タイムリミットまであと【0日】婚約破棄当日
私は、鏡に映った自分の姿をじっと見つめた。
今日はお母様とお妃様が作ってくれたドレスを選んだ。お母様たちの贈ってくれたドレスの中に、昨日レオンと一緒に見た夕日のような淡いオレンジがあり、とても綺麗だったので、このドレスにしたのだ。
「ロゼッタ様、いかがですか?」
「ありがとう、とてもいいわ。では、そろそろ行くわ」
「え? でも、またアルベルト殿下のお迎えが……」
侍女の言葉に私は少し困りながら答えた。
「いいのよ。アルベルト殿下はきっといらっしゃらないから」
「え?! いえ、そんなことはありません。お待ちください!!」
私は、階段を降りてエントランスまで来た。
「ロゼッタ様。まだアルベルト殿下はいらっしゃっておりませんよ?」
エントランスに着くと、セバスが慌てて声を上げた。私はそんなセバスに言った。
「すぐに馬車を回して、アルベルト殿下はいらっしゃらないから、一人で行くわ」
アルベルト殿下は今頃、カルラを迎えに行っている。
私の迎えになど来ないのだ。普段の夜会ではエスコート役は必須だが、卒業舞踏会は生徒の最後の社交の場なので、エスコート無しでも入れるのだ。とても切ないが……。
「いえ、そんな! お待ちくださいませ」
セバスが声を上げると表にヒヒーンと馬車が着いた音が聞こえた。
「ああ、お着きになったようですね」
セバスがほっとしたように言った。だが、殿下が私を迎えに来るはずがない。きっと父に用事がある別の人間だろうと思っていた。
しばらくして、扉が開けられるとそこには、夜会の時のように着飾ったレオンが立っていた。
「え? レオン……様、どうして……?」
驚いて、立ち止まるとレオンがにこやかに笑った。
「ロゼッタ嬢、もしかして、出迎えてくれたのですか?」
「いえ……一人で向かおうかと……どうせアルベルト殿下はいらっしゃらないから……」
レオンは驚いた顔をした後に、申し訳なさそうに言った。
「大変申し訳ございません。あなたに今日のことをお話していませんでしたね」
「……ええ」
私が頷くと、レオンは私の手を取った。
「本日は、私にあなたをエスコートさせて下さい。馬車の中で今日のことをお話致します」
私は、レオンを見ながら微笑んだ。
「わかりました。お願い致します」
沈んでいるとは思っていなかったが、レオンがエスコートをしてくれると聞いて身体が軽くなった気がした。どうやら、私はレオンがエスコートをしてくれることがかなり嬉しいようだ。私は弾んだ足取りで、馬車に乗った。
「そのドレス、とてもよくお似合いですね」
「ありがとうございます。レオン様も素敵ですわ」
レオンも今日はいつも以上に凛々しく格好良かった。そんなレオンに褒められて頬が赤くなる。ふと、目の前にレオンの手が伸びて来て、私の頬に触れようとした。だが、レオンは、手を止めてその手を自分の膝に置いた。
触れてほしかった……。
私はそんな風に思う自分の気持ちに戸惑ってしまった。
「ロゼッタ嬢、殿下がいつのタイミングで婚約破棄を言い出すのかはわかりかねますが……。恐らく舞踏会で殿下はあの伯爵令嬢と踊るでしょうから、卒業式典の前か、後に控室などの別室に呼び出されると思われます。舞踏会が終わった後という可能性もありますが……」
私は、レオンの言葉に苦笑いをするしかなかった。確かに普通の貴族男性が婚約者と婚約破棄をするのなら、別室で当人だけで行うと思うだろう。だが、絶対に私との婚約破棄をしたいアルベルト殿下は、皆の前で婚約破棄をして、社交界に一気に自分の婚約者がカルラであることを誇示するつもりなのだ。
「レオン様、もし舞踏会の最中に婚約破棄を言い渡されたらどうしましょうか?」
「え?! いや……それは……さすがに……」
レオンが困ったように言ったが、私は言葉を続けた。
「アルベルト殿下は、私を修道院に入れようとされるほど、確実に婚約破棄がしたいのですよ? 皆に印象付けるためにも舞踏会のアルベルト殿下の卒業生代表の言葉のタイミングで婚約破棄を言い出す可能性が有りますわ」
ゲームではそのタイミングだったのだ。
