愛する人の婚約破棄まであと【4日】
次の日、ロゼッタから手紙が届いて、私はすぐにロゼッタの元に向かった。
私は昨日からずっと緊張していた。
ロゼッタが婚約破棄受け入れてくれるように、少し彼女に怖い思いをさせたとしても、もし婚約破棄を受け入れなかったら、殿下がどのような場所にロゼッタを入れようとしているのかを丁寧に説明することにした。
彼女は婚約破棄を受け入れてくれるだろうか……。
私は全てを話終えて、ロゼッタを見つめた。ロゼッタは何かを考えた後に口を開いた。
「やはり、それほどカルラさんとのことを本気で考えておられるのですね……」
「そのようです」
殿下は、伯爵令嬢に溺れているように見えるが、あくまでロゼッタと離れたいのだ。だが、それを伝えることは私には出来なかった。
「やはり……殿下とカルラさんとの結婚は難しいのでしょうか?」
自分が修道院に入れられるという話を聞いてもまだ殿下のことを心配しているロゼッタに私は焦りを感じて、大きな声を出してしまった。
「ロゼッタ嬢、――婚約破棄を受け入れてはいかがでしょうか?」
「……え?」
ロゼッタが顔を上げて私を見た。
その瞳には驚きが浮かんでいた。だが、拒絶しているようには見えなかった。
私は彼女に畳みかけるように言った。
「実は、秘密裏に陛下との面会を取り付けております」
「陛下との面会?!」
責任感の強い彼女だが、陛下に婚約破棄をしてくれと言われれば、受け入れてくれるだろうと思っていたので、なんとしてでもアルベルト殿下が動く前に、彼女を陛下に会わせたかった。
「私を信じて下さい。あなたを守ります」
どうか、応じて下さい。
私は祈るような思いで彼女をみていた。
「……わかりました。陛下と面会致します」
よかったと、私は心の底から安堵した。そして彼女にすぐに約束を取り付けた。
「では、2日後のこの時間にお迎えに上がります」
「はい。よろしくお願いいたします」
「いえ」
少しだけ落ち着いて、ロゼッタを見れば、ロゼッタは庭を見ていたようだった。
好きな花でも咲いているのだろうか?
「こちらの庭も美しいですね」
「よろしければ、ご案内致しますわ」
「ロゼッタ嬢がですか?」
「はい……お嫌でしたか?」
「いえ、お願い致します」
まさか殿下が酷い企みをしていることを伝えた直後に、庭に誘われるとは思っていなかったので驚いたが、まだロゼッタの側に居たかった私はすぐに頷いた。
そして、彼女と共に侯爵家の庭に出た。
侯爵家の庭はさすがというほど綺麗に整備さえて、とても美しい庭だった。
「この辺り今は一番見頃ですわ」
花を前にして微笑むロゼッタが可愛くて思わず頬が緩む。
「確かに綺麗ですね」
「ふふふ、庭師が喜びますわ」
自分に笑いかけてくれるロゼッタが愛おしくて、思わず言ってはいけないことを口走ってしまった。
「提案した私がこんなことを言うのもおかしいですが……ロゼッタ嬢は、本当に破棄をしてもよろしいのですか? アルベルト殿下の事がお好きなのでしょう? 殿下くらいの年頃ですと、一時の気の迷いという可能性は十分にあり得ます」
実際のところ殿下はきっとあの伯爵令嬢が本気で好きというわけではないのだろう。自分を慰めてくれる令嬢なら誰でもよかったのだと思う。だから殿下とロゼッタも少し2人の距離を置いて冷静になれば、上手くいく可能性だってなくはないのではないかと思えた。
好きな相手のために努力した彼女が報われてほしいと思った。
「……え?」
ロゼッタが驚いた声を上げた。
婚約破棄をするように説得しに来たはずなのに、こんなバカなことをいう自分が信じられなかった。
なぜこんなことを言ってしまったのだと後悔していると、ロゼッタが困ったように言った。
「誰にも言わないで下さいね。私、アルベルト殿下のことをずっと弟のように思っていました」
「弟ですか?」
「はい。アルベルト殿下を王として相応しい方にするために、厳しいことも言って参りました。私が殿下のことを弟だと思うように、殿下も私も口うるさい姉や妹のようにしか思っていないのではないかと思います」
意外だった。
てっきり、あのようなつらい王妃教育に耐えたのだから、殿下のことが好きなのだと思っていた。
だがロゼッタは愛情ではく、本当に義務と立場だけであの王妃教育に耐えたという。
「今だって、アルベルト殿下のお心がカルラさんに向いていたとしても、焦りはありますが、悲しいとは思わないのです。きっとアルベルト殿下のことを心からお慕いしていたら、もっとずっと、悲しいのだろうと思います」
ロゼッタは、殿下のことが好きなわけではない?
