第1話:プロローグ 光と音の聖女
コツ、と音が鳴った。
それは、“お飾り聖女”と呼ばれた過去と別れる、小さな靴音。
観客席から見上げるだけだった佐伯晴歌は、もういない。
ほの暗い廊下を一歩、また一歩。
虚飾を振り払い、足に力を込めて恐れることなく前へ進む。
扉の隙間から漏れる淡い明かりが足先を照らす。
私が行き着く先は、観客席最後方にある“演出ブース”。
世界を輝かせるために、魔法の光を届けに行く。
そこは少しずつ変わっていった私が、ようやく辿り着いた場所。
その世界へ踏み出す勇気を、最初に竜が渡してくれた。
扉が開く。
波打つような人々の声が耳に届き、自然と胸が高鳴る。
そこに広がっていたのは――。
ドルガスア竜王国・国立大ホール。
百人規模の楽団が、今まさに音を紡ごうとしていた。
重厚な扉が閉じた瞬間、暗転。
貴族たちのざわめきが空気を揺らす。
混乱を制するように、チューニングの音が響き渡った。
弦のしなやかな旋律。
金管の高らかな響き。
木管の柔らかな音色。
打楽器のリズムが、ざわめく人々の心を、ひとつずつ落ち着かせていく。
それらは次第に期待を孕んだ静けさへ変わっていった。
その幕開けを、私も、そして誰もが待ち望み始める。
演出ブースに入り、魔術士たちと視線を交わし合う。
私の魔法と、彼らの魔術が混ざり合い、空間を彩っていく。
舞台上にひとりの男性が現れた。
ドルガスア竜王国宮廷楽団の団長にして、国を代表するマエストロ。
観客は、彼の登場に大きな拍手をあげ、一身の期待を寄せる。
そのタクトは、まるで魔法の杖のよう。ただ振るだけで、聴衆の心を虜にする。
その白磁の棒が上がる。
会場が息を呑み、静寂が生まれた。
私は左手の甲から腕にかけて、意識を集中させる。
刻まれた竜の瞳の紋章。それは、彼と深く結ばれた絆の形。
これまでの歩みの証が、蔦のように伸び、繊細で美しい文様を描いていく。
――この力があるから、私はこの場所に立てる。
そうして、心臓が脈打つたびに、全身を竜の魔力が駆け巡る。
私は静かに息を吸い、魔術詠唱することもなく、ただタクトの先端を見つめた。
ぽうっ、と“本物の魔法”が指揮棒に宿る。
やがてそれは、星の砂をこぼしながら、ゆっくりと空中へ浮かび上がる。
舞い上がっていく光を、観客たちは固唾を呑んで見守った。
その星彩に、誰も目を離せなかった。
そして、ふわりと、弾けた。
キラキラと舞い落ちる光の粒子。
客席から感嘆の声が上がる。オーケストラの演奏が始まった。
音が風に乗るように、光が旋律に絡み合い広がる。
クラシックよりも鮮烈で、心を強く惹きつける曲。
弦楽器の繊細な旋律に、打楽器がテンポを刻む。
管楽器のメロディーが重なれば、次第に華やかな音楽の舞台が広がっていく。
この独自の音楽に出会ったとき、私の胸は大きく弾んだ。
星々が歌うような煌めきに聞きほれて、心を奪われていた。
だからこそ、もっと輝かせたかったんだと思う。
話すことも、誰かと共に何かをすることも苦手だったけれど、仲間と一緒にこの音色を更に魅せたくなった。
音楽だけしか知らなかった、この世界の人たち。その瞳は、今、目の前の美しい光景を追いかけていた。
ブース内の魔術士たちへ、そっと合図を送る。
光魔術用の詠唱が微かに聞こえてきた。
術式の紙に触れて、次の光を呼び起こす準備をする。
サーチライトの光が、観客を照らし出した。客席の頭上を様々な色の波がたなびく。
そのオーロラを見上げる人もいれば、光と音の共演に酔いしれる人もいる。
下支えする低音が身体のなかで渦を巻き、高音が鼓膜を震わせて、身体に染み込む。
抑えきれない衝動と胸を焦がすような空間に、身も心もゆだねていく。
――わかるよ。私も、元の世界ではそこにいたから。
目を伏せれば、過去の記憶が静かによみがえる。
幼いころから人見知りで、臆病で。
誰とも深く関われないまま、十九歳になった。
本当は誰かと繋がりたかったのに、怖くて、自分から心を閉ざしていた。
そんな私を支えてくれたのは、画面の向こうの『アイドル』だった。
たくさんの人と関わり、夢のステージを作り上げる、煌めく人たち。
きっと、変わりたかったんだと思う。
私もあんな風に光を感じてみたかった。
だから私は、彼の隣で音楽を彩ると決めた。
“お飾り”と呼ばれても、好きなものを、貫き通す。
あの日、冷たい目で見下した人に、抗うために光を放つ。
誰かがいるからこそ、人は強くなれると知っているから。
そっと、契約紋章に指を添える。
彼の息吹を感じて、身体が熱くなる。
私の竜へ。
この感謝を、極彩の魔法に替えて、掲げよう。
ひとりぼっちだった私が、こんな風に魔法を使えるようになった。
――光あれ。
舞台に、まばゆい光が降り注ぐ。
そうして私は、小さく微笑み、竜へ想いを馳せた。
第1話をお読みくださり、ありがとうございました!
このコンサートシーンは、第33話にリンクしています。
晴歌がどうしてこの場に立つことができたのか、引き続き読んでくださると幸いです。
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