第15話 狂気の裏側
冬のドルガスア国は、重たい雲が空を覆う日が多く、晴れ間は滅多に訪れない。
吐く息すら凍りつくような寒さに、自然と足取りも重くなる日々が続いていた。
演奏会まで、残り1ヶ月。
城では、ほとんど図書室にこもって過ごしている。ティトくんのために魔術の勉強をすることが多かったからだ。わからないことがあったら、魔術師団に顔を出す。そんな折、団長のエリオさんに外出許可が下りないか尋ねてみた。
名目は「魔法演出に使うための材料を実際にみてみたいのと、少しの息抜き」という理由。
けれど本音は、月に1度の長時間練習に参加するためだ。
シグリードも同行するなら、最終的にアレクも許してくれるだろう。とはいえ、厳重な護衛を求められたら諦めるしかない。
「う~ん、難しい気がするなぁ。最低でも護衛は2人……いや3人は欲しい」
「そう、ですか。シグ……ハクメイと出かけたかったな」
「……ハルカちゃん、今、なんて?」
「えっ? だから、出かけたかったんですけど、無理なら……」
「違う、違う! ハクメイって、ハルカちゃん専属の護衛のことだよね!」
「そう、ですけど」
「そーか、なるほど。なら僕が護衛代わりをしようじゃないか! 大丈夫、魔術士団の団長の名は伊達じゃない! ただ、そうだなぁ……うっかり魔術道具に夢中になってしまうかもしれないけれど、日没までにはちゃんと合流できるからね!」
パチン、とウインクを飛ばすエリオさん。
これなら許可が下りるかもしれない。最強の護衛と魔術士がついているなら、聖女の身は安全だ。
――ただ、エリオさんに嘘をついてしまったことだけは、心に小さな棘となって痛かった。
*
無事に午後からの練習に参加することができた私は、通しの演奏と魔法演出を合わせることにした。
普段の練習は個々になるため、改めて全員が一丸となってやる演奏は圧巻だった。
音が重なった瞬間、空気が変わる。
宮廷楽団とは違い、個々の音が際立ち、それぞれの個性が鮮明に浮かび上がっていく。
フルート奏者は音楽学校の学生、オーボエ担当はなんと元・宮廷楽団の奏者だ。引退して、趣味で活動しているのだけれど、元団員の安定感は抜群。学生の少し危うい演奏を優雅に導く。
ヴァイオリンもビオラも男女ペアなので、剛と柔が絡み合うように響く。
チェリストも宮廷楽団を目指していた実力者で、十分に豊かな音色を奏でている。
ティトくんのお父さんもまた、頼もしいコントラバスで低音を支えている。
魔法演出のパートは、本気を出したかった。
術式を書いた天幕をつけて、スモークや光球の変化もつけたい。けれど、今の私は“竜の聖女のマネ”しかできない。だから、最小限の光で表現することにした。
雪のようにきらめく結晶を、空に舞わせて。
「全体としては悪くないが……どう思う?」
「あ、いいっすか。俺としては、3曲目のとこで……」
「それなら、あたしは――」
一通り終わると、すぐに意見交換が始まる。
魔法演出については、概ね良好だった。初めて見たときは、みんなもが「これが」とか「なるほど」と声をあげていた。けれど、回数を重ねるうちに、次々と建設的な意見が飛び交うようになった。市井の人々ならではの柔軟な発想が多く、話していて心から楽しかった。
ただ、気になることがあった。
それは、エジュオさんの様子だ。
今のところ、落ち着いている。というか、不気味なくらい大人しい。
曲に関しては意見を述べるものの、基本的には演奏者たちに委ねており、魔法演出に関しても、うっとりとした目で見つめるばかり。
まるでライブ最前列のファンのように、一挙手一投足を脳裏に焼き付けることに夢中になっている。
(……こっちが“素”なのかな)
あの熱量が嘘のようで、かえって不安になる。ギャップがありすぎて、二重人格を疑いたくなるほどだ。
イル・スオーノのみんなと出会えたのも、元をたどれば彼のおかげ。だからこそ、あのとき怒鳴ってしまったことを謝りたい。
そう思った矢先、エジュオさんが部屋を出ていく。
私は迷わず、その後を追った。
「ハル……っ、どこに行く?」
「エジュオさんとちょっと話してこようかなって。何かあったらすぐに呼ぶから、待ってて」
シグリードが私の手を掴む。
