第33話 御披露目式典
息を呑むような暗闇の中、私は初めて聖女として、観客席最後方にある演出ブースに降り立った。
舞台では、宮廷楽団のチューニングが終わり、指揮者であるダーヴィットさんが拍手の中、登場した。
そして、指揮棒が上がる。
静けさが訪れた会場に、胸が震え始めた。
左腕に意識を集中させ、魔力を宿らせる。傍にいなくても感じられる、彼との絆。
――始めよう、世界を変える音楽を。
タクトの先から魔法が舞い上がり、弾けた光がキラキラと落ちて広がっていく。
客席から小さな感嘆の声が漏れた。
舞台の大きな幕が淡く揺らめき、夜空の神殿のような光景が浮かび上がる。
ヴァイオリンが主旋律を奏で、物語を紡いでいく。美しくも力強い音色に合わせ、客席の頭上を、色とりどりの波がたなびいた。
人々は思わず天を仰いだが、次第に光と音に身を委ね始める。幕開けの曲に、誰もが飲み込まれていった。
楽団の足元にスモークが広がり、そこへ光球が差し込むと、舞台は幻想的な雲海へと姿を変える。
打楽器は心を奮い立たせるような律動を刻み、木管楽器は柔らかな色を重ね、別の表情を浮かべた。
そして、たゆたう光の帯も鋭く切り替わり、会場を駆け抜けていく。
曲の終わりが近づくと、それは無数の光の粒となり、観客席へと降り注いだ。
――壇上の幕に映し出された神殿は、静かに夜明けを迎えていた。
静寂が訪れ、譜面をめくる音だけが場内に響く。
荘厳な始まりを受けて、観客はまだ胸の高鳴りを抑えながら舞台を見つめていた。
息を整え――高らかに明るいポップな調べが弾けた。
その瞬間、客席の頭上に現れたのは、大小さまざまなパステルカラーの光輝くバルーン。
張り詰めていた気持ちが一気に解きほぐされ、口元がほころび、笑顔が波のように広がっていく。
弾むリズムに合わせて、バルーンたちは軽やかに上下し、会場全体が思わず手拍子をしたくなるような空気に包まれた。
ふわふわと揺れる光の群れに、私の口元も自然と緩む。
どこか懐かしいラブソングと似たテンポ。歓声が響き、アイドルたちが手を振って応える。あの熱狂ときらめきが、今、この場にも再現されているようだった。
やがてバルーンは旋律の高まりとともに蕾へと変わり、演奏のピークで大輪の花を咲かせる。
花はくるくると横回転し、音に運ばれるように舞い踊った。
薄い光の花びらは甘やかな香りを思わせ、空気が甘くほどけていく。
とろりと溶けるように霧散すると、曲調はふたたび軽やかな流れへと戻っていった。
舞台背後の幕には草原が広がり、旋律をなぞるように緑色の風が吹き始める。
軽やかな音のうねりに緩急が重なり合うように、会場の天井にも澄み渡る空と白い雲が映し出された。
頬をかすめるその風と太陽のまぶしさに目を細めながらも、客席の誰もが高揚を隠せない。
やがて舞台から白い鳥が現れ、風に乗って旋回。複数に分かれ、蒼天をめざす。
ヴァイオリンの格調高い余韻に導かれながら、その姿はやがて光へと変わり、尾を引いて遠くへ飛んでいく。
それはまるで、希望そのものを描く光景。その羽ばたきから、目を離せなかった。
(……いよいよだ)
グッとこぶしに力を入れて、魔術士団のみんなを振り返る。
ここからが魔法演出の真骨頂。
宮廷楽団にとっても勝負の一曲だ。
オーケストラの調和を崩すように、この曲は異質だった。
各楽器が己を主張し、激しく、ダイナミックに動き出す。何度も食い違い、それでも合わせてきた曲だ。
自然と足が開き、地を踏みしめる。
観客を挟んでいても、私たちは同じ覚悟で息を整え、次なる曲へ心を定めた。
タクトが鋭く振り下ろされ――音が走り出す。
ヴァイオリンの技巧を尽くした細かな旋律が疾走し、打楽器の振動が興奮を加速させる。
痺れるような高音を、オーボエが迷わぬ響きで導き、金管が応える。
まるで肌が焼けるように痛み、その圧倒的な音圧に誰もが息を呑む。
ドルガスア宮廷楽団という、我が国の誇りが放つ咆哮に、観客は身じろぎすらできない。
研磨するように主旋律が高速で奏でられ、トランペットが高らかに鳴り響く。
それらが頂点を迎えた瞬間、会場全体は光の粒が満ちた。
ピークに達しきったところで、緊張で張り詰めていた心がほどける。その力強いサウンドに鼓舞されるように、観客たちは、ゆっくりと目の色を変えていった。
けれど、魔術士団だって音に負けない力を秘めている。
