愛する人の婚約破棄まであと【6日】
「先生、ありがとうございました」
今日は学園で卒業式典の内容を確認していた。担当の教師は私が学生時代にお世話になった恩師だったので、話も弾んで和やかな雰囲気で話し合いを終えた。
「こちらこそ、久しぶりに会えて嬉しかったです。レオン殿が卒業して、もう2年ですか、早いですね」
教師が目を細めた。私は気心も知れていることもあり、アルベルト殿下の様子を聞いてみることにした。もしかしたら、何か噂を聞いているかもしれない。
「そうですね。そんなに時が過ぎたという感覚はありませんが……。ところで、先生。最近のアルベルト殿下のご様子を何か聞いておられますか?」
私がアルベルト殿下の名前を出すと、それまで穏やかだった教師の眉に皺が寄った。私は教師の表情を見て、もしかしたら私が思っている以上に事態は深刻なのかもしれないと思った。
「アルベルト殿下ですか……レオン殿だからお伝えしますので、ここだけの話にして下さい。殿下は裏庭園で随分と羽目を外されているようだ。もちろん、遊びなのでしょうがね……私はロゼッタ様が気の毒で仕方がない。あのような素晴らしいご令嬢を婚約者にされて、殿下は一体何がご不満なのでしょうか? 私には理解できません」
教師がロゼッタを思って嘆くほどに殿下の行動は問題になっているようだ。いいようのない焦りと怒りを感じている自分に気付いて、息を吐いて少し落ち着いた後に口を開いた。
「先生のお耳にまで入るほどなのですね」
「ええ。レオン殿、弟君のエディ殿も最近評判がよくありませんぞ」
エディまで、教師に良く思われていないようだった。しっかり者で真面目な弟が良く思われていないというのは予想外で驚いた。
「え? エディもですか?」
エディまで教師が眉をひそめるほどの行動をしているのか……。アルベルト殿下のお目付け役を任されているのに、素行が悪いようでは問題だ。私はエディの様子も調べてみることにした。
「卒業されるまでのことだといいですがね……」
殿下やエディは、教師にそんな心配をされるほどの学園生活を送っているようだ。そうであるならば、確認する必要がある。
「先生。卒業式まで3日ほど、様子を見せて頂いてもよろしいでしょうか?」
「構いませんよ。取り返しのつかない事態にならなければいいのですが……」
「ありがとうございます」
教師と別れるとお昼を告げる鐘が鳴った。これから昼時だ。あまり目立ちたくはなかった。
だが……。
「まぁ! レオン様ではありませんか?」
「本当だわ、レオン様だわ!!」
私は、あっという間に令嬢に囲まれてしまった。社交界でも私に婚約者がいないのは有名な話なので、私が次の宰相になる思っている令嬢から囲まれることも多かった。私は笑顔を武器に令嬢から逃れるようにあまり人のいないエリアに向かった。
この辺りは、裏庭園か……懐かしいな……。
裏庭園は昔から高位貴族の休憩スペースなのであまり一般の者たちは近付かない。この辺りは昔から特に変わっていなかった。ふと、先程教師が言っていたことを思い出した。
そう言えば、殿下は裏庭園で羽目を外していると言っていたな……。
私が少し裏庭園を見ようとしていると、木の影にロゼッタを見つけた。
もしかして、泣いているのか?
私は急いでロゼッタ嬢に近付いた。するとロゼッタ嬢は全く泣いてもおらず、淡々とした表情で裏庭園を見ていた。
どうしたのだ?
ロゼッタの少し離れた場所からロゼッタの視線の先を見て、私は思わずぎょっとした。
アルベルト殿下がカルラの腰に手を回ししかも、例の伯爵令嬢も、アルベルト殿下の膝の上に片手を乗せ、顔を近付けて親密な様子で話をしていた。しかも、二人の距離が段々と近付く。
まさかキスか?! こんな場面、純情なロゼッタ嬢に見せられない!!
