愛する人の婚約破棄まであと【1日】
「殿下、どちらへ?」
真夜中の城の廊下で、私は殿下に声をかけた。
「レオン……なぜここに?」
先ほどの執務室での殿下の様子がおかしかったので、全ての仕事を終えて、ロゼッタ嬢を部屋に送り届けた後に、私はロゼッタ嬢への部屋に行くために絶対に通らなければならない廊下の入口に待機していた。
エディにはフォアルドの複写の手伝いを頼んでいた。フォアルドを早く殿下の側に戻したかったからだ。だが、殿下はすぐに動いて、ロゼッタに会いに来た。
「私は、殿下がロゼッタ嬢にお会いしないように見張っておりました」
私は、言葉を包むことなくそのまま伝えた。
「そうか……」
『ここを通せ』と駄々をこねられるかと思ったが、意外にも殿下は、すぐにロゼッタの部屋の方向に背を向けた。
「殿下、どちらへ?」
「もう会わない。心配するな……夜風に当たるだけだ」
颯爽と歩き出した殿下の凛々しい様子が気になり、私は殿下の後ろを歩きながら声をかけた。
「お供してもよろしいでしょうか?」
すると殿下は私を見て、自嘲気味に笑った。
「監視か? ……好きにしろ」
「はい」
その後、私たちは殿下の執務室の近くの大きなバルコニーへと向かった。てっきり庭に出るのかと思っていたが、殿下が普段休憩されている場所だった。
「本当に……礼を伝えたかっただけなのだ」
殿下は、切なそうに呟くように言葉を続けた。
「ロゼッタの手腕は、相変わらず見事だったな……私も何日もかけて調べて用意したのだが……足元にも及ばない」
私は何も言えなかった。殿下が交渉内容をまとめた書類も見た。所々甘い部分はあったが、決して全く話にならないというレベルではなかった。きっと相当調べて努力したのだろうと思う。
だがロゼッタ嬢の知識や、交渉術が段違いだったのだ。
――そう、殿下が劣っている訳ではなく、ロゼッタ嬢が凄いのだ。
「お前も私が愚かだと思うだろう? 皆、言うのだ。『ロゼッタ嬢に追い着きたいのならロゼッタの数倍努力しろ』とな……全力で追いかけて、追いかけても……どうしても追いつけない場合は、どうしたらいいのだろうな……うっ!! はぁ、はぁ、はぁ」
「殿下?!」
突然殿下が胸を抑えて、バルコニーの床にしゃがみこんだ。空気を求めるように息を切らしながらもがき苦しんでいた。私は、急いで、廊下にいる衛兵を呼んだ。
「衛兵、至急医者を!! それと複写室にいるフォアルド殿を呼べ!! 急げ!!」
私は苦しむ殿下をどうすればいいのかわからず殿下の背中を擦ったが、擦っていいの悪いのかさえわからない。
「カ……ルラ……カル……ラ……」
殿下はうわ言で、あの伯爵令嬢の名前を呼んでいた。
必死で殿下の背中を擦っていると、予想を超える早さで医者が到着した。
「殿下!! お待ちください!! すぐに」
医者は慣れているようで、すぐに殿下に何かを飲ませた。しばらくすると殿下の呼吸が落ち着いてきた。その後にフォアルドがやってきた。
「アルベルト殿下……。ああ……レオン殿が側にいてくれたのか……感謝します」
フォアルドは、私から殿下を受け取るように殿下の肩を抱きながら、医師と話をした。
「先生、殿下はいつものようにしばらくしたら、眠り薬で眠らせればよろしいでしょうか?」
「そうですね……このままでは恐らく眠れず、またこのような発作が起こるかもしれない」
「わかりました。殿下、立てますか?」
「ああ」
フォアルドは、殿下を肩で支えながら、歩き出した。
「私も手を貸そう」
私も殿下を支えて、殿下の寝室まで向かった。
殿下をベットに寝かせると、フォアルドは、何かを飲ませた。するとすぐに殿下は寝息を立て眠りについた。
