第72話 第二の人生
去年の12月24日夜更け。ニューヨーク、マンハッタン郊外。
白い薔薇が庭を彩る黒い教会前の広場で、俺は師匠と対敵した。
殺し合いになるのを分かった上で挑み、撃ち込まれたのは黒い弾丸。
――商品名は『断刻弾』。
リーチェ固有の能力ではなく、第三者による生成物。
世界最高峰の銃職人と名高い、『漆黒の兎』による作品。
知れ渡るのはコードネームのみ。顔や素性は謎に包まれる。
専用サイトを見つけ、法外な報酬を払えば、誰でも依頼可能。
――能力は、弾が命中した相手の時間を止める。
止められる時間の長さは、撃ち手のセンス量に依存する。
その時々の状況に応じて、後付けで条件を加えることも可能。
恐らくリーチェは、時間停止に加え、とある特殊効果を付与した。
――仮死状態。
心臓の脈動は止まり、確実に肉体は死んでいた。
銃殺された時と同じ出血を伴って、検死を誤魔化した。
組織では死体の能力検証も行われれるが、それすらも偽った。
これは予想だが、再生阻害用の弾丸で殺したとでも言ったんだろう。
――ともかく俺は死んだことにされていた。
長き眠りにつき、目を覚ませば、巨大生物の口内にいた。
誰が運んだのか、ここがどこなのか、一切不明の状態から始まる。
そこで出会った第一村人は、短い赤髪に、ダークレッドの軍服を着た青年。
「やぁ、どうも、見知らぬ人。良ければ僕の仲間になってくれないか?」
屈託のない笑みを浮かべ、ベズドナ・イワノフは手を差し伸べる。
それこそが第二の人生のプロローグ。巨大生物の攻略が始まった瞬間だった。
◇◇◇
巨大生物の中では、時間の流れが全く掴めない。
昼なのか夜なのか、外の世界では何が起こっているのか。
どれぐらい眠り、生物の体内に入って、何日が経過しているのか。
――分からない。
蓄積されるのは、攻略に必要なノウハウと、白軍の情報。
掴みようのないベズドナの性格は相変わらずで、底が見えない。
ただ、抜群の戦略を立てる能力を有し、白軍と攻略を競い合っていた。
「どうする、ベズドナ。さすがにあの数は押し切れんぞ」
肺の気管支を駆けながら、俺は隣にいる赤髪の男に問いかける。
背後には、大量の白軍。主に憲兵を主体とした軍勢が押し寄せていた。
――捕まれば、煉獄界行き。
余所者への風当たりは強く、情状酌量の余地はない。
聴取を受けることなく、問答無用で魔獣の討伐係になる。
これまではベズドナの策でどうにかなったが、数が多すぎる。
逃走経路も限られ、気管支を進んでも、いずれ行き止まりになる。
――しかもここは、左肺。
覚醒都市がある右肺とは、反対方向に位置している。
都市に逃げ込もうにも、背後の軍を突破する必要があった。
「人間基準なら厳しいけど、ナロト様なら問題ないさ。安心してついておいで」
ベズドナは枝分かれる道を進み、澄ました顔で先導する。
人間にはないもの。真に受けるなら、肺以外の臓器が妥当か。
などと考えつつ、奴の背中を追い続けていると開けた場所に出る。
「ここは……」
見た目は胃のようなフォルムをしていた。
円形状の空間に、ピンク色の肉壁に覆われる。
ただ、位置的に考えれば、胃ではないことは確か。
人間にはなく、化け物に存在する臓器だとすれば……。
「獄炎袋。中で異物を検知すると自動的に燃やす仕組みでね、都市に出るゴミ処理に使われている。覚醒都市の人間からすれば周知の事実で、用がなければ絶対に近付かない場所だよ。そんな場所に僕たちは足を踏み入れた。この後の展開は、修羅場に慣れた君なら分かるだろ?」
思い至ったのと同時に、ベズドナは説明する。
余計な情報は与えず、必要になった分だけを開示。
いつも通りタイミングは完璧。策の意図も理解できた。
「臓器の自浄作用で軍を巻くか。……考えたな」
いち早く真意を察し、俺は奴が言いたいことを端的にまとめる。
正面に進んだ先の向こう岸には、安全地帯であろう気管支が見えた。
――――――――――――――――――――――――――
獄炎袋
――――――――
| |
白軍→入口 俺たち 出口 気管支
| |
――――――――
――――――――――――――――――――――――――
現在はこのような状況で、白軍はうかつに近付くことができない。
仕様を知っているがゆえに、思考が硬直し、行動にブレーキがかかる。
――――――――――――――――――――――――――
