第5話 作曲家
「えっ、と、あの……」
思わず足が引け、後ずさる。
ハァハァと息を荒らげ、目を見開いて迫られると――こんなにも恐ろしいものなのかと息をのんだ。
ドン引きする私を庇うように、シグリードが一歩前に出て牽制する。
シルヴィオくんもすぐに魔術を放てるように、片手を突き出した。
「申し訳ございません!」
クルブス候が慌てて興奮する彼を羽交い絞めするが、彼はなおも暴れ「放してください!」と叫びながらもがく。
どうしよう、と事態が悪い方向に転がりかけたそのとき。
ツカツカとヒールの音が、空気を断ち切るように響いた。
「おだまりなさい!」
キンッ――と場を制する一喝が落ちた。
その声の主は、エレナ・レガッツィ。その侯爵夫人の一声に、誰もが息を呑む。
「嫌な予感がしたと思ったら……やっぱり貴方だったのね」
呆れた、と深いため息をこぼしながら、エレナさんは私たちのもとへと歩み寄った。
その姿は、誰よりも静かで、それゆえに圧倒的だった。
場を掌握した彼女は、すぐさま的確に指示を飛ばす。
「クルブス侯、彼と聖女様を別室へ移してくださる? もちろん、護衛も一緒に」
本来ならこの役目は、クルブス侯のはずだ。完全に気圧されてしまった彼は頷くことしかできず、慌てて従者を呼びつけた。
その様子を見届けると、エレナさんは凛とした表情を緩め、くるりと反転して完璧な所作で一礼。
そして、大輪のバラのごとく気品ある笑みを浮かべた。
「――皆様、お見苦しいところを大変失礼いたしました。どうぞご歓談をお続けくださいませ。……私のビオラの音色も、お褒めいただければ殊のほか光栄にございますわ」
*
別室に移されて、ようやく落ち着きを見せた――ように思えただけだった。
貴賓室の長机を挟んで座る、エジュオと呼ばれていた彼は、ソワソワと落ち着かない様子で私を見つめている。
くせっ毛で細身、20代前半くらいの青年。パッと見た限りおとなしい雰囲気で、顔を赤らめて指先をもじもじさせるその姿に、どこか既視感を覚える。
(……うん、アイドルオタクっぽい)
しかも、かなり“強火”のクセが強いタイプだ。
ライブで見かける、控えめそうに見えて感情の振れ幅が極端な人。タガが外れた途端、収拾がつかなくなる――あの感じ。
「聖女様、大変、大っ変!申し訳ございませんでした」
「いっ、いえ!大丈夫です。えぇと、エジュオさん?ですか、一体どういう――」
「ボクの名前を呼んでくれるんだね! はぁ……この喜び、天にも昇るようだよ」
うっとりと陶酔するエジュオさんに、クルブス侯は肩を落とし、重々しい口調で事情を説明してくれた。
端的に言えば、紹介する予定だったのは彼だ。
エジュオ・アリブランディ。
クルブス家お抱えの作曲家で、今回の演奏会で披露された3曲目の作曲者でもある。
繊細で美しい旋律を生み出した本人だと思うと、尊敬の念が湧く。
けれど、なんでそんな人が私を「推して」いるのかさっぱりわからなかった。
「式典のときに感じたんだよ、あぁ、君こそがミューズ。ボクの音楽の女神だということに」
通訳を、とクルブス侯に目を向けると、彼は疲れきった表情で補足してくれた。
アレクの留学帰国記念演奏会で、魔法演出を見たクルブス侯爵は、聖女のお披露目式典にも当然、期待をしていた。
そこで、作曲家のエジュオさんにも、刺激を受けてほしいと考えて式典の同列許可した。
――が、その刺激があまりにも強すぎたらしい。
もともと少々癖のある人物だったそうだが、魔法演出を見て以降、狂ったように作曲活動に没頭。
私の演出に合わせた曲を昼夜問わず書き続け、クルブス侯もかなり困惑しているとのことだった。
そこで、一度“実際に会って”感情を消化させたほうが良いと考え、今回の企画を持ち込んだそうだ。
ところが、クルブス邸に訪れた私を一目見た瞬間から、言動が更にヒートアップ。
こんな人間を紹介するワケにはいかないと判断したクルブス候は、エジュオさんに部屋から出ないよう厳命したらしい。
「まさか、抜け出してくるとは思いもしませんでした……」
恰幅のいいクルブス候が、今はすっかり小さく見えた。
「エレナさんは、エジュオさんのことは知っていたんですか?」
思い当たる人物がいる、と言っていたエレナさんは、ため息をついて頷いた。
若干、彼女もうなだれながら「えぇ。彼は有名人ですもの」と呟く。
「新進気鋭の天才作曲家。幼少のころから曲作りを始めて、今では貴族たちのパトロン争奪戦に引っ張りだこですわ」
そして現在、争奪戦を制したのがクルブス候というワケだ。
彼のことを知っても、エジュオさんのテンションは下がらない。むしろ、ますます瞳を輝かせている。
「間近で見るミューズは美しくて神々しい。ますます君の虜になってしまったよ」
「…………」
照れるべきか、拒否するべきか、正解がわからない。
とりあえず、曖昧に笑ってみたところ「可憐すぎる!」と言われてしまったので、もう見ない方がいい気がしてきた。
クルブス侯は無理やり彼の頭を押さえつけ、「後日、正式に謝罪を」とまで申し出てくれた。
けれど、演奏会を妨害されたわけでもない。私はそれを辞退し、「不問で構いません」とだけ伝えた。
エジュオさんとは、もうこれっきりだろうから、と。
「それでは、そろそろ城に戻らせていただきますわ。殿下にもご報告がございますので」
アレクの名前を聞いた瞬間、クルブス侯の顔色がサッと青ざめる。
エジュオさんの暴走とはいえ、監督責任を問われかねないのだ。
私は慌ててフォローを入れる。
「演奏会はとても素晴らしかったです! ええと、シルヴィオくん――シルヴィオとも良い経験ができましたし、クルブス邸の皆さんとの共演も本当に光栄でした」
クルブス侯はホッと胸を撫で下ろすが、エレナさんは苦笑を浮かべた。
貴族的にはいろいろあるのだろう。
けれど、今日まで軽食や各種手配などお世話になってきた。ここまで準備に奔走してくれたことに感謝しかない。
「クルブス候、ありがとうございました」
そう頭を下げると、彼も慌てて立ち上がり、深々と礼を返した。
こうして、クルブス家主催の演奏会は、無事に幕を下ろす……はずだった。
「……気に入らないな。あの男」
「えっ?」
馬車に乗りかけたときに、隣でシグリードの低く唸る。
「お前の魅力は……いや、いい」
そう言い残して御者席へと去っていった。
私はポツンと取り残され、首を傾げる。
(一体、なんだったんだろう?)
考えても答えは出ない。
私は静かに馬車へ乗り込み、クルブス邸を後にした。
――ただ、私を見つめる誰かの視線が、より深く、色濃く変わっていたことに気づかぬまま。
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