愛する人の婚約破棄まであと【7日】
レオンSIDE
初めて、ロゼッタを見たときの感想は『随分と大人びた子だな』というものだった。
若干7歳にして、まだ幼い殿下を隣に立って支え、立派にお茶会の主催者としての役目を果たしていた。その時は、生まれた時から王妃に選ばれる女性は他とは違うのだな、と漠然を思っていた。
そんな彼女の印象が一変したのは、それから1年後だった。
私がいつものように人気のない場所で剣の素振りをしていると、一人の令嬢が走って来て、バラの生垣の間にうずくまった。気分が悪いのだろうかと心配になった。あの場所は死角になっていて侍女や執事などに気付かれにくい。
大変だ!
そう思って近付くと、女の子の泣く声が聞こえた。
「もう、疲れたわ。無理よ……。どこの家がどんな事をしたのかとか家の歴史を貴族分覚えるなんて……どれだけの家があると……やっと顔と名前を覚えたのに……」
「(あれは……ロゼッタ嬢?)」
いつ会っても隙のないしっかりとした令嬢であるロゼッタは、気分が悪くなったわけではなく、王妃教育がつらくて泣いているようだった。彼女の愚痴を聞いていると確かに『そんなことまで覚えさせられるのか……』と同情する内容だった。
ロゼッタ嬢も生まれつき完璧だったわけではなく努力しているのだな……。
そんな当たり前のことに気付いたその日から、私はロゼッタ嬢を気にかけるようになった。お茶会などで何度か話しかけたが、彼女は常に殿下の婚約者として私と話をしてくれており、レオン個人として認識もされていないようだった。
私が学園に入り、婚約者を誰にするかという話が出る頃には、すっかり彼女の事が好きだと自覚していた。彼女への想いをどうしても断ち切れずに、私は自分の婚約者を決めることが出来なかった。
私は、婚約者を決めることもなく学園を卒業して宰相である父の補佐をしていた。そんな私に、残酷な話が飛び込んで来た。
「え? リシウス侯爵家の養子に?」
リシウス侯爵家とは、ロゼッタの家だった。
「ああ。ダイアンが我が伯爵領を継いでくれたので、我が領は安泰だ。お前は語学が堪能だろ? 娘しかいないリシウス侯爵が、ぜひお前に養子になってほしいと言っている。お前が侯爵家の養子になるのなら、宰相はエディに任せようと思っている。どうだ?」
私は目の前が暗くなった。私はロゼッタが好きだった。
彼女と一緒になれたら、どれほどいいかとずっと思っていたが、彼女は殿下と結婚する。陛下もお妃様も彼女を溺愛しているというのは有名な話だ。その上、彼女は誰もが認める素晴らしい令嬢だ。彼女が王妃にならない可能性など有り得ない。
――彼女が居なくなった家を私が彼女の代わりに守る……。
ロゼッタが殿下と結婚したら、彼女を諦められると思っていた私にはまさに試練のような話だった。
彼女の実家に養子に入ってしまったら……私はずっと彼女をあきらめられそうにないな……。
運命とは残酷だ。
私は、父の苦手な語学の分野で主に外交関係の手伝いをしていた。今の我が国の外交は、王妃様の社交性と、侯爵の手腕とロゼッタの母のリゼッタの語学力で成り立っている。彼らの交渉した内容を整理して、陛下に伝えるのが宰相としての父の仕事の一つだ。
「レオンは、ずっと外交に興味があったのだろう? 侯爵もお前の仕事ぶりを見てぜひと言われている。お前は次男だ。養子として入るのなら、望まれて入る方がよいぞ? それに侯爵の娘は殿下の婚約者だ。未来の王妃殿下が身内というのは力強いことだぞ」
確かに、ずっと外交に興味のあったので養子先としては申し分なかった。しかもリシウス侯爵家など名門貴族だ。それに、彼女が王妃という立場に疲れて羽を休めるために戻って来た時にゆっくりできる場所になれるのならいいのかもしれないと思えた。
「父上、そのお話お受け致します」
「そうか……」
こうして、私はロゼッタ嬢が嫁いで居なくなった後のリシウス侯爵家に養子に入ることになったのだった。
☆==☆==☆==
――そして今日、私は直接リシウス侯爵の元に返事をするために侯爵の元を訪ねていた。
「養子になるという件、進めてもよろしいのでしょうかな?」
「はい」
私が頷くと、扉がノックされて侯爵の許可と共に兵士が入って来た。
「侯爵、ロゼッタ様がおいでです。『アルベルト殿下のことで至急お目通りを』とのことです」
ロゼッタという言葉を聞いて、私の心臓が跳ねた。私は彼女の顔が見れることが嬉しいと思っていたのだ。だが、侯爵は酷く難しい顔をしていた。
「娘が訪ねて来るなど初めてのことです……しかも、殿下のこと……殿下はなにかしでかしたのか……」
私は、怖い顔をする侯爵に向かって尋ねた。
「席を外しますか?」
「いえ、レオン殿は我が侯爵家の人間になられるのです。レオン殿さえよろしければ同席して下さい」
「わかりました」
アルベルト殿下という単語を聞いた侯爵の機嫌が一気に悪くなった。一体どうしたのだろうか?
