第62話 教師
覚醒都市バイカルヴェイ南部。居住区内のビル。教育棟。
そこで行われていたのは、必要最低限の知識を学ぶ初等教育。
足並みを揃えて、基礎を学習する場所だが、例外が存在していた。
――『白金の道』。
飛び抜けた実力と知能を持つ『神童』が選ばれるクラス。
教育棟の最奥に位置する教室には、二名の生徒が在籍していた。
「ソーニャ・カラシニコフよ。その貧相な脳に刻んでおきなさい」
「……ジーノ・ロマノフ。僕の名前は別に覚えなくてもいいからね」
強気と弱気。無礼と丁寧。対照的な二人は自己紹介を果たす。
やや面を食らう余所者三名の顔を見つつ、密かに緊張が走っていた。
(スルーしてくれよ、ソーニャ。ここで悪目立ちはしたくないんだ)
観光案内に付き添うアレクセイは、短い銀髪の少女を見つめる。
童顔で前髪と襟足は綺麗に整えられ、白のブラウスとスカートを着る。
量産型の服装で、特筆すべき奇抜さに欠けるが、彼女とは深い関係があった。
「あ……っ!」
目と目が合うと、ソーニャは途端に大げさな声を出した。
指を差してはこなかったものの、言い逃れるのは難しい状況。
(馬鹿孫が……。尻拭いはしてやらんぞ)
肝を冷やしているのは、アレクセイだった。
徹底的に無視する覚悟を決め、視線を逸らした。
それ以外の全員は、ソーニャに自ずと視線を集める。
威圧的な重い沈黙が満ちていく中、当の本人は口を開く。
「あなた様はもしや……最年少で『白金の道』をご卒業され、白軍に入隊し、息を吐くように武勲を立て、攻略の最前線でご活躍される先輩。質実剛健で才色兼備、その存在だけで我らを導く北極星――あのターニャ中尉でございますか!?」
機転を利かせたソーニャは、会話を軌道修正。
隣の上官に目を向け、ペラペラとお世辞を並べる。
わざとらしいと受け取るか、もっともだと受け取るか。
後の展開は、矢面に上がったターニャの主観に左右される。
任務中か不機嫌な時は、世辞が通じない傾向にあるが果たして。
「ま、まぁ、それほどでも」
真に受けるターニャは、柄にもなく照れていた。
先輩風を吹かさず、偉ぶらず、謙虚に振る舞っている。
部隊では見せない一面。らしくないと言えば、らしくない。
同じ道を歩む後輩だからか、頭の上がらない教師がいるからか。
「よろしい。『白金の道』を歩む紳士淑女たるもの、いくら実力が身に備わろうと決して驕ってはなりません。教えは守られているようですね、ミスターニャ。その噂はかねがね耳にしておりますよ。自分事のように嬉しく思います」
丸眼鏡をクイッと指で上げ、誇らしげに語るのは、黒髪おさげの女性。
『白金の道』の教師を長年勤め、数々の優秀な人材を輩出させた元エリート。
――ロザリア・アッカルド。
『狂犬』の異名を持ち、開拓期時代を支えた七聖獣の一人。
武勇は知れ渡り、覚醒都市に住まう人間で知らない者はいない。
ターニャが委縮するのも無理はなく、その実力は折り紙付きだった。
「……ご指導ご鞭撻の賜物です」
感情を押し殺し、ターニャは謙遜を強いられる。
やはり柄ではなく、無理に言わされている感が強かった。
(さて、今のままならどうにか誤魔化せそうだが……)
やり取りを横目で見ながら、話題が逸れたことに安堵する。
ただ、ここから先は読めない。主導的に動けば、ボロが出る。
流れに身を任せるしかなく、口を挟むのは出来るだけ避けたい。
「では、ご挨拶はこれぐらいとさせていただきますが、そちらは?」
するとロザリアは、自然な流れで話を転がした。
注目を集めるのは、新たにやってきた余所者の三人。
「名乗らせたいなら、そっちから先に名乗るが礼儀でしょ」
真っ先に反応したのは、リーチェ。
恐れる素振りはなく、堂々と接している。
「ちょ、ちょちょ、その態度は……」
その無礼な態度を見て、顔を青冷めるのはターニャだった。
ロザリアは、一度怒らせたら手が付けられないほど荒れ狂う。
その裏の顔を知っているがゆえに、気が気じゃない様子だった。
「申し遅れました。わたくしは、ロザリアと申します。どうぞお見知りおきを」
白い長スカートの裾を掴み、彼女は丁寧に接する。
恐らく、自らに非があると判断したからこその対応だろう。
もし、彼女の地雷を踏んでいれば、爆発してもおかしくはなかった。
「私はリーチェ。そっちはエミリア。それとこの子は……ベクターよ」
それぞれに視線を送り、紹介を果たす。
これでひとまず、互いの名は知った状態になった。
「さて、顔合わせも済んだところで、真のご用件をお聞かせ願えますか?」
ロザリアは変わらぬ様子で、目的を尋ねてくる。
授業参観を申し出たが、それ以上の思惑を察していた。
「話が早くて助かるわ。こっちは『ジーナ・ロマノフ』という男を捜してるんだけど、心当たりはない? どんな些細なことでもいいから教えてもらえると助かる。こちらが差し出せるものなら、条件を付け加えても構わないわ」
リーチェは迷いもなく、ここに来た理由を告げた。
以上でも以下でもなく、こちらとも合致した目的だった。
問題はこの後。ロザリアがどういう反応をするかにかかっている。
「協力しても構いませんが、一つ条件があります」
「何?」
「お三方の一人対ジーノで模擬戦をしていただけませんか?」
提案するのは、一対一の練習試合。
侵入者の実力を試す腹積もりだろう。
「勝てばいいってわけね。……いいわ、乗ってあげる」
特に迷うことなく、リーチェは話に乗り、勝負は成立した。