第98話 一霊四魂
『一霊四魂』。日本の古神道における霊魂観の一種。
神や人は、『一霊』と『四魂』で成り立つとされている。
『一霊』は『直霊』と呼ばれ、根源的な力であり、霊的要素。
そこから『荒魂』『和魂』『幸魂』『奇魂』という『四魂』に分類。
バランスを取ることが重要とされて、神や人間の精神や気質を形成する。
【荒魂】
↑
【奇魂】←【直霊】→【幸魂】
↓
【和魂】
『荒魂』は勇、『和魂』は親、『幸魂』は愛、『奇魂』は智の機能を司る。
勇は行動力。親は社交力。愛は教育力。智は分析力となり、精神に作用。
これらをコントロールするのが『直霊』であり、偏った場合は反省を促す。
そこから逸脱した場合は『曲霊』と呼ばれ、『四魂』は邪悪に転じるとされる。
――ナナコが放った技は『奇魂』。
それは『四魂』の一部を意図的に操作する意思能力。
『奇魂』は智であり、分析力を司る機能に結びついている。
現状を把握させて、夜助を起こすきっかけを作ろうとしていた。
偏った場合に起こるリスクを承知した上での、いわば荒療治だった。
「………………」
夜助の内に宿っている瀧鳴は、空中から地面に着地。
一言も発することなく、呆然自失の状態で反応は乏しい。
心ここにあらず。鍾乳洞内に広がる湖を静かに見つめていた。
「起きてください夜助さん! 今なら聞こえるはずです! 私の声が!」
遅れて着地するナナコは、片手で槍を握りつつ、問いかける。
能力を過信してはおらず、万が一に備え、最大限の警戒を見せた。
――高く見積もっても、成功確率は50%。
ナナコにとって、瀧鳴大神は名の知れない神だった。
それでも侮らなかったのは、神道に精通しているからこそ。
神に優劣はなく、役割が違うだけという事実を深く理解していた。
「ナナ、コ……わし、は……」
すると、問いかけに応じ、夜助は反応を示す。
起きた状況を認識し、何かを口にしようとしていた。
幸先のいい反応。間違いなく主人格は、夜助に寄っている。
「…………」
しかし、ナナコは一切気を抜かなかった。
赤槍を両手で持ち直し、続く言葉を待ち受ける。
その間に、貫かれた右目と脳は再生しようとしていた。
「わしは……お前を……」
紡がれるのは、煮え切れない言葉だった。
吉凶を孕んでおり、重苦しい空気が漂っている。
『闘争』か『停戦』。どちらにも転び得る展開と言える。
「……………………」
天井から水滴が落ち、ポトリと音を立てる。
ナナコは全身に赤いセンスを纏い、槍を構えた。
一切の油断も慢心もない先に待ち受けていたものは。
「――――倒さねばならん」
『闘争』。ナナコとの決別を示すための言葉を言い放つ。
それと共に、夜助はナナコの懐に踏み込み、短刀を振るう。
リーチは縮小され、元々のドス程度の刃渡りにまで戻っていた。
瀧鳴が好まない戦法だったが、夜助には夜助なりの戦い方があった。
「……っっ」
刃を槍の柄で受けるナナコの顔色は曇っていた。
説得は失敗し、先行きはなく、闘う理由がない状態。
意思の力は弱まりを見せて、残るのは最低限の防衛反応。
足の踏ん張りも弱く、それを見逃すほど相手は甘くなかった。
「彼方に消え、二度とわしを追うな。どの道、共鳴草の副作用で追えんがな」
多くを語ることなく、夜助は黒刃を横薙ぎに振るう。
それと共に刃は延長され、岩壁を突き破り、斬り飛ばす。
常時は短い刃で取り回し力を上げ、接触時に初めて延長する。
非殺傷用の技であり、敵を無力化する場合に好んで使われるもの。
――月牙天生。
愛ある刃を受け、ナナコは養老山地の上空に飛ばされる。
常闇に浮かぶ赤い三日月に照らされ、南方へと突き進んでいく。
「何か理由が……あるんですね……」
景色を愉しむ余裕はなく、ナナコは激情に身を震わせる。
風に揺られ、三重方面に運ばれながらも、心は折れていなかった。
「私、諦めません!! また夜助さんと出会って見せますから!!!」
ナナコは赤い三日月に向かって、吠える。
敗北を甘んじて受け入れ、前だけを見ていた。