彼は少し沈黙したあと「わかった。何かあったら、すぐにブレスで燃やす準備をしておく」と、真顔で言った。
冗談なのか本気なのか判断がつかず、思わず苦笑する。
約束の代わりに手を握り返し、扉を開けた。
廊下はひんやりとしていて、練習室の熱気が急に遠ざかる。
耳を澄ますと、階段を上がっていく音が聞こえて私も後を追う。
黄昏の光が照らす、小さなバルコニーにその姿はあった。
珍しく晴れた冬の日の空は、とても空気が澄んでいて、オレンジ色の夕焼けが眩しいくらいに鮮やかだ。
目を細めながら、私は近づいて声をかけようとする。けれど、なんて声をかけようか。
「……ミューズ?」
振り返ったエジュオさんは、逆光のなかで柔らかく微笑む。
出会ったときからは想像できない穏やかさで、小さく胸が跳ねた。
「えっと、その……どうしたのかなって」
「あぁ。それはね、ミューズ。ボクは今、この幸せを噛みしめていたところなのさ。この曲が、どんどん磨かれていくことが嬉しいんだ」
そう言って、エジュオさんは胸の前で手を広げると、何か大切なものを見つめるように語り始める。
「ボクはね、小さいころから音に色がついて見えていたんだ。ヴァイオリンの音色も人の声も、木々のざわめきすらもね。それを表現したくて、楽譜に描いてきたんだ」
エジュオさんの楽譜を受け取ったときに、光が零れてきたのはこういうことだったのか、と直感できた。
彼が感じたことの全てが注ぎ込まれているからこそ、特別な楽譜に感じたんだ。
「けれど、楽譜じゃ白と黒の記号だろう?書いている間は、本当にツラい。ボクが感じていることを、表現できていないじゃないか! あの色を、あの形を描きたいのに! って、何度も思う」
「…………」
「けれど、ピタリと当てはまる記号に出会ったら嬉しいんだ。そして、その記号だったものが、今度は音に還元される……僕の感じた色や形が、演奏者たちの手によって、さらに鮮やかに、より美しくなる」
ヴァイオリンの音色が、風に乗って耳に届く。
傾き始めた太陽を労うように、優しい旋律が日の光を迎え入れる。
エジュオさんの目には、この景色はどんな風に映っているのだろう。
「僕はそれがたまらなく幸せなんだ。だってそうだろう?曲も物語も、受け取ってもらえて初めて命が吹き込まれる」
広げていた手をギュッと握りしめて、祈るように手を変える。
「生まれた命は、たくさんの人に愛され、時には、邪険にされ。ずっとずっと語り継がれる。僕ら人間よりも長く生きていけるんだ」
そうして、彼は念じるように強く、強く願う。
「もちろん、忘れ去れることもあるだろう。闇の中に消えてしまうこともあるかもしれない。それでも、受け取ってくれた人の中に、一瞬でも魂が宿る。それはきっと、とても素晴らしいことなんじゃないかな」
晴れやかな笑顔を私に向ける。
それは、希望を見つけたような輝きだった。
「だから、君の魔法を見たときに確信したんだ。この光は魂そのものなんだって」
「あっ……」
だから、あんなに喜びを爆発させていたのか。
新たに出会えた、自分の感情を色や形を伝えてくれる光の魔法。
それがどんなに彼にとって革命的だったか、ようやくわかってきた。
「そうしたら、居ても立っても居られなくなってね。僕に宿った魂を一音でも多く、書き記さなくてはいけないと思ったんだよ」
彼の新曲が、どうしてこんなにも心を震わせるのか。
それは、私自身の曲だったからだ。
お飾り聖女として呼ばれた私が、強くなるために手に入れた魔法と場所。
こうして、演出し始めてようやく何かを掴めてきたような気がしていた。
だから、初めて聞いたとき泣いてしまったんだ。
私が、私自身に触れたから。
「君の魔法は、単なる光の玉じゃなかった。一つひとつの光に、喜びや悲しみ、君の想いそのものが宿っているように見えたんだ」
エジュオさんは言い切って、大きく息を吸う。
「だから、ミューズ。僕にとって君は、音楽の女神だったんだよ」
ヴァイオリンの音が格調高く鳴り響く。
不思議とそれはキラキラと光って見えた。
――音と光が交わって、私のなかで、新しい命が芽生え始める。
夕闇に沈む太陽が、最後の光を惜しむように白く瞬いた。
世界が息を吹き返す、魔法のような刹那の煌めき。
それは確かな命の誕生だった。




