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第1話 光と音の聖女


 コツ、と音が鳴った。


 それは、私の小さな靴音。

 演出ブースへと続く廊下で一歩、また一歩と、何かを踏みしめるように、私は歩き出す。


 慣れない衣装の裾、胸元、そして着飾ったメイク。

 どこかぎこちないその姿に、過去の私が重なって見えた。


 ――変われると思っていた。


 中学、高校、大学。

 春が来るたび、環境が変わるたびに、私はきっと変われると信じていた。


 ――でも、変われなかった。


 それに気づいたのは、十九歳の春。

 私は、ずっと変わらないままだった。


 それから、半年が過ぎた。


 視線をグッと上げ、力強く前を向いて歩き出す。

 私が立つのは、観客席最後方にある演出ブース。

 そして、目の前に広がる光景に、胸が静かに震えた。


 そこにあったのは――


 ドルガスア竜王国・宮廷大ホール。

 百人規模の楽団が、今まさに音を紡ごうとしていた。


 重厚な扉が閉じ、会場は一瞬にして暗転する。

 貴族たちのざわめきが空気を揺らしながらも、誰もがその幕開けを待ち望んでいた。


 その混乱を制するように、チューニングの音が響き渡った。

 弦のしなやかな旋律。

 金管の高らかな響き。

 木管の柔らかな音色。

 打楽器のリズムが、ざわめく人々の心を、ひとつずつ落ち着かせていく。


 そして、舞台にひとりの男性が現れた。

 ドルガスア竜王国宮廷楽団の団長にして、国を代表するマエストロ。

 ダーヴィト・ガルシア・メンデス。


 観客は、彼の登場に大きな拍手をあげ、一心の期待を寄せる。

 そのタクトは、まるで魔法の杖のよう。ただ振るだけで、聴衆の心を虜にする。


 だから――私はその指揮棒に、“本物の魔法”を宿す。


 白磁の棒が、ふわりと闇の中に持ち上げられる。

 まるで一条の光が夜を裂くように。


 私は左手の甲から腕にかけて、意識を集中させる。

 心臓が脈打つたび、力が脈々と流れ出すのが分かった。


 彼の瞳のような、細長い楕円の紋章。

 それが蔦のように伸び、繊細で美しい文様を描いていく。


 それは、これまでの歩みの証。

 そして――深く結ばれた、絆の形。


 私は静かに息を吸い、タクトの先端を見つめた。


 ぽうっ、と光の玉が灯る。


 やがてそれは、生き物のように呼吸を刻みながら、ゆっくりと空中へ浮かび上がる。

 その舞い上がっていく様を観客たちは固唾をのんで見守った。

 魅入られたように、その輝きから目を離すことができない。

 

 そして――ふわりと、弾けた。


 キラキラと舞い落ちる光の粒子。

 客席から感嘆の声が上がる中、オーケストラの演奏が始まった。


 クラシックよりも鮮烈で、強く心を惹きつける曲。

 ヴァイオリンが細かな旋律を奏で、ビオラがそれの旋律を支える。

 コントラバスとチェロが低音の厚みを加え、打楽器がテンポを刻む。

 管楽器のメロディーが重なれば、次第に華やかな音楽の舞台が広がっていく。


 このじわじわと侵食されていくような感覚に興奮と期待が募る。

 身に迫ってくるような音の振動に、かつてないほど震えてしまう。

 

 私は、異世界に呼ばれて、この音楽に出会った。

 まるで、大好きなアイドルソングと似たようなテイストを持つ、この国独自のサウンドに聞きほれてしまった。

 

 だからこそ、もっと輝かせたかったんだと思う。

 本音も言えず、誰かと真っすぐ向き合うこともできない、人見知りで臆病だった、過去の私。

 そんな私が、唯一、大好きだと誇って言えるのがアイドルだった。彼らと似た煌めきを宿す音を更に磨きたくなった。


 私は客席の後方、一緒にいる演出チームの魔術士たちを振り返り、そっと合図を送る。

 彼らは頷き、小さく詠唱を始めた。


 すると、アイドルのライブと同様にサーチライトのような光の帯が観客を照らし出した。客席の頭上を様々な色の波がたなびく。

 その光景に見上げる人もいれば、光と音の共演に酔いしれる人もいる。

 人々の瞳は、ただただ目の前の美しい光景を取り込むだけで精一杯のように見えた。

 抑えきれない衝動を噛みしめ高揚しながら、夢のような空間に身も心もゆだねていく。


 ――――わかるよ。私も、元の世界ではそこにいたから。


 ステージはこんなにも眩しくて、胸を焦がして、言葉にならない感動で満たしてくれるんだ。

 下支えする低音が身体のなかで渦を巻き、高音が鼓膜を震わせて、全身に染み込んでいく。

 それが、重なり層となってエネルギーになる。

 あの頃の私は、この光景をただ遠くから眺めることしかできなかった。


 楽団の足元にスモークが広がり始める。

 その霧に光球を転がすと、まるで雲海の上に立っているような幻想的な舞台へと姿を変えた。


 音楽もそれに合わせて表情を変える。

 奮い立たせるような旋律でありながら、強く優しく、包み込むような旋律が会場を満たしていく。

 観客たちの目が輝き、うっとりとしたため息があちこちで漏れる。

 冷やされた空気が、上気した肌を潤していくようでもあった。


 ほんの少し前までは――無力で、ただ名ばかりの“聖女”だった。

 異世界に放り込まれて、1人でいられる“強さ”があればと違っていたのにと、不安と孤独に泣いてばかりいた。


 ――そう、1人でいられる強さが欲しかった。


 でも、きっとそれは違っていたのだ。

 誇り高く、強く生きる彼の手に――そっと、触れられたときに知った。


 彼だけじゃない。


 今、演奏の中央で眩しい笑顔を浮かべる彼女。

 演出を支えてくれる魔術士たち。

 そして、上座にいる金糸の後ろ姿。


 みんなが私に、向き合ってくれた。

 だから、ここまでやって来れたんだ。

 この手から生み出す魔法は、私一人の力じゃない。


 ――ねえ、晴歌。


 弱い自分が嫌いだったよね。

 強くなりたかった。でも、なれなかった。


 でもね、本当の強さって――――


 誰かと一緒じゃなきゃ、見つからない。

 誰かがいるからこそ、人は強くなれるんだ。


 そっと、契約紋章に指を添える。


 私の竜へ。

 この感謝を、魔法に乗せて伝えよう。


 舞台に――――光が降り注ぐ。


 “これは、ひとりぼっちだった聖女が、光のステージに立つまでの物語”

 

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