ロック調のメロディーが続く中、光は渦を巻き、中央に集束し、ひとつの形を結んでいく。
そして――巨大な光竜が出現した。
悠然と場内を旋回するその姿に、空気そのものが震えた。どよめきと歓声が同時に沸き起こる。
神々しい竜に、畏怖と尊敬の眼差しを送り、誰一人として、視線を外すことができなかった。
けれど、私の目にはもっと色鮮やかに映る。
抱きしめてくれた温もり、迷いを払う声、支えてくれる想い――彼の存在が、光そのものを強く輝かせている。
(私の竜は、もっと、もっと、まぶしいんだよ)
会場を巡り、その鮮烈な姿を会場に焼き付けていく。
純白のオーロラのような長い尾、守護という名の巨体、そして――覇者としての眼光。
それは、この国そのもののようだった。
音が山場を見せて、旋回していた竜はやがて小さな粒となって拡散して消える。
けれど、曲はさらに熱を帯びて続く。
演奏の決め打ち音に合わせて、舞台と観客席の間を炎が連続して横切った。
二度、三度と繰り返されるごとに、会場全体が熱気に満ち溢れていく。男性客の胸に闘志の火が灯り、食い入るように舞台へ熱い視線を送る。叩きつけるように旋律は激しさを増す一方で、その一糸乱れぬ音の調べは暴力的なまでに美しい。
ふつふつと煮えたぎるマグマのように、その期待に呼応して赤い光粒が次第に増えていく。
音は低く沈み、嵐の前触れのように静けさと鳴動していった。
そうして、力をためて――爆ぜる。
赤き竜が、産声を上げた。
爆炎をまとった竜は、熱風と共に会場を駆け抜け、人の心を燃え上がらせていく。
この国を守護する竜の誕生を寿ぐように、楽団は激しくも華やかな音を重ねて、会場の熱がピークに達する。
声にならない歓喜と抑えきれない身体の震えが止まらず、観客は思わず立ち上がりかけた。
しかし、頭上を舞う竜から目を離すことすら惜しく、その圧倒的な存在がもたらす熱量を受け取ることに集中していた。
一分一秒でも長く、その絶世の竜を見続けるために。
赤竜は音に導かれるように宮廷楽団を目指し、やがて天幕に映し出された蒼穹へと突き進む。
その熱風を残したまま、炎が青へと溶けこみ、一筋の光となって羽ばたいていく。
管弦の調べが格調高く響き、熱をはらんだ余韻が響いて、音はふつりと消えた。
会場の誰もが声を失ったまま――ただ、その先へ想いを馳せた。
ほんの少しだけ熱が落ち着き、ようやく呼吸を取り戻す。
次は例えるなら――そう、薄明時のような曲だ。
ロベルトさんの美しいソロパートから始まった。
先ほどまでの熱が、静かに溶けて消えていく。
穏やかな優しい響き。目を閉じて、その音だけを身体に染み込ませて、揺蕩いたいくらいだ。
跳ねる音と、支える音が重なり、演奏がグラデーションのように広がる。
その音の階調に合わせて、足元にスモークを焚き、客席まで伸ばす。
天幕に映し出された葉が、雨粒をはじいた瞬間、オーケストラの前に光のカーテンが降りた。
薄い霧が光を抱いて揺らめき、場内は神秘の気配に包まれる。
そうして、雄大な演奏は続く。
楽器から生まれる音が光となって次々に浮かび上がる。次第に増えていく光の音。
それはやがて、会場を覆いつくすほどになり、天井は発光する。
演奏がピークに差し掛かると、光は白銀色の花びらとなって観客席へ落ちていく。
光の花びらに手を伸ばす仕草が、あちらこちらで見られた。けれど、手に触れた瞬間、きらめいて消える。
その儚い美しさと、切なくも胸に迫る旋律が合わさり、観客からは嗚咽も聞こえてきた。
一瞬だけ音が止まり、余韻を残すヴァイオリンの響きを持って、一陣の風が吹いた。
花びらと共にスポットライトが私に降り注ぐ。そうして、最後の曲は締めくくられた。
私は、深く、深くお辞儀をした。
沈黙。それを破ったのは、ひとりの拍手だった。
鳴り響く音は、すぐに波紋のように広がり、やがて――誰かが立ち上がった。
それに呼応するように、ひとり、またひとりと立ち上がり、会場は全員総立ちの万雷の拍手に包まれていく。
「ありがとう、聖女様――!」
会場を埋め尽くす歓声と熱狂の渦。
わあぁぁっ――――と喝采の渦が天へと昇り、世界が、その瞬間だけ光に満ちた。
やがて幕が閉じると、眩いシャンデリアが煌めく大広間が広がる。
観客たちの昂ぶった熱は冷めやらず、そのまま舞踏会の華やぎへと流れ込んでいった。