私は、すぐにロゼッタに声をかけた。
「キスしそうですね~~~」
「ええ……。って、え?! レオン様?!」
ロゼッタはとても驚いた顔で私を見ていた。目を白黒とさせてとても可愛いが、ここで殿下たちに見つかると面倒だ。
「(し~~~)」
私が自分の人差し指を口に当てながら言うと、ロゼッタも小さな声で言った。上目遣いの彼女はとても可愛い。だが、今はそんなこと考えている余裕はない。
「(どうして、レオン様がここに?)」
丁度、答えようとした時に二人はキスをした。やはり想像以上に殿下は遊ばれているようだ。私は、彼女に忌まわしき二人の姿を見せたくなかったので、二人が離れたタイミングでロゼッタの問いかけに答えた。
「(昨日のあなたの様子が気になって……あ、キスした……)」
「(え?)」
ロゼッタが、急いで振り向いたが、すでにキスを終えたタイミングで声をかけたので、キスが見れなくて当然だった。それからエディとクイールが戻って来て4人で食事を始めた。ロゼッタは複雑そうに4人を見ていた。
「(この光景を見れば、あなたでなくとも婚約破棄を考えていると思いますね)」
「(ええ)」
彼女は何度もこんな不快な光景を見ていたのだろうか?
幼い頃から心を寄せるアルベルト殿下のために頑張っていたのに、この仕打ちはあまりにも酷い。
だがそれにしてはロゼッタは、想像よりも動揺した様子はなかった。
もしかして、彼女も普段から殿下とキスをしているのだろうか?
全身が氷のように冷たくなり、まるで身体に矢でも刺さったような痛みを感じて、私は思わず最低なことを彼女に尋ねていた。
「(ちなみに、ロゼッタ嬢はアルベルト殿下とキスの経験は……?)」
「(ありません!! 結婚前ですよ?!)」
よかった……。
私は、自分を落ち着けると、ロゼッタ嬢に今日一日、彼女と一緒に過ごす約束を取り付けた。
4人は裏庭園を離れて、噴水の前に向かったようだった。
「ところで、ロゼッタ嬢、お食事は?」
4人が居なくなったので、私はロゼッタに尋ねた。
「まだですわ」
「それは、丁度いい私もまだなのです。一緒に学食で食べませんか?」
昼食に誘うと、ロゼッタは少し考えて答えた。
「レオン様は……目立たれると思いますので……私が何か買ってきますので、ここで食べましょう」
「え? いえ、あなたに私の分まで買いに行かせるなんて!! ご一緒します!!」
慌てて声を上げると、ロゼッタが眉を下げながら言った。
「レオン様のお気持ちは有難いですが、合理的に考えて、私が行くのがいいと思います。お待ちください」
ロゼッタは私を残してスタスタと歩いて行ってしまった。私は彼女に昼食を買いに行かせるという紳士としてあるまじき行為をさせてしまった。
「次来る時は絶対変装して来よう……」
私は変装して学園に来ることを誓った。
その後、ロゼッタと他愛もない世間話をしながら昼食を食べた。ロゼッタは不思議なほどにいつも通りだった。好きな相手が自分以外の女性と親密にしているのだ。もっと悲しんでいたり、怒っているのかと思ったが予想外の反応に私の方が戸惑ってしまう。
昼食を終えると、ロゼッタが私を見ながら言った。
「レオン様、次は恐らくアルベルト殿下とクイール様は剣の稽古ですので、私たちは近付けませんわ」
稽古場は一般生徒がケガをしないように塀に囲まれている。私は教師の言葉もあるので、念のためエディの授業態度を確認しようと、彼の授業の様子を見ることにした。
「では、私は、エディの様子を見ることにします。ロゼッタ嬢は授業に戻られますか?」
恐らく授業を受けると答えるだろうと思ったが、一応尋ねた。
「いえ、私も行きますわ」
「え?」
アルベルト殿下と関係がないので、てっきり授業に戻られるかと思えばロゼッタも同行するという返事で私は少し驚いた。驚いた顔でロゼッタを見ると、ロゼッタが当たり前だというように言った。
「今日は一緒に調査するのでしょう?」
そうだった……。彼女は自分の発言に責任を持つ令嬢だったのだ。
私は、自分でも無自覚のまま笑顔で答えた。
「はい、ではよろしくお願いいたします」
こうして、午後はエディの授業態度を見ることになった。
私は彼女と一緒にいることが嬉しくて、不謹慎にも心を躍らせながら彼女と行動を共にしたが、私が目にしたのは、背筋が凍るほどの由々しきものだった。
