第89話 大和魂
停電開始より15分経過。司令部内、元帥執務室。
執務机の椅子に腰かけているのは、ドミトリー元帥。
都市の中でも有数の権力者で、白軍における最高指揮官。
全住民の同意を得る。その足掛かりには、うってつけの相手。
それも、一対一の面談となっていて、他の人たちは別室で待機中。
――失敗は許されない。
「早速、本題に入らせてもらいまいますが、よろしいですか?」
アザミは、引き締まった表情で話を切り出した。
自然と刀を握る力が強くなり、身体の強張りを感じる。
適度な緊張感と言えるだろうけど、内心は不安で仕方がない。
――ここは二次元じゃなく、三次元。
帝国では、面と向かって顔を合わせる必要はなかった。
Vtuberとして活動し、国会議員になり、総理大臣にもなった。
相応の場数は踏んでいるけど、直接交渉するケースはないに等しい。
――リアルでの経験値は心許なかった。
二次元では必要ない表情、目線などが心理戦に含まれる。
それが過度な緊張を生み、いつも以上に負担がかかっていた。
吃音が出てもおかしくない状況だったけど、どうにか我慢できる。
――刀は唯一の精神安定剤。
抜刀状態の時は、安定して言葉が出てくれる。
みやびフェスの時に気付いた、吃音の攻略法だった。
「もちろん構わんが、刀を抜いた状態で話すのは聊か失礼ではないかね?」
執務机の上で両手の指を絡めて、ドミトリーは指摘する。
バッドマナー。交渉の場においては、不適切だと言える所作。
銃口を向けられた状態だと、対等な話し合いができないのと同じ。
ただでさえ『瘴気袋』という脅しで成り立つのに、失礼極まりなかった。
(ごもっともな指摘だ。反論の余地がない……)
事情を話せば分かってくれるかもしれないけど、弱点を晒すことになる。
交渉においては不利に働く可能性が高いものの、隠し通すのは困難な状況。
「――――」
アザミは意を決し、刀を鞘に納め、さらにはウィッグも外す。
白く染まった短い髪を露わにして、『本当のわたし』をさらけ出した。
「……名を聞かせてもらおうか」
両手の指を解き、真剣な表情でドミトリーは接する。
軽んじる様子はなく、対等な交渉が実現しようとしていた。
その代償として、体は震え、目線は下を向き、逃げ出したくなる。
間違いなく吃音が出るだろうし、まともに頭が働いてくれる保証もない。
――それでも。
「わ、わたしは千葉薊。だ、大日本帝国における内閣総理大臣です」
アザミは前を向く。弱い自分を受け入れて、全てをさらけ出す。
これが交渉への第一歩。吉事をもたらす行いだと信じて疑わなかった。
◇◇◇
大日本帝国。岐阜県。養老山地。標高210m付近の場所。
水の帳が宵闇を裂き、苔むした岩肌を滑り、滝壺に落ちる。
飛沫を散らし、絶え間なく水を吐き出し、壮大な水音を奏でる。
その重たい音は、地の底から響く龍の唸りのようにも聞こえていた。
――養老の滝。
岐阜県の観光名所であり、数々の伝説がある地。
その一つとして挙げられているのが、『養老孝子伝説』。
若い男が病弱な父に滝水を飲ませると、快復した話があった。
後に『不老の霊水』と呼ばれ、滝奥には『龍神』が眠ると噂される。
「気を引き締めて下さい。共鳴草の反応だと、夜助さんはここにいます」
滝下付近に辿り着くナナコは、緊張した声音を発する。
共鳴草を使用し、岐阜県に侵入してから15分が経っている。
効果持続時間を半分ほど残した状態で、目的地に到達していた。
「それらしい気配は感じないけどね。勘違いじゃないの?」
その後方にいる桃子は、辺りを見渡しながら語る。
人らしい影はなく、養老山地に生い茂る森が広がるのみ。
「いいや、吾輩のセンサーはビンビン反応しとるぞい。ここには何かおる」
一方で、夜助奪還に同行するリアは、対照的な反応を示した。
明確な根拠に乏しいものの、だたならぬ気配を敏感に察知している。
「………………来よるぞ。滝上からの奇襲に注意せよ!」
流れで付き従うことになった小十郎は、見上げる。
その指摘通り、滝上から降下してきたのは、一匹の鬼。
赤髪のリーゼントヘアに黒服を着ている、十代後半の青年。
「そんな無粋な真似はしねぇよ。そこらのチンケな神と一緒にすんな」
滝下近くの岩へと颯爽と着地し、眉をひそめて反応する。
剣呑な雰囲気に満ちるものの、微塵もセンスを発していなかった。
「……高名な神だとお見受けしますが、名前を伺っても?」
言葉尻を察し、ナナコは神という前提で話を転がした。
特に混乱する様子はなく、目の前の事象を受け入れている。
『天国の門』が開いた時点から、彼女は神の接敵を想定していた。
遅いか早いかの違い。そう考えていたからこそ、反応は前向きだった。
「建速須佐之男命。呼び方は自由だが、敬意を払えよ」
青年が惜しげもなく語ったのは、神としての全名。
元々の肉体の持ち主とは、当然ながら別の名前だった。
『天国の門』が開いたことにより、四名の人と鬼に神が宿る。
各々の目的は共通し、天照大神を宿す依り代『八重椿』との接触。
――しかし、詳細は不明だった。
それぞれが独断で行動し、目的達成のための手段が異なる。
スサノオがこの地に足を踏み入れた理由は、全くの未知数だった。
「では、スサノオ様。いかような目的でこの地に足を運ばれたのですか?」
ナナコは夜助のことを隠し、偶然の接敵を装う。
そして、自然な流れで相手の懐を探ろうとしていた。
「そっから先は別口だ。知りたければ闘え。俺様を満足させてみろ。……あぁ、言っとくが、数に制限はねぇよ。どうせ大したことねぇんだろうから、四名がかりでかかってきたらどうだ。有象無象の塵芥ども」
スサノオが要求するのは、シンプルな闘争。
ナナコからしてみれば、避けることができない闘い。
「そちらがそう仰るなら、致し方ありませんね」
「自称神が、よくもまぁ偉そうなこと言ってくれる」
「高位の神だろうが、吾輩たちを見くびってもらっては困る」
「岐阜の地を荒らすつもりであれば、この場で斬り捨ててくれるわ!」
全員の意思は共通し、神に挑む姿勢を見せていた。