「私の感覚としてはあり得ませんが……ロゼッタ嬢がそうおっしゃるのであれば、その可能性も視野に入れて対処致します。いずれにしても、婚約破棄をしたらすぐにその紙をエディが確保致します」
「わかりました。では私は、サインをすればいいですね」
「はい。お願い致します。サインが済んだら、他の煩わしいことは、エディに任せてロゼッタ嬢は舞踏会を楽しんで下さい」
「え? 楽しむ? 私は何もしなくていいのですか? お城に行かなくてもいいのですか?」
「はい。あなたが楽しんで下さることが陛下をはじめ皆の願いです」
「皆の……?」
普通、令嬢が婚約破棄をされたら、みっともなくて人前には出さないと隠される。だから卒業式典だけ出て、婚約破棄の後は会場から出されて、舞踏会には参加できないだろうと思っていた。
さらに私は殿下の仕事も手伝っているので、婚約破棄をしてもカルラが王妃教を終えるまでは解放されないと、その辺りの話が今日にでもあるのだろうと思っていた。だが、『皆が私に舞踏会を楽しめ』と言ったということは、私は王太子の婚約者の立場から円満に解放してもらえるということだろう。
なんだか話が私の都合にいいように上手く行き過ぎている気がする。
「婚約破棄した後に楽しめるかしら?」
あまりに私の都合のいい展開で不安になっていると、レオンが優しく言った。
「楽しんで下さい、そうでないともったいないですよ! 一生に一度のことですしね」
一生に一度のこと……。
「わかりました……」
私たちは無事に婚約破棄の打合せを終えた。その後、学園内の卒業舞踏会が開かれるパーティー会場に着くと私は、レオンと別れた。卒業式典の最中は、生徒ではないパートナーは、ホールの壁際に立って待つのが決まりなのだ。
私が、ホールに入ろうとするとイリスとアンナが揃って迎えてくれた。
「ロゼッタ様~~!! お綺麗ですわ」
「イリス様、アンナ様。まさか、待っていてくれたの?」
「はい。ロゼッタ様」
「最後は、3人で会場に入りませんか? 最後ですし」
私は泣きそうになってしまった。
入学した当初、殿下の婚約者だった私の周りには、取り巻きの令嬢は10人ほどはいた。だが、私が時間に厳しく、作法に厳しく、令嬢としての在り方にこだわったことで、皆『ロゼッタ様は真面目過ぎて息苦しい』と離れて行った。そんな中、イリスとアンナはずっと一緒にいてくれたのだ。
そうだ。私にとって、この2人は取り巻きではない。
私は、2人を見てにこやかに微笑みながら言った。
「そうですわね、――友人と学生として過ごせる最後の日ですもの」
「ロゼッタ様、わたくしたちのことを友人と、そうおっしゃって下さるのですか?」
「ええ。卒業しても、私と友人で居て下さると嬉しいわ」
「はい!」
「ぜひ!!」
そう……彼女たちは、取り巻き令嬢などではない。私にとってかけがえのない――友人なのだ。
その後、無事に卒業式典が終わり、舞踏会前の休憩に入った。私たちはそれぞれのパートナーの元に向かった。
「ロゼッタ嬢、素晴らしい式典でしたね」
レオンが涙目で言った。
「ふふふ、ありがとう」
そう言うと、レオンが困ったように言った。
「先ほど殿下はあなたを見ていたようなのですが、お声がけされませんでしたね……このタイミングで呼び出されるかと思ったのですが……まさか、ロゼッタ嬢のが言うようにここで?」
私は溜息を付きながら言った。
「ええ。恐らく」
「とにかく、私から離れないで下さい」
「ええ」
それから休憩が終わり舞踏会が始まった。私もレオンと共に中央に向かった。皆が中央に集まると、司会の教師が壇上に立って大きな声を上げた。
「卒業生代表あいさつ」
「はい」
アルベルト殿下は、エディとカルラと共に壇上に上った。皆、殿下の相手が私でないことにざわざわとなっていたが、殿下が話を始めると静かになった。殿下は卒業生として一分の隙もないほど完璧なあいさつをした。そして、話の最後になった。
「……皆に感謝している」
アルベルト殿下の言葉が終わったと思った時だった。
「最後に、この場で皆に聞いて貰いたいことがある。私、アルベルトは、ロゼッタとの婚約を破棄して、ここにいるカルラと婚約することをここに宣言する!!」
ああ、凄い。ゲームのセリフと全く同じだ。