不思議に思っていると、ロゼッタが部屋に入って来た。久しぶりに見るロゼッタは少しやつれたように見えた。
ロゼッタ嬢……どうしたんだ?
心配になって彼女を見ていると、不機嫌さを隠しもせずに侯爵が声を上げた。
「ロゼッタ、アルベルト殿下のことで話があるとのことだな」
ロゼッタは、侯爵に頭を下げた後に私を見た。私は嬉しくて彼女に話かけていた。
「お久しぶりです。ロゼッタ嬢。私は、侯爵とお話があって来たのです」
「それは、お話中にお邪魔して申し訳ございませんでした」
私はロゼッタに話しかけられて、早くなる心臓の音に気付かれないように少し緊張しながら答えた。
「いえ、丁度話が終わったところでした。聞けば、アルベルト殿下のことだとおっしゃっていたので、私も同席させて頂こうと思いまして」
「レオン殿もこう言って下さっている。話してみなさい」
侯爵がさらに不機嫌そうに声を上げた。もしかして、アルベルト殿下について何か思うことがあるのだろうか?
私は、少し怯えているロゼッタに微笑みながら言った。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。私で出来ることでしたら、力になります」
ロゼッタ嬢は、相変わらず凛とした様子で衝撃的なことを口にした。
「では単刀直入に申します。アルベルト殿下は、私との婚約を破棄しようと考えておられます」
「え?」
「何を言い出すかと思えば、馬鹿な!! 話にならなかったな」
侯爵は、私が心配になるほど怖い顔で言った。
「お言葉ですが、父上、すでに殿下のお心は私から離れております。殿下は意中の方と結ばれるために私を修道院に送り込もうとしております」
「修道院だと?! 馬鹿馬鹿しい。学生時代に多くの人間と交流するのは当たり前だ。くだらない嫉妬をするのは止めろ。王妃教育を終え、殿下を一番にお支えしなければならないお前がそのようなことでどうするのだ?! 恥を知れ!」
どうしたのだろうか?
侯爵の様子が変だ。豹変したと言ってもいい。
私は、ロゼッタに助け船を出すことにした。
「ちなみに、先ほど『殿下は意中の方と結ばれるために』とおっしゃいましたが、殿下の意中の相手とはどなたですか?」
「ライ伯爵家のカルラ様ですわ」
私はその名前に聞き覚えがあった。それは先日、弟のエディが『将来を約束している令嬢がいる』と家に連れて来た令嬢の名前だった。まだエディと結婚したわけでもないのに、私のことを不躾に『お兄様』と呼ぶ随分を馴れ馴れしい女性だったように記憶している。
「ライ伯爵家の令嬢ですか? おかしいな、彼女は私の弟と将来を約束しているはずですよ。先日、弟は彼女にそれはそれは大きな宝石を贈ったのです」
「もしかして、それは黄色の指輪ですか?」
「ええ、そうです」
どうやら、指輪のことは彼女も知っていたようだった。
「ロゼッタ!! やはり、お前の早とちりではないか!! エディ殿の婚約者なら、アルベルト殿下と一緒にいるのも自然だろう。愚かな思い込みで殿下を侮辱するなど、許されることではないぞ! レオン殿、どうかこの件は内密にお願い致します。このような愚かなことを口に出すなど……どうやら、私は娘を甘やかし過ぎたようです」
なんだろう?