こんな時に不謹慎だと思うのに、彼女の心に特別な人がいないことが、嬉しくてたまらない。
ずっと、諦めていたのだ。
彼女は殿下が好きなのだと。
彼女を愛しても無駄だと。
だが……。
気が付くと私は自分でも無意識に本心を口走っていた。
「わかりました。それなら、私も遠慮は致しません」
「え?」
「覚悟……して下さいね」
彼女に触れるのを全ての理性を総動員して抑えた。
これ以上彼女の側に居れば、理性で抑えられないかもしれない。
「それでは、明日お迎えにあがります」
私は、彼女を一人にしたくなかったので、明日の学園の迎えを提案した。
だが、彼女はどこか心ここにあらずという雰囲気でぼんやりした後に、慌てて返事をした。
「は、はい」
そんな気の抜けた彼女も可愛くて、私はまたしても彼女に触れたくなるのを我慢した。
そして、私はすぐにその場を去ったのだった。
その後、父の仕事を手伝うために城に戻った。
「ただいま戻りました」
「ああ、戻ったか……やはりロゼッタ嬢は今回のことで随分と動揺しているのだな」
私は父の言葉に違和感を持った。
ロゼッタはこちらが心配になるほど殿下のことに関しては動揺がないのだ。
だが、そう見せているだけで実際には違うのかもしれないと思い、私は父に尋ねた。
「なぜそう思ったのです?」
「ああ、2日前に殿下とロゼッタ嬢がシリアール国の使者殿と技術協力の交渉を対応してくれたのだがな……。問題だらけだ。殿下はともかく、ロゼッタ嬢がいるから大丈夫だと思って話を持っていったが……。時期尚早だったな」
「え? 2日前? その日、殿下は学園から確かにお早く戻られましたが、ロゼッタ嬢は夕方まで私と共にいました……」
2日前は、ロゼッタは私と共に殿下やエディとクイールが伯爵令嬢と懇意にしている姿を観察していたので、交渉の場には行っていないはずだった。もし、彼女に交渉の予定が入っていたとしたら、絶対に彼女がその交渉の場に出ないということはあり得ない。
――わざと、彼女に教えなかったのか!
「宰相、ロゼッタ嬢はその交渉に出席しておりません」
「なんだと? 私は側近殿に伝えたはずだが?」
「フォアルド!! 彼は、ロゼッタ嬢にそのこと伝えていない!! どういうつもりなのか、私は彼と話をしてきます」
私は怒りのままに父の執務室を出た。
彼女の評判を落とすためだというなら、あまりにもやり方が汚い!!
「フォアルド殿!! 話があります」
「これは、レオン殿……いかがされましたか?」
殿下の執務室を尋ねると、殿下は学園に行っていなかった。
どうせ学園であの伯爵令嬢と懇意にしているのだろう。
フォアルドは、相変わらず読めない表情で私を見ながら尋ねた。
「とぼけないで下さい!! シリアール国との交渉の件、なぜロゼッタ嬢に伝えなかったのです?!」
するとフォアルドは真剣な顔で言った。
「あなた方に伝えるためですよ。殿下にこの仕事は荷が重いと」
「な……」
この男は何を言っているのだ?
わざと主が仕事が出来ないことを私たちに伝えたというのか?!