殿下はゲームと全く同じタイミング、全く同じ言葉、全く同じように声を上げた。
私は息を吸い込んだ。
「ロゼッタ、否定してもこの決定は覆らない。お前は、以前からカルラに……」
「その婚約破棄お受けいたします。すぐにサインを!!」
そして、毅然とした態度で、声を上げるとレオンを壇上の下に待たせて、一人で祭壇に上がった。
「え?」
戸惑うアルベルト殿下を横目に、エディがすでにアルベルト殿下のサイン済みの書類を私の前に広げた。
「それでは、ロゼッタ嬢。こちらに」
「はい」
私がエディからペンを受け取った瞬間に、これまでずっと黙っていたカルラが大きな声を上げた。
「ちょっと、待って下さい!! どうして、殿下とロゼッタ様が婚約破棄をされるのですか?」
会場が水を打ったように静まり返った。
なぜカルラがそんなことをいうのか、てっきり私に向かって勝ち誇った笑みでも浮かべると思っていたので私はとても驚いたが、アルベルト殿下はもっと、私以上に驚いた顔をしていた。
「何を言っているんだ……カルラ……私がお前と結婚するために……」
するとカルラは走って殿下の隣を離れると、私の前にいたエディの腕に縋りついた。
「エディ様、殿下にお伝えして下さい!! 私はエディ様と結婚すると!!」
エディは、カルラの腕を振りほどいて、冷たく低い声で言った。
「……なんのことだ?」
振りほどかれた手を見て、カルラは愕然としながら言った。
「え? だって……結婚の約束を……」
「その約束を最初に違えたのは君だろう?」
エディの冷たい声に、カルラは大きな目に涙を溜めたかと思うと、ポロポロと涙を流しながら叫んだ。
「え……私は、ずっとエディ様だけをお慕いしておりました!!」
エディの表情が一瞬変わったが、すぐに無表情になった。
だが、殿下は顔面蒼白になっていた。
「カル……ラ何を言っているのだ? 」
殿下がふらふらとこちらに近付いて来ていたが、そんな殿下を無視して、カルラはエディの方を向いて必死になって叫んでいた。
「エディ様。今日だって、私はきっとエディ様がお迎えに来て下さると思っておりました。私が好きなのは、エディ様です。お願いします。好きです、好きです!! エディ様」
エディは、カルラを見ながら淡々と告げた。エディの瞳には以前のようなカルラに焦がれる熱は一切見られなかった。
「悪いが、私はこの目で、君と殿下が口付けを交わしているのを目撃した。私は浮気を許せるほど寛大な男ではないのでな。カルラ嬢。あなたとの結婚の話――なかったことにしてくれ」
カルラはそんなエディに向かって半狂乱になりながら大声で叫んだ。
「そんな!! イヤです!! 私が好きなのは、エディ様だけです。アルベルト殿下とは仕方なくキスをしたのです」
「カルラ?! 仕方なくだと?! 初めて口付けをした時、嬉しいと幸せだと涙を流してくれただろう? そして何度も口付けを交わしたではないか」
ずっと立ち尽くしてアルベルト殿下がカルラの腕を握りながら言った。
「殿下!! エディ様の前でそのようなはしたないことを言わないで下さいませ」
私は、今のうちに急いで婚約破棄の書類にサインをすると、エディに手渡した。
「お願い致します」
「確かに」
エディは、婚約破棄の書類を受け取ると、すぐに壇上を降りた。
「待って、エディ様」
「どこに行くんだ、カルラ!!」
「離して下さい!! 私は、もうずっと前からエディ様をお慕いしています。エディ様、エディ様、お願い行かないで!!」
「ダメだ、カルラ!!」
私は気付かれないようにゆっくりと壇上を降りると、レオンが迎えに来てくれていた。
「少々予想外の展開ですが……凄いことになってしまいましたね……」
「そうですわね……」
レオンに連れられて壇上から離れて殿下とカルラを見ると、カルラの耳には相変わらず殿下からもらったイヤリングに、指にはエディの貰った指輪。そして、首にはクイールに貰ったネックレスを付けていた。
これって、ハーレムエンドじゃなかったんだ……。
私は、少し離れた場所から、これまた野次馬100%でアルベルト殿下たちの修羅場を見ていた。
「皆の前で、あのような……はしたないですわ」
「本当に、ロゼッタ様のご忠告を聞いていれば、こんなことにはならなかったかもしれませんのに……」
