幕間1
(アレクシウス視点)
「ハルカが……いない?」
その報告に、思わず手が止まる。
届いた書簡を受け取りながら、業務報告の1つとしてロレッタから上がった内容に、従者は気まずそうに頷いた。
彼が戸惑うのも無理はなかった。なぜなら、竜の聖女であるハルカは品行方正そのものだ。慎み深く、思慮深い。けれど魔法演出となれば雄弁になり、一心に情熱を傾ける。宮廷楽団や魔術士団とも真っ直ぐに向き合い、そのひたむきさは周囲の者まで奮起させる。
――そして、あどけなく笑う姿は、花のように愛らしい。
そんな彼女が、突発的な行動をするとは到底思えなかった。
ましてや今は薄命竜がそばにいる。あの知性なら、軽率な行動には必ず釘を刺すだろう。
「メイドからの報告では、ひと月ほど前から夕食を塔ではなく大食堂で召し上がっているそうです。周囲が離れていき、心寂しいからだと」
「…………」
確かに、宮廷楽団には出入りしないように伝えていた。
今回のクルブス家による騒動は、エジュオが発端とはいえ、彼女を貴族社会の思惑に巻き込みたくなかったからだ。
ハルカは、そういった爵位とは無縁の世界で生きてきた。聖女という立場を悪用されないためにも、距離を置く必要性があった。無垢な彼女を取り込むのは、簡単だからだ。
けれど、仲の良い友人たちから突然引き離された、と彼女が感じてもおかしくはない。
魔術士団の四班が不在となれば、なおさら行き場は限られる。
「不在だと確信した理由は?」
「確証はないのですが……不審な点が積み重なっておりまして」
従者はロレッタからの報告を並べた。
最初に違和感を覚えたのは門番だった。
ハルカは、早めに夕食をとったあとは塔のなかで、魔法の練習をするとロレッタに言った。
ところが「図書室に籠る」と伝えて、夕暮れどきの外出が週2、3回に増えていったという。護衛騎士付きだったため、大事とは思わなかったらしい。
しかし、演奏会が近いわけでもない。魔術士団も不在。理由が全く見えない。
確実な証拠はない。それに、実際に夜遅くまで図書室にいることだってある。
「それで、エジュオとの密談か……」
「はい。護衛騎士とご一緒だったので危険はないかと。ただ、頻度が……」
彼は、つい先日まで作曲活動に没頭していた。それこそ、惚れ込んだハルカですら追い払うほどに。
その彼が、何度も彼女と会っている──ひと段落したのか。あるいは。
「今すぐクルブス侯に引き取るよう通達を」
「殿下、それが……エジュオ様は市民団体に新曲を提供されるようです」
「……バッ!?」
思わず声が漏れ、慌てて口をつぐむ。
正気か?
この状況で新曲を市民に渡すということが、どれほどの影響を及ぼすか。
クルブス侯は誇り高く、それこそ、四大侯爵であるがゆえに、どの貴族よりも優位に立ちたがる。
だからこそ、かつての“自分の作曲家”が、格下の市民に新曲を渡したとなれば、彼のプライドを傷つけるどころか、逆鱗に触れるのは明らかだ。
いくら宮廷楽団に入団したとはいえ、クルブス侯から庇いきれる保証はない。
それこそ、エジュオの作曲家人生そのものが、危うくなってもおかしくないくらいだ。
「そこまでして……何を考えている」
――ハルカを想うあまり狂ったとでもいうのか?
即座に否定する。そんなに短絡的な男ではない。
だが、彼女の不在と市民団体への新曲には、必ず接点がある。
「エジュオの新曲を受け取る団体の詳細を。ハルカの動向にも監視をつけてくれ」
「かしこまりました。ただちに」
――ハルカに関しては、杞憂に終わればいい。
小さくため息をついて、窓の外に視線をやる。
巨塔にいる、我が国の守護竜。
誰も近づけなかった恐るべき存在に、あの小さな手は差し伸べたのだ。
まるで、本物の“聖女”のように。
(薄命竜も、案外脆いものだな……)
彼の変化に驚きつつも、どこかで羨んでいる自分がいる。
そばにいられない悔しさを竜に託すことで、紛らわしてきたけれど、それがこの状況とは情けない。
どんな言葉を言われて折れてしまったのか、尋ねておくとしよう。
人間染みてきた“竜の表情”を想像するだけで、笑ってしまいそうだ。
かつて、たった一晩で国を滅ぼしてきたといわれた邪竜が、たった一人の人間に振り回されている。
それが愚かしくも、どこか憎めないのは、自分も同じだからだ。
(何事もないと……いいんだが)
祈るような想いは、しかし報告が重なるたびに霧散していった。
エジュオからの従者申請、夕暮れ時の外出。市民団体の春季演奏会に参加する“魔術士”の存在。
「……やってくれたな」
すべてが繋がったとき、彼女の評価を改めざるを得なくなった。
薄命竜も相当協力しているはずだ。そして警備の見直しは必至。
そうして、極めつけの証拠が出たところで、ちょうど潮時を迎えた。
けれど、これはおそらく彼も気づくに違いない。そうすると、どう出てくるのか。
(まさに……諸刃の剣だ)
クルブス侯への対策は出来たが、これを元に打って出てくることは間違いない。
まだ証拠をつかみあぐねているというのに、上手く抜け切れるだろうか。
でもまずは――ハルカだな。
考えるだけで、気持ちが重くなる。
僕のために頑張っている、と図書室で告げられたとき、どれほど嬉しかったか。城壁で言ってくれた約束を違うことなく、共に歩んでくれている。その一つひとつがどれほど力になったか、彼女は知らない。
なのに、なぜ別の手を取ったのか。
自分の何が不足だったのか、わからない。
どす黒い焦燥とやるせなさが渦巻き、息を吐いても晴れることはなかった。