「なぜそのようなことを!!」
「はっきり申し上げますが、陛下が今の殿下のお年の頃に、これほどのご公務をされていたでしょうか?」
「……え?」
「私はあなた方に対して憤りを感じているのです。なぜいつもロゼッタ嬢基準で仕事を回すのですか?! 普通は殿下を基準に仕事を回されるのではないですか? あくまで、ロゼッタ嬢は殿下の補助のはず!! それなのに、彼女でなければ不可能な公務を回してくる。おかしいでしょう?! 殿下だって決して陛下に劣っているというわけではない!! それなのに!! あなた方が彼女の基準で公務を振り分けるから、結局は彼女がいなければ、何もできない人間になってしまう。公務とは本来、段階を踏んでいくはずだ。それなのに……あなた方は本当に次代の『王』を育てる気があるのか?!」
「……」
「今回の結果を見て、もう一度公務内容について考えて頂きたい。陛下が同じ年齢の頃どんな仕事をされていたか。あの方をロゼッタ嬢の『傀儡の王』でなはなく『良き王』にしたいのならば……」
「なぜ、今まで伝えなかったのです?」
「伝えなかったとお思いで? 『今のままで問題ない』と聞き入れなかったのはそちらでしょう? ロゼッタ嬢が殿下に張り付いていない、今しか伝える機会はなかったのですよ……」
私は言葉を詰まらせた後に言った。
「だが……あまりにも無責任ではないか?」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。もういい加減、殿下を利用してロゼッタ嬢を動かすのはやめてください。今回の件交渉内容はすでに先方に伝えてあります。これ以上レオン殿と話すことはありません。お引き取りを」
私は、そう言われて殿下の執務室を出た。
そして私は、父の執務室に戻った。
「宰相、シリアール国との交渉の内容を教えて頂けますか?」
「ああ」
私は、内容を見て驚いた。
専門的な外交知識、それに各方面への依頼。それなりに外交の知識がある私でも骨の折れそうな内容だった。
それに、依頼もこの国の貴族がどのようなこと担当しているのかこと細かく知らなければ不可能だ。
確かに、この内容を学生に求められても不可能だ……。
むしろ、ロゼッタ嬢ならこの内容の交渉をまとめるというのだろうか?
そちら方が異様に思えるほどの内容だった。
「これ、どうされるのですか?」
「ああ、ロゼッタ嬢なら大丈夫だろうと、任せていたからな。今は対応できない。仕方がないから今回は交渉決裂も致し方ない。後日時間と人員を確保して再度こちらから交渉に向かうことにする」
今、彼女に伝えれば、なんとかしてくれるかもしれない。
だが、側近フォアルドの言葉が頭の中を駆け巡った。
――あの方をロゼッタ嬢の『傀儡の王』でなはなく『良き王』にしたいのならば……。
「それでもいいのですか?」
私は宰相である父に尋ねた。
「……絶対に成功させなけばならない、という類いのものではないことは確かだ。そもそも、この国に、この仕事を成し遂げることの出来る人材はそう多くはないからな……」
ロゼッタの能力をあてにしたダメ元での仕事。
「こういう仕事は多いのですか?」
「……そうだな。こちらも人手不足だからな……出来る者に出来る仕事を振るのは当然だろう?」
私の頭の中に、フォアルドの叫びが蘇って来た。
――あなた方は本当に次代の『王』を育てる気があるのか?!
「宰相、陛下が学生の頃は、どのような公務をされていたのですか? 確か学園の同級生でしたよね」
「陛下? そうだな……様々なお客様にあいさつをしていたな。会食も多かったし、あと施設訪問も多かったな。当時の婚約者という立場だった現王妃殿下と陛下は仲が良くてな、デートなんだか公務なんだかわからなかったな。懐かしいな」
「それ、殿下たちもされたのですか?」
「いや、殿下たちはすでに皆の顔だけではなく、家の歴史までご存知だからな。わざわざ本人たちに個別に会う必要はない。皆が集まる夜会で十分だったのだ」
それは殿下が知っているのではなく、ロゼッタが知っているの間違いではないだろうか?
私は「そうですか」と言うと、もう一度殿下が一人で交渉した内容を見た。
学生時代にこれだけの仕事が出来れば、確かに上出来だと言える。
本来ならこれは、外交を専門としているリシウス侯爵や、貴族を仕切る公爵に相談する案件だ。いや、そもそも、殿下が一からまとめる内容ではないかもしれない。
この交渉はこのまま決裂させるのがいいのかもしれないな……。
私はそっと書類を裏返しにすると、自分のするべき仕事に着手したのだった。