「カルラ……これから二人で話をしないか?」
「はい、嬉しいです!!」
エディは授業が始まっているというのに、授業には出ずに人気がなくなるとカルラの手を引いて、図書館裏の木の幹に彼女を閉じ込めるように近付き話をしていた。髪を撫で、頬を撫でまるでここが学園であることを忘れているかのように二人は親密に身体を寄せあい、私の方が恥ずかしくて見て居られなかった。
身内のこのような場面を見るのは恥ずかしいものだな……。
思わず顔を逸らしていると、隣でロゼッタが呟いた。
「エディ様は、キスはされておりませんわね。身体の接触もあまりないようです。殿下よりも紳士ですわね……」
私が恥ずかしくて目を逸らしている間に、ロゼッタが隣で冷静に2人の様子を観察していた。私からしたら、あの2人も十分に接触していると思うが、確かに先ほどの殿下よりはマシかもしれないと思えた。
その後、殿下とエディが公務で先に戻った。
私は帰ろうかと思ったのだが、ロゼッタは「今度はクイール様とどこかに行かれるようですわ」と言って2人について行こうとしていたので、私も慌てて彼女について行った。
「ああ、カルラの髪は柔らかくで気持ちいいな」
「ふふふ。ありがとうございます」
今度は、クイールがあの伯爵令嬢の髪を恥ずかしいほど撫でまわし、頭に無数にキスをしていた。その後、クイールは令嬢に甘えるように膝枕をすると令嬢の膝を撫でまわしている。しかも、令嬢に頭を撫でられて、鼻の下伸ばしている。
ああ。見て居られない!!
こいつら、なんてただれた学園生活を送っているんだ!!
もう一度、紳士の心得を学び直せ!!
はっとして隣と見ると、ロゼッタは冷静に2人を見ていた。ロゼッタと目が合うと、ロゼッタはこれまた冷静に「こんな場所で膝枕をされているようですね」私は居たたまれずに「そろそろ行きませんか?」と言った。すると、ロゼッタも頷いて、その場を離れた。
2人から十分に離れて、私とロゼッタは図書館裏のベンチ座ったが私はなんと声をかけていいのか分らなかった。あの令嬢は3人もの男性とふしだらなことをしている。3人だって知らないはずはないだろう。
これは遊びだな……。
私はこの関係は学園内での遊びだと結論付けた。私がロゼッタに遊びだから心配する必要はないと伝えると、ロゼッタは少し考えた後に私の顔を覗き込みながら尋ねた。
「……レオン様も、在学中は婚約者以外のご令嬢と懇意になったのですか?」
可愛い……。
普段見れない少し拗ねたような表情が可愛くて、思わず口を押さえた。
だが、すぐに彼女の問いかけに答えるために姿勢を正した。
「ここは『はい』と言って、あなたを安心させた方が良いのでしょうが、私は学園在学中はやるべきことが多すぎて、令嬢と親しくなる時間もありませんでした」
私の答えを聞いたロゼッタが少しだけ口元を緩めて笑った気がした。私が遊んでいないことを嬉しいと思ってくれたのかと思ず勘違いしそうになる。
「そう言えば、レオン様はご婚約者様がいらっしゃいませんよね?」
「ええ。ふふ、実は私、あきらめの悪い男なので……」
ダメだ。ロゼッタが私に笑いかけてくれたことが嬉しくて、思わず本音が漏れた。
「え?」
「いえ、私が婚約者を探せば、すぐに見つかってしまうでしょ? だから結婚したい時に、探そうと思っています」
動揺して普通の対応が出来ない。落ち着けと、何度も自分に言い聞かせたが、これ以上は冷静さを保てそうにない。
彼女をなだめた後、私は彼女を馬車乗り場まで送った。
馬車に乗る直前、ロゼッタは、はにかんだように微笑みながら言った。
「ありがとうございます。それではレオン様。また、明日」
ロゼッタが明日の約束をして馬車に乗った。
明日の約束をして……。
「え、ええ。明日」
私は彼女の馬車が見えなくなると、ほとんど人通りの無くなった馬車乗り場の端で顔を片手で押さえて座り込んだ。
「また、明日……か。……可愛い過ぎる……」
今日の様子を見て、殿下たちは遊びなのだろうとは思ったので、明日は学園に行く予定はなかった。だが、あんな笑顔でロゼッタに『また、明日』などと言われたら、行かないなど有り得ない。
「明日は、彼女の側を離れなくてもいいような格好で来よう!」
私は変装のための小物を調達するために町に向かったのだった。