美しく着飾ったイリスとアンナが婚約者と一緒に私に話しかけてくれた。
「そうね……あら、ご紹介して下さる?」
私は、イリスとアンナと一緒にいる男性2人に目を向けた。
「ああ、ロゼッタ様。私の婚約者のクリスです」
「初めまして、ロゼッタ様。イリスから『聡明で気高く公平な理想の淑女だ』とお伺いしております」
「初めまして……ですがイリス様がそのようなことを?」
私が、イリスの方を見るとイリスが照れたように言った。
「ロゼッタ様は私の憧れですから」
「ありがとう、イリス……」
するとアンナが声をかけてくれた。
「ロゼッタ様、私の婚約者のコンラッドです」
「はじめまして、アンナはあなたの大ファンなのです。お目にかかれて光栄です」
「初めまして、こちらこそお目にかかれて光栄ですわ。アンナ様までそのような……」
「ふふふ……貴族令嬢で、ロゼッタ様に憧れない者はいませんよ」
私たちは、顔を見合わせて微笑みあった。
祭壇の上では、殿下とカルラの修羅場が繰り広げられていたが、私はどこかスッキリとしていた。
「ふふふ、2人ともありがとう。さてと、イリス様とアンナ様のためにも、この空気をどうにかしなくちゃね」
私は、レオンを見上げて片目を閉じた。
「レオン様、私と一緒に舞踏会を楽しんでは貰えませんか?」
レオンは私の手を取ると、手の甲にキスをした。
「ええ。光栄です」
そして私とレオンは、ダンスホールの中央に立った。そして指揮者に目配せをした。するとどうしたらいいのか迷っていた指揮者が私を見ながら頷くと、指揮を始めた。その途端、ホール内に音楽が流れた。私がレオンと踊っていると、皆次から次へとダンスホールに入って来てダンスを始めた。皆、普段から殿下たちとカルラの様子を知っていたためか、特に混乱もないようだった。
「よかったわ。卒業舞踏会が、台無しにならなくて」
私が思わず呟くと、レオンが嬉しそうに笑った。
「ふふふ。本当ですね。殿下たちはまだ揉めてるみたいですけど……」
「本当に……大変ね」
私は、すでに野次馬でさえなかった。私の頭から、あの二人のことは完全に消し去られていた。
ダンスというのは、とても距離が近い。レオンに甘い瞳を向けられて、心臓が高鳴る。私はそんなレオンを見上げながら言った。
「レオン様、本当にありがとうございました」
私が微笑むとレオンが少し緊張した様子で言った。
「いえ……そう真っすぐに見つめられながらお礼を言われると、良心が痛みます。下心もありましたので……」
「え?」
下心とはなんだろうか?
まさか私を利用して、父に取り入るつもりだったのだろうか?
私は自分でも驚くほど、心が冷たくなるのを感じた。つらくて泣きそうになっていると、レオンが真っ赤な顔をしながら真剣に私の目を見ながら口を開いた。
「ロゼッタ様、ずっと好きでした。私との結婚を前提にお付き合いしてもらえませんか?」
冷たくなった心が今度は熱くなる。心臓がうるさい。耳に直接心臓の音が聞こえそうなくらい血液の流れる音が聞こえる気がする。
私の返事は決まっているが、答える前に、ずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「レオン……ずっと好きな人がいるって……おっしゃっていたでしょう? その方はよろしいのですか?」
「私がずっと好きだったのは、あなたです。幼い頃、バラの生垣に隠れて泣いているあなたを見た時から、ずっと好きでした」
私が生垣に隠れて泣いていたのは、もう随分と前の話だ。
「え? それって、随分と前じゃ……」
「ええ。そうですね。もう十年以上もあなたのことが好きです」
そんなに前から私のことを?!
私は、用意していた答えを口にした。
「私も好きです。レオン様の側に居たいです」
その瞬間、レオン様に抱きしめられた。
「本当ですか!! 嬉しいです。生涯大切にします!!」
祭壇では、未だにアルベルト殿下たちが揉めていた。
だが、私はダンスホールの中央でレオンに抱きしめられて、とても幸せを感じていたのだった。
婚約破棄までの七日間 END
NEXT→【レオンSIDE 婚約破棄までの舞台裏】START!!