侯爵は少しでも早くこの話を切り上げて、ロゼッタ嬢をこの部屋から出したい様子だった。
「ロゼッタ、もう屋敷に戻りなさい」
「失礼致します」
早々に部屋を追い出した侯爵は、しばらくして完全に彼女の気配が消えると、バキッっと羽ペンをへし折った。
「あの、クソガキ……どこぞの馬の骨ともわからぬ令嬢に入れ上げて、仕事を全部ロゼッタに押し付けたかと思ったら……その恩も忘れて、ロゼッタを修道院に入れるだと?! ったく、ふざけたことを!!」
ロゼッタが居なくなった途端、侯爵の態度がまたしても激変した。
「侯爵……そう思っておられるのでしたら、なぜすぐに彼女に手を差し伸べなかったのですか! あのような酷いことを言っては、彼女が傷つきます」
侯爵は長い長い溜息を付いた。
「城にいる間娘には、常に見張りがついています。ですから、見張りが殿下にもし私たちが娘に加担することを伝えれば、計画に気付いた殿下にすぐにでも誘拐されることも有り得る。私はこの場合、実に不本意だが、娘の報告を一蹴したと、見張りが殿下に報告するようにしなければならないのです」
「見張り? 誘拐?!」
どうやら、ロゼッタは私が想像する以上に過酷な環境に置かれているようだった。
城には多くの貴族や文官が働いている。ロゼッタが王妃候補として、王太子を貶めるために不穏なことを企んでいないかを監視されているというのもわからなくはなかった。
どうやら城では彼女とは迂闊に話ができないようだ。
「ええ。私としては、本当はあの男に嫁がせたくはないのですが、娘はあのつらい王妃教育をやり切るほど、殿下に惚れているようですし、なにより妻たちがこの結婚に非常に乗り気ですからな……」
――娘はあのつらい王妃教育をやり切るほど、殿下に惚れていますし……。
私は侯爵の言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。
そうか……そうだよな……泣きながら王妃教育に耐えたのは、ロゼッタ嬢がアルベルト殿下が好きだからだよな……。
私は当たり前の事実に気付いて、呆然としてしまった。
隣では、侯爵はすでにアルベルト殿下のことを『あの男』呼ばわりしていた。本当に良く思っていないのだろう。
「私が殿下の真意を調べてみましょうか? 学園の中だけの好奇心の対象かもしれませんし……」
学園内では私のいた時から、高位貴族である婚約者に出来ない行為を別の女性と試したいという不誠実な貴族子息は存在していた。高位貴族の婚約者とは基本、結婚するまで頭や肩や手や腰などダンスで触れる部分以外に身体に触れることは許されない。ましてやキスなどもっての他だ。ダンスとエスコートの時のみ婚約者に触れることが許されていた。ただし、それも人前に限る。学園を卒業するまでは、二人の時に不用意に触れてはいけない。
だが、たまに好奇心に勝てずに、隠れて婚約者以外の令嬢と手を繋いだり、身体を寄せあったり、それがエスカレートすると唇へのキスなどのあるまじき行為をする貴族子息もいた。私は、ロゼッタ嬢以外に全く興味がなかったので、学業以外で女性と話をすることもなかったが、中にはそういう者もいたことを思い出した。
「いいのですか? レオン殿」
侯爵に尋ねられて意識を侯爵に向けた。
もうすぐ卒業舞踏会があるので、その関係の書類でいくつか打合せをしたいこともあったし、なにより愛するロゼッタ嬢が例え殿下と言えども、傷つけられることが我慢できなかった。
もしかしたら、ロゼッタ嬢はあの生垣で一人で泣いていたように、学園で殿下の浮気を見て人知れず泣いているかもしれない。
――そんなのは、耐えられない!!
「はい。むしろ、私にこの件をお任せください」
「レオン殿が?」
「はい。侯爵は今、王妃殿下とリゼッタ様の交渉している件でお忙しいでしょう?」
王妃様と侯爵夫人のリゼッタは、この国の繊維技術向上のために、アルタイル国に技術協力を要請しているのだ。その件で、侯爵は今、信じられないほど忙しいはずだ。
「レオン殿が動いて下さるというのなら、有難い。城内でもあなたの手腕は噂になっていますからな。……ですがレオン殿、本当によろしいのですかな?」
侯爵に試すように見られて、私は真っすぐに侯爵を見て答えた。
「必ず、彼女を守ります」
彼女がもし泣くようなことがあれば私も……容赦する気はない。
――絶対に彼女を守る!!
思いの外大きな声で宣言した私に、侯爵は驚いた後に、顔を緩めた。侯爵の笑った顔は初めて見た。
「娘のためにそのような誠実な言葉を頂き感謝致します。いっそのこと殿下に嫁に出すより、あなたに嫁に出したいくらいだ。それでは頼みましたぞ」
侯爵の言葉は……冗談とはわかっていた。だが、私はその言葉を聞いて胸にナイフが刺さったかのような痛みを感じた。
――彼女が私の妻になってくれたら、どれほどいいだろう……。
この10年何度それを願っただろうか?
何度も、何度もそう思い、何度も、何度もそう願った。
だが、それはあり得ない願いなのだ。
彼女は完璧な王妃になれる器がある。
彼女が王妃にならないことなど――ありえない――。
もう、何度も自分に言い聞かせたはずだ。
彼女をあきらめろと、もういい加減彼女以外の女性に目を向けろと……。
だから私は、彼女と殿下の間に誤解があるようなら、それを解く手伝いをしようと思った。
「はい。それでは明日、学園に行って確認してきます」
アルベルト殿下もお年頃だ。もしかしたら、近くにいたエディの婚約者の令嬢に『手を握らせてほしい』とか『頬に触れさせてほしい』とそのようなことを言ったのかもしれない。私は誤解を解く手助けをしようという気持ちで学園に向かうことにしたのだった。