔術の片りんを感じさせるような素振りはなかった。
それどころか、私の魔法をうっとり見ていた人だ。こんなことできるはずがない。
「ハルカ」
アレクが、そっと肩に手を置く。
その優しさが染み入るようだったけれど、彼の目を見た瞬間、私の抱いた違和感が確信に変わる。
楽譜は焼失しても、信念は消えない。
「アレク。あの人、エジュオさんじゃない」
私はキッパリと言い切る。
確かに感情の振り幅は大きいけれど、決して、作曲したものを燃やすような人じゃなかった。自分の想いを誰かに託す、そんな音楽を愛する人だ。
絶対、こんなことをする人じゃない。
それに私には大きな確証があった。
「私のことを『ハルカ』って。エジュオさんは、どんな時でも私をミューズって呼んでたんだ。だからあの人は、彼じゃない」
顔を見上げた私に、アレクは力強く頷く。答えは一緒だ。
「そうだね。確かにそれも一理ある」
ほかにも補足するように彼は言葉を続けた。
「あと、ウィリオットの行動。あまりにも出来すぎてるんだ。まるで、ハルカが殴られることがわかってたみたいにね」
「えっ?」
「薄明竜よりも半歩、早かったんだよ」
本当なのだろうか。
扉に立つシグリードに顔を向けると、彼は遺憾の意を示しながらも肯定した。
「加えて、楽譜を燃やすほど火炎魔道具を、エジュオが持つ理由もない」
全く、呆れた。
そう言ってアレクは肩をすくませる。
魔術はできない、道具も持っているはずがない。
エジュオさんのことをよく知っていれば、こんな計画は立てられない。
それどころか、あまりにも杜撰すぎる。
けれどウィリオット王子は、この計画を立てた。どこかで、勝算を見込んでいたはずだ。
確かに楽譜を燃やして、エジュオさんを捕えれば、もう二度と楽譜を作ることはできない。
単純にそれが狙いだったということなら、腹が立ってきた。
エジュオさんがどれだけ苦悩して書いてきたのか、私はよく知ってる。
イル・スオーノの皆は楽しみにしていたし、宮廷楽団の喜ぶ顔は今も新しい。
私が繋ぎ合わせようとしていた「新しい音楽の形」が、無残に壊されていく。
このまま、終わらせてたまるものか。
「アレク、マントの解析って終わってるの?」
誰にでも変身できる魔法のマント。
エジュオさんに化けてることができるとしたら、あのアイテムしかない。
「ほぼ完了しているよ。でもこれで、確信できたね」
証拠は全部そろった――とばかりに、アレクは力強く立ち上がり、立ち去った後ろ姿を見据える。
そこには、為政者の背中があった。
「でも……楽譜、どうしよう。ここに散らばってるのをかき集めて繋げれば、うまくできないかな」
初稿は燃えてしまったけれど、ほかの楽譜は燃えていない。
書き損じを繋げれば、雰囲気だけでも掴めそうだ。
「あぁ、それについては問題なし。僕を信じて」
にっこりと笑う悪戯な顔に、弟よりも兄の方が一枚も二枚も上手だと、否応なく思い知らされる。
でも――。
「寂しいな」
張り合う相手がいなくなることへの切なさか。
それとも、兄として弟を失う痛みなのか。
わずかに震えたその背中を私は見ることしかできなかった。