獄炎袋
――――――――
| |
入口→白軍 炎 出口→俺たち 気管支
| |
――――――――
――――――――――――――――――――――――――
相手が狼狽えている内に突っ切れば、こうなる。
見事に分断され、そのまま身を隠せば、逃走成功だ。
シンプルかつ強力。自信あり気なのも頷ける奇策だった。
「伊達に100年近く逃げてないよ。使えるものは全て使わないと――」
出口に向かう最中、ベズドナは誇らしげに語る。
ただ、言い終わる寸前ぐらいで表情が凍り付いていた。
「……? どうかしたか?」
すぐに異変を察し、俺は理由を尋ねる。
嫌な予感はするものの、いまいち判然としない。
「作動しないんだ、獄炎袋が……」
ベズドナは足を止め、直接的な原因を口にする。
気付けば、乗り込んだ白軍に包囲されようとしていた。
初めて見せる動揺の色。それほど想定外の事態だったらしい。
(まずいな。このままいけば、二人揃って煉獄界に……)
起こるであろう未来を悟り、今できることに考えを向ける。
戦わざるを得ない状況なのは間違いないが、やり方というものがある。
「ここは俺に任せて、お前は行け! その代わり、後で助けろ! いいな?」
すぐさま俺は、反論を許さない強い言葉をベズドナに送る。
消去法なら残るべきは奴だ。無理難題だろうと必ずやり遂げる。
準備を万全に整えたあいつの策に、不可能という文字は存在しない。
今は想定外が重なったかもしれないが、奴なら立て直せると信じていた。
「……あぁ。まだ旅は終わってない。大船を用意するから待っていてくれよ!」
期待に応えるように、ベズドナは背を向け、去り際に語る。
出口まで行くのを見届け、獄炎袋に残るのは玉石混交の憲兵共。
ほぼ全員が魔獣化でき、その上で意思能力を持つという鬼畜っぷり。
再生の加護があっても、能力の相性によっては死ぬ可能性も十分あった。
「というわけだ。死にたい奴から前へ出ろ! 俺が直々に稽古をつけてやる!!」
それでも俺は虚勢を張る。正々堂々と白軍に宣戦布告する。
一度は終わった人生だ。人を助けて死ぬのも悪い気はしなかった。
◇◇◇
現在。煉獄界。幽遊原野を歩くのは四名。
暗がりを歩み、『煉獄の門』出口に向かう道中。
「裏ではそんな苦労があったのさ。ま、出てからがスタートラインなんだけどね」
ベズドナは懐かしむように、昔話を聞かせる。
体制を整え、仲間を集い、ようやくここまで来た。
後はアンドレアをここから出せば、約束は果たされる。
それでプラマイゼロ。旅の続きを後顧の憂いなく再開できる。
「そのような過去が……」
「つまんなーい。昔より今が大事じゃないの?」
涙ぐむボルドに対し、正論をかますのは合成獣人ルーチェ。
口調は子供っぽいが、内容は少し大人びているように感じた。
彼女特有の思想か、親の残留思念か。今のところは分からない。
どちらにせよ筋は通っている。頭ごなしに否定できないのは確か。
「結果より過程を大事にしてる人もいるんだよ。君がどんな感想を抱くかは自由だけど、つまんないと言われた側の気持ちを思いやれる人になれたらいいね」
ベズドナは感情を抜きにした事実を並べる。
意見を無理やり矯正はしないし、否定もしない。
彼女の自主性を尊重し、対等な立場として意見した。
これが正しいのかどうかは、結果が出るまで分からない。
出来れば良い方向に転んで欲しいが、逆に転ぶ可能性もある。
正解は、子供によって千差万別で、無数に選択肢が存在していた。
探り探りで見つけていくしかないが、一つだけ決めていることがある。
――ルーチェが下した判断にケチはつけない。
結果として敵に回ることがあっても、否定はしない。
彼女の在り方を尊重し、こちらの在り方と擦り合わせる。
方向が合えば同じ道を歩むし、違えれば敵対することになる。
ある種の厳しさかもしれないが、操り人形のようにはしたくない。
あくまで一人の人間として接し、彼女自身が出した答えを見たかった。
「ふーん。大人って、色々と気ぃ遣って大変そう」
するとルーチェは、どちらとも言えない反応を見せた。
一回のやり取りで決まるわけもなく、ここからが勝負だろう。
危惧するのは読めない未来。出会う人次第で彼女の人生は変化する。
「あぁ、そうだね。君もそのうち分かるよ。必要になる時がくれば」
上手くいくことを祈りつつ、今は先に進むしかなかった。