「殿下を頼んだぞ」
「はい」
フォアルドは、執事や侍女に声をかけると部屋を出たので、私も部屋を出た。
部屋を出ると、フォアルドが深く頭を下げた。
「殿下の執務室には執事を数名待機させていたのですが、レオン殿のお手を煩わせてしまい申し訳なかった。殿下を助けて下さったこと、心から感謝する」
「いや、私はただ……」
まさか、フォアルドに頭を下げられると思っていなかったので、私は驚いてしまった。
どうやら執務室には誰かが待機していたようだ。私が状況を伝えようとすると、フォアルドが困ったように言った。
「状況は見張りから聞いています。実は殿下とロゼッタ嬢にはこのような事態に素早く対処するために見張りが付いているのです」
「ロゼッタ嬢に見張りは……必要ないのではないですか?」
「いえ。ロゼッタ嬢が城で動き回れば、彼女は様々な人間に影響を与える。彼女が関わった場所で『ロゼッタ嬢は優秀だ』と言われてる。殿下の精神状況にも波があって、耐えられる時と、耐えられない時があるのです。私は彼女の城での動きを把握するために殿下の教育担当の文官と話し合い、陛下に許可を貰ったのです」
「……陛下は、対処されないのですか?」
「見張りを付けて監視することを受け入れてくれ、殿下専属の医師を近くに常勤させてくれております。そして、しばらく様子を見ると……」
実際。発作が起きてしまったら、医師に頼らざる負えないだろうが、それほど殿下が苦しんでいるのなら、もう少し根本的な対処をするべきではないだろうか?
「ですが……それでは……」
「見張りを付けてからは、城での無用な噂話に巻き込まれることもなく、最近の殿下は、発作を起こすことがほとんどありませんでしたのだ。ですがそれは、伯爵令嬢のおかげではあるのですが」
「伯爵令嬢のおかげ?」
そう言えば、殿下は苦しそうに、あの伯爵令嬢の名前を呼んでいたように思う。彼女の名前を呼んだ後に、少し落ち着いた気もする。
あの伯爵令嬢が、殿下を癒して……?
そう言えば、殿下はあの伯爵令嬢を膝に抱き、縋るように抱きしめていた。まるで幼い子供が母の愛情を求めるようにきつく抱きしめていた。伯爵令嬢も殿下にキスをしたり、頭を撫でたり随分と殿下に愛情を注いでいたように見えた。だからこそ、彼女の殿下への愛情を見せつけられて、エディもクイールも2人に声がかけられずにその場を去ったのだろう。
私は拳を握りしめながら言った。
「絶対に、殿下とロゼッタ嬢の婚約を破棄させます」
「突然どうされたのですか?」
フォアルドが驚きながら私を見ながら言った。
「フォアルド殿が言う通り、殿下とロゼッタ嬢は結婚するべきではない。私も覚悟を決めます。ロゼッタ嬢のことは安心して下さい。生涯私が彼女を愛します。誰にも渡しません。ですので、殿下と再び婚約などという話は今後一切出ません」
フォアルドがこれまで見たこともないほど驚きながら言った。
「レオン殿は、ロゼッタ嬢のことを想っておられたのですか?」
「ええ。私は彼女のことをことを心から愛しています。例え何年かかっても彼女から愛して貰えるように努力します。ですから、殿下には渡しません」
フォアルドは、しばらく唖然とした後に、心からほっとした顔をしながら、私を真剣に見ながら言った。
「その言葉、お忘れ無きよう。絶対にロゼッタ嬢を生涯大切にして下さい。絶対に離さいで下さい」
「そのつもりです」
その後私は、フォアルドと別れた。
☆==☆==☆==
交渉が終わると、殿下は使者と会食に出席した。殿下が食事の場で発作を起こさないように、会食には殿下の癒しになっている伯爵令嬢と共に出席するようだった。
殿下や使者がいなくなると、今回の騒動の張本人であるロンド公爵がロゼッタに話かけてきたので、私は急いで、ロゼッタの近くに立った。
ロンド公爵は、たった一日で交渉をまとめあげたことにかなり上機嫌な様子だった。普段無口な公爵は上機嫌になると饒舌になるというのは、関係者の間では有名な話だ。
「どうされた、ロゼッタ嬢……先程の娘を王妃にというのは冗談だぞ?」
私はロンド公爵に、これ以上事態を悪化させないように、釘を打っておくことにした。
「ロンド公爵、少々よろしいでしょうか?」
「レオン殿か。レオン殿、兄上は伯爵領を随分と発展させているようですね。領主として見事な手腕だ」
「恐れ入ります。兄に伝えておきます。ところで公爵……実はお耳に入れておいてほしいことが……」
「なんでしょうかな?」
私は公爵の耳に口を寄せながら言った。
「(公爵が婚約破棄の噂を聞いて、焦っていることはわかりますが、あまり殿下とロゼッタ嬢の結婚を強要するのはやめて下さい。殿下が完全に病んでしまえば、ジルベルト殿下に王位が回ってくる。そうなれば、アリア嬢も王妃教育を受けなくてならなくなりますよ? 幸い、殿下は学園で新しい妃候補を見つけたようですよ。学園内でもすでに噂になっていますのでご安心を……焦るのはわかりますが、殿下を潰さぬように……アリア嬢が誤解して、王妃教育がイヤだと言って逃げられたらどうされるのですか?」
フォアルドは、ロンド公爵がロゼッタを潰そうとしていると誤解していたようだが、ロンド公爵の娘のアリア嬢は『大変な王妃教育など死んでも御免だ』と言っている。第二王子をどうしてもロンド公爵家いれたい公爵にとって、アルベルト殿下には絶対に王位を継いでほしいのだ。
今回の件もロゼッタが関わっていないことに危機感を持った公爵が彼らを結婚させるために出席したのだ。
レオンが何かを伝えると、公爵は顔色を変えた。
「なんだと? 学園でそのようなことが……アリアにもしそのようなことがあれば……!! レオン殿情報感謝する。同じ轍を踏まぬように、私は目を光らせておくことに致します」
公爵は私と話をしたあとに、ロゼッタを見た。
「ロゼッタ嬢。無神経なことを言ってしまった。あなたは、あなたの幸せを探してほしい。それでは私は急用ができたので、失礼する」
公爵が部屋を出て、ふと空を見ると陽が傾いていた。
いけない! 今日が終わってしまう!!
「ロゼッタ嬢。そろそろ、出かけませんか?」
私は急いでロゼッタに声をかけた。昨日、彼女と約束をした。今から町に行ってもほとんどの店はしまっているので、私は自分のお気に入りの場所に彼女を連れて行くことにした。
「え? 今からですか?」
「はい」
馬車では行けない場所なので、私は彼女を愛馬に乗せて移動した。
あの景色を見せて、彼女を癒したい。
私は必死で馬を走らせたのだった。
「間に合った! ここです」
「キレイ……」
ロゼッタ嬢の顔が柔らかくなり、私も嬉しくなった。
「ずっと、いつかあなたに見せたいと思っていました」
「ありがとうございます。とても美しいです」
夕日に照らされたロゼッタは壮絶な美しさだった。
「あなたの方がずっと……」
思わず愛の言葉を口に出しそうになって口を閉じた。彼女はまだ、アルベルト殿下の婚約者なのだ。そう、明日までは……。
「いえ、ここまで待ったのです。この先は……明日まで――待ちます」
「はい……」
「ロゼッタ嬢……今日は、名残惜しいですが……このままお送りいたします」
彼女の心臓が少し早い気がした。
もしも、自分のことを思って心臓が早くなったのなら……。
自惚れてしまいそうになって、思考を閉じた。
全ては明日だ。
私は、ロゼッタを大切に大切に抱きながら馬を走